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地方映画史研究のための方法論(28)大衆文化としての映画②——ジークフリート・クラカウアー『カリガリからヒトラーへ』

見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト


『映画はどこにあるのか——鳥取の公共上映・自主制作・コミュニティ形成』(2024)

2024年3月は、3年間継続してきた「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」の活動成果をいくつか世に出すことができた。一つは、杵島和泉さんとの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共上映・自主制作・コミュニティ形成』(今井出版、2024)の刊行。 鳥取で自主上映活動を行う団体・個人へのインタビューを行うと共に、過去に鳥取市内に存在した映画館や自主上映団体の歴史を辿り、映画を「見る場所」の問題を多角的に掘り下げている。

映画はどこにあるのか——鳥取の公共上映・自主制作・コミュニティ形成』(今井出版2024)

『見る場所を見る3——鳥取・倉吉市内・郡部の映画館&レンタルビデオショップ史』(2024)

また、2023年12月に実施した展覧会の記録集『見る場所を見る3——鳥取・倉吉市内・郡部の映画館&レンタルビデオショップ史』も無事、刊行することができた。イラスト・テキスト・年表で辿る、鳥取の地方映画史の旅。2024年4月30日の24:00まで、以下のフォームより頒布希望を受け付けている。1人1部まで無料送付。送付時期は4月下旬から5月中旬を予定している。

頒布申込フォーム

見る場所を見る3——鳥取・倉吉市内・郡部の映画館&レンタルビデオショップ史』(2024)

地方映画史研究のための方法論

地方映画史研究のための方法論」は、「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」の調査・研究に協力してくれる学生に、地方映画史を考える上で押さえておくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、2023年度は計26本の記事を公開した。杵島和泉さんと続けている研究会・読書会で作成したレジュメをに加筆修正を加えた上で、このnoteに掲載している。年度末ということで一時休止していたが、これからまた不定期で更新をしていく予定。過去の記事は以下の通り。

メディアの考古学
(01)ミシェル・フーコーの考古学的方法
(02)ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』
(03)エルキ・フータモのメディア考古学
(04)ジェフリー・バッチェンのヴァナキュラー写真論

観客の発見
(05)クリスチャン・メッツの精神分析的映画理論
(06)ローラ・マルヴィのフェミニスト映画理論
(07)ベル・フックスの「対抗的まなざし」

装置理論と映画館
(08)ルイ・アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」
(09)ジガ・ヴェルトフ集団『イタリアにおける闘争』
(10)ジャン=ルイ・ボードリーの装置理論
(11)ミシェル・フーコーの生権力論と自己の技法

「普通」の研究
(12)アラン・コルバン『記録を残さなかった男の歴史』
(13)ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男』

都市論と映画
(14)W・ベンヤミン『写真小史』『複製技術時代における芸術作品』
(15)W・ベンヤミン『パサージュ論』
(16)アン・フリードバーグ『ウィンドウ・ショッピング』
(17)吉見俊哉の上演論的アプローチ
(18)若林幹夫の「社会の地形/社会の地層」論

初期映画・古典的映画研究
(19)チャールズ・マッサーの「スクリーン・プラクティス」論
(20)トム・ガニング「アトラクションの映画」
(21) デヴィッド・ボードウェル「古典的ハリウッド映画」
(22)M・ハンセン「ヴァナキュラー・モダニズム」としての古典的映画

抵抗の技法と日常的実践
(23)ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』と状況の構築
(24)ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』
(25)スチュアート・ホール「エンコーディング/デコーディング」
(26)エラ・ショハット、ロバート・スタムによる多文化的な観客性の理論

大衆文化としての映画
(27)T・W・アドルノとM・ホルクハイマーによる「文化産業」論

ジークフリート・クラカウアーと「大衆装飾」

ジークフリート・クラカウアー(1889-1966)

ジークフリート・クラカウアー

ジークフリート・クラカウアー(Siegfried Kracauer、1889-1966)はドイツ・フランクフルト生まれ。フランクフルト学派の思想家・社会学者・映画学者として知られ、テオドール・T・アドルノやエルンスト・ブロッホ、ヴァルター・ベンヤミンらとも親交があった。

クラカウアーはユダヤ系の家系に育ち、ジャーナリストとして『フランクフルト新聞』の文芸欄で文学や映画、都市生活などに関する種々雑多なコラムを執筆。1933年にナチスが政権を握ると、フランス・パリに亡命し、さらにフランス占領後はアメリカに渡り、在野での執筆活動を続けた。主な著作に『学問としての社会学——認識論的考察』(1922)、『サラリーマン』(1930)、『カリガリからヒトラーへ』(1947)、『映画の理論——物理的現実の救済』(1960)、『大衆の装飾』(1963)、『探偵小説の哲学』(1971)などがある。

大衆装飾

クラカウアーは「大衆の装飾」と題したエッセイにおいて、ある時代が歴史の上で占める位置を規定するためには、その時代について直接的に論じた言説などを参照するよりも、その時代に現れてきた「表面的現象」を分析するほうがより的確な鑑定が下せると指摘し、映画やベストセラー小説などの大衆文化を議論の俎上に載せる理由を説明している(クラカウアー『大衆の装飾』船戸満之、野村美紀子 訳、法政大学出版局、1996年、p.44)。

同エッセイで具体的に論じられているのは、振付師ジョン・ティラーが結成した女性ダンスグループ「ティラーガールズ」。「アメリカ娯楽工場の産物」(p.45)である彼女らは、もはや1人1人の少女ではない。分解不可能な複合体となって精密な幾何学的パフォーマンスを繰り広げ、規則的な模様を作り上げている。

ティラーガールズ(The Tiller Girls)

ティラーガールズは、大衆が自らを素材として作り上げた、自らの美的嗜好に合った装飾であり、資本主義社会における大衆文化のありようを象徴している。これをクラカウアーは「大衆装飾 Das Ornament der Masse」と呼び、その特徴として、自然の有機的身体を解体して幾何学模様の構成要素へと変える「合理性」と「抽象性」を挙げている。ここでクラカウアーは、前回取り上げたアドルノホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』(1947)と同様に、「自然」と「理性」を対立するものと捉えている。呪術や神話といった非合理なものを否定して合理化へと向かっていく「理性」の発展プロセスを想定し、そのプロセスの具体的な表れとして「大衆装飾」を論じているのである。

ただしアドルノ=ホルクハイマーが、そうした「理性」の発展プロセス——「啓蒙」のプロジェクト——の帰結がファシズムの台頭なのだと指摘し、また大衆文化ならぬ「文化産業」を厳しく批判したのに対して、「大衆の装飾」執筆当時——1920年代から1930年代初頭にかけて——のクラカウアーは、「理性」は世界に真理をもたらすものであるとして、その役割を肯定的に捉えると共に、資本主義の問題はむしろ「理性」の発展プロセスが不徹底であり、「曇った理性」(p.51)に留まっていることだと考えていた。「合理性」の追求が徹底されれば、何にも曇らされることなく、「理性」の光によって人間の本質がはっきりと浮かび上がってくるはずだが、「大衆装飾」はそれが不完全であるために、個々人の具体性を欠いた「抽象性」としてしか人間を捉えることができない。その「抽象性」の下に「自然」は生き延び、「理性」を曇らされた「大衆装飾」は、これ以上ないほど大規模なスケールで神話へと退行してしまうのである。

以上のように、クラカウアーの「大衆装飾」への評価は両義的なものであるが、それを否定して過去の芸術や文化を取り戻そうとする立場には批判的であった。資本主義が生み出した「大衆装飾」の「合理性」と「抽象性」は、「理性」の発展プロセスにおいて不可避的に生じる事態なのであり、そこから後退するのではなく、むしろその只中を突き抜けて先へと進まなければならないと言うのである。

『カリガリからヒトラーへ』(1947)の方法論

ドイツ映画の現実化

だがその後、ナチスが政権を獲得し、クラカウアー自身も亡命を余儀なくされると、「大衆装飾」についても否定的な側面が強調して語られるようになる。

亡命先のアメリカで執筆した『カリガリからヒトラーへ』(1947)は、大衆文化の分析からその時代のありようや人びとの心理を読み解くという、クラカウアーのこれまでからの取り組みの発展形であり、ドイツ映画の中に反復して登場するモチーフから、ナチス政権の台頭を許してしまったドイツ国民の大衆心理を解き明かそうとする試みであった。クラウカウアーはナチスがニュルンベルグで行っていた党大会を見て、草創期からのドイツ映画が予見していた事態が現実化したことを痛感する。

ニュールンベルクでは、《ニーベルンゲン》での装飾の型が巨大なスケールで現れていた。すなわち、莫大な量の旗と民衆が芸術的に配列されていた。人間の魂は、心が頭脳と手のあいだを取りなしていたような印象を創りだすよう完全に操作されていた。昼夜をわかたず、何百万という人間の足が、街路や大通りに沿って行進していた。軍隊ラッパの響きがたえまなく聞こえ、フラシ天張りの居間から出てきた俗物たちが元気付けられたように感じていた。戦場はどよめき、勝利に勝利が続いた。すべてはスクリーン上で描かれていたのと同じようであった。最後の審判の暗い予感もまた満たされていた。

ジークフリート・クラカウアー『カリガリからヒトラーへ——ドイツ映画1918-1933における集団心理の構造分析』丸尾定 訳、みすず書房、1970年、pp.280-281
フリッツ・ラング『ニーベルンゲン』(1924)

クラカウアーは『カリガリからヒトラーへ』において、第二次世界大戦中のアメリカが敵国の国民性を研究するために構築した「社会心理学」の方法を映画分析に導入。その後、「映画社会学」と呼ばれる研究分野を代表する著作としての地位を確立した。日本でも、同書はクラカウアーの主著として紹介され、丸尾定による『カリガリからヒトラーへ——ドイツ映画1918-1933における集団心理の構造分析』(みすず書房、1970年)と平井正による『カリガリからヒットラーまで』(せりか書房、1971年)という、2種類の邦訳が刊行されている。また岩本憲児・波多野 哲朗 編『映画理論集成——古典理論から記号学の成立へ』(フィルムアート社、1982年)には、平井正 訳による『カリガリからヒットラーまで(序論)』が収録されている。

ここからは、主に丸尾定 訳の『カリガリからヒトラーへ——ドイツ映画1918-1933における集団心理の構造分析』を参照し、同書を執筆するにあたってクラカウアーが用いた方法論に関する記述を詳しく見ていくことにしたい。

大衆心理の反映としての映画

1920年に公開された『カリガリ博士』(ロベルト・ヴィーネ)を初めとするドイツ映画は、各国の映画観客に驚きを持って受け止められ、賛否両論を巻き起こした。気味が悪く不吉で不健全な世界観、印象的なセットや照明などの画面設計、完全な移動性を備えた自由度の高いカメラワークなどの特徴は、その後のドイツ映画にも受け継がれていく。

ロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』(1920)のロビーカード

だがそうした表現を審美的に語る者は数多く居ても、なぜそのような表現が生まれてきたかという背景を説明することは、これまで行われてこなかった。クラカウアーは、特定の国における映画表現を理解するためには、その国民の現実の心理学的パターンとの関連を読み解く必要があると問題提起する。

映画が国民の心理状態の反映であると言えるのは、第一に、映画は個人の制作物ではなく、分業による集団制作の産物であるからだ。集団制作は、映画の素材を勝手気ままに扱うことを許さず、個人的な特質を抑圧して、代わりに集団が共通して持つ特質を色濃く反映させる。

第二に、映画は不特定多数の無名の観客に語りかける。大衆向けの映画は、人びとの欲望を満足させるために作られるものである。アドルノ=ホルクハイマーの「文化産業」論のように、映画は観客の欲望を満足させることはなく、むしろ無力感を味わわせることで彼/彼女らを支配・操作しているのだという説もあるが、クラカウアーは、やはり大衆自身の欲望や能動的な意思が映画に与えている影響を軽視すべきではないと言う。ナチスのプロパガンダ映画であれ、ハリウッドの娯楽映画であれ、でっち上げることのできない国民の心理が様々な面で反映されているのである。

分析の対象と方法①——反復するモチーフへの着目

映画から読み取ることができるのは、自覚的な信条や思想というよりも、深層心理と呼ばれるもの、すなわち集団の無意識的な精神状態や態度、嗜好などである。もちろん映画に限らず、大衆雑誌やベストセラー書籍、広告や流行語などからも同様のものを読み取ることができるだろうが、映画はそれらのメディアが持つ要素も包括しているため、分析の対象としてより優れている。

人間の内面生活は、その人の外面的な生活やその集積の中に現れ出るものである。それらはほんの些細な瞬間や細部に宿るものなので、通常は気づくことが難しいが、現実世界であれ空想世界であれ、目に見える世界を記録する物語映画や記録映画(ドキュメンタリー)は、そうした隠された内面生活を探るために有効な手がかりを提供してくれる。例えばクロース・アップは、細部を拡大して写し出すことで、普段は無視されているものや目立たないものを取り扱い、詳細に調べ上げることを可能にするのである。

実際に映画を通じて大衆心理の分析を行う際には、統計に基づいて興行成績の良い人気の作品を取り上げることよりも、様々な映画に繰り返し現れてくるモチーフに注目することが重要である。興行成績の良し悪しを決める要因は無数にあるし、観客の様々な欲求のうち、一つでも満たすことができれば大ヒットにつながる場合もある。それよりも、大作映画からB級映画まで共通して現れる視覚的なモチーフや物語的なモチーフを探るほうが、より正確にドイツ映画全体に共通する傾向を探り当てることができ、それが、国民内面的な欲求の外部への投影であることの確証を高めることにもなるだろう。『カリガリからヒトラーへ』が試みるドイツ映画史の研究は、「すべての水準の映画に浸透しているモチーフの歴史」(p.10)の研究なのである。

映画に頻出するモチーフのいくつかが、一部の国民にしか関わりのないことである可能性はもちろん否定できないが、だからと言って、国民全体に関わりのあるモチーフや傾向は存在しないと判断するのは早計である。あらゆる階級の人びとが絶えず相互に関わり合い、影響を及ぼし合う中で、国民全体の傾向が作り出される

ナチスの台頭以前のドイツでは、中産階級(ブルジョワジー)の嗜好が他のあらゆる階層にも浸透しており、だからこそ、中産階級の心理に訴えかけるドイツ映画が国民全体からも支持されることになった。例えば俳優ハンス・アルバースは、中産階級の妄想や願望を実現させるような役柄を多く演じていたが、同時に労働者階級(プロレタリアート)の観客からも支持を集め、さらには——レオンティーネ・ザガン『制服の処女』(1931)の一場面に見られるように——貴族階級の少女たちにも崇拝されていたのである。

ハンス・アルバース(1891-1960)
ハンス・アルバースの写真が貼り付けられたロッカー
(レオンティーネ・ザガン『制服の処女』(1931)より)

分析の対象と方法②——ドイツ国民の心理の歴史を記述する

ただし、ここで分析の対象とする国民の心理を、普遍的・超歴史的に固定された「国民性」や「民族精神」のようなものとして捉えてはいけない。分析の対象は、あくまで特定の時代における国民の集合的な気質や傾向、ある期間内に人びとが抱いていた心理的パターンである。ドイツ国民の政治や社会、経済および文化史に関する先行研究は枚挙に遑がないが、この研究では、そこに「心理」の歴史を付け加えようとするのである。

学術的には、ある国民の心理的傾向は「原因」というよりも「結果」として捉えるべきだとされる。仮に自然環境や歴史的な経験、経済的・社会的条件などの外的要因が類似していれば、どんな場所でも似たような心理的反応が引き起こされるのだと考えられるだろう。

だがそのことを以て、心理の歴史など辿らずとも、外的要因を検討しさえすれば良いのだと結論づけてしまってはいけない。なぜなら、「結果」が「原因」になることもあるからだ。心理的な傾向は、その都度の外的要因に左右されるだけではなく、しばしば「独立した生命」(p.11)を持ち、それ自体が歴史を動かす重大な原動力にもなるのである。

大部分の歴史家たちは、上記のような心理学的要因を無視してきたために、第一次世界大戦からヒトラーのナチス政権が勝利に至るまでのドイツ史を、正確に理解することができなかった。経済的・社会的・政治的要因などを分析するだけでは、なぜ思慮深いドイツ人でさえ、最後の瞬間までヒトラーを重要な問題として考えることができなかったのか、なぜ彼が権力を得た後も一時的な異常事件としか見ることができなかったのかという問題を、説明することはできない。

他方、フランツ・ノイマンエーリッヒ・フロムなど少数の研究者は、ドイツの労働者たちの心理的な諸傾向が、彼/彼女らの思想を骨抜きにし、社会主義諸政党や労働組合の崩壊を招いたのではないかと論じている。ヒトラーとナチス政権の躍進を理解するためには、やはりドイツ国民の心理的なメカニズムを検討することが必要であると主張した上で、そのための具体的な手段として、クラカウアーはドイツ映画の視覚的・物語的なモチーフの分析に取り組むのである。

ロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』(1920)の分析

以上のような方法の実践例として、クラカウアーがロベルト・ヴィーネカリガリ博士』(1920)の作品分析を行った箇所を確認してみよう。

カリガリ博士』の脚本を共同執筆したハンス・ヤノヴィッツとカール・マイヤーは、その物語に、国家という権威が行使する不合理な暴力に対する批判の意図を込めていた。見世物小屋を経営するカリガリ博士は、夢遊病者のチェザーレを操って、気に入らない者たちを裏で殺害し続けている。実は精神科医という社会的な権威としての顔も持つカリガリ博士は、権力を崇拝した人物を代表しており、自らの支配欲を満足させるために、他の人間の権利や価値を冷酷に侵害していく。他方、夢遊病者のツェザーレは、自覚的な犯罪者と言うよりも、カリガリ博士の犯行のための「道具」に過ぎない存在であり、ある意味では罪のない犠牲者とも言える。ヤノヴィッツ=マイヤーはツェザーレを通して、権力の強制によって徴兵され、戦地で人を殺したり殺されたりする一般国民の姿を描こうとしたのだ。

ところが映画化に際して、『カリガリ博士』は元の脚本から大きく変更が加えられることになった。すべては一人の精神病患者フランシスが見ていた妄想であり、カリガリとツェザーレの物語は、フランシスが病院内で他の患者に語り聞かせる「回想」の形式で描き出される。だが現実のカリガリ博士は善良で温和な院長であり、ツェザーレも精神病院の一患者に過ぎない。原作は権威の本質的な狂気を暴露するものであったのに対して、映画ではむしろ権威(院長)の善良さを強調すると共に、その権威に反抗しようとする者こそが狂気に陥っていると見做し、精神病院に送り込んでしまうのである。

カリガリ博士とツェザーレ
ロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』(1920)より

この改変は、当時のドイツ人の心理的傾向に合致するものであったとクラカウアーは言う。1914年から1918年まで続いた第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、巨額の賠償金やヨーロッパ全体のインフレのために経済的な大混乱に陥り、社会不安も増大していた。過酷な現実に直面したドイツ人は、自己の内面世界へと引きこもることで安定を保とうとした。心中で伝統的な権威にすがり、革命から遠ざかってしまった大衆心理を、『カリガリ博士』における精神病者の回想形式は忠実に反映している。歪んだ舞台美術や照明を駆使した非現実的な空間描写も、現実世界から遠ざかって内面世界に退却している人びとの心理を、回想形式以上に顕著に象徴化していると言えるだろう。

ただしここで見逃してはならないのは、確かに『カリガリ博士』は回想形式を導入することで原作が持っていた意味を大きく変えてしまったが、その原作が語ろうとしていた革命的な物語は——精神病患者フランシスの妄想としてではあるが——ほぼそのまま作中に埋め込まれているということである。クラカウアーはそこに、内面世界に引きこもりながらも、伝統的な権威に疑問を抱き始めている人びとの心理を読み取っている。「映画は、カリガリの権威が勝利を収めた現実を、同じ権威が打倒された幻覚と一緒にすることによって、ドイツ人の生活の二面性を反映している。蜂起を拒絶する見せかけの行動の下で、明らかにもちあがっている官僚主義的傾向に対する蜂起の象徴の形態として、これ以上のものはありえないであろう」(p.68)。

地方映画史研究への応用

クラカウアーの「大衆」と権田保之助の「民衆」

映画研究者の藤木秀朗は、1920年代に「大衆」を論じていたクラカウアーと、同時期に日本で「民衆」を論じていた権田保之助を比較している(『映画観客とは何者か——メディアと社会主体の近現代史』名古屋大学出版会、2019年)。曰く、クラカウアーと権田は共に「大衆」「民衆」を資本主義の隆盛によって現れてきた新しい社会階層と捉えていた。また両者は、大衆(民衆)文化を低俗なものと見做す知識人を批判し、それが社会的現実を反映しているという側面や、人びとの創造性が発揮されているという側面を高く評価した。

ただし違いもある。クラカウアーが映画館に通うことを「労働」の延長線上に位置づけたのに対して、権田はそれをむしろ「余暇」における創造的行為と捉えていた。またクラカウアーがナチス政権の台頭と共に大衆文化の無防備さや脆弱さを盛んに論じるようになったのに対して、権田は民衆文化の娯楽を既存の社会体制にとって都合の良い教育手段として捉え、「民衆」を、「国民」意識を持った主体へと育て上げるために娯楽を活用しようとしたのである。

興行主の選択と地域性・県民性

クラカウアーが実践した、ドイツ映画に頻出するモチーフから国民の大衆心理を解き明かそうとする試みは、日本映画から日本国民の大衆心理を分析する試みへと応用することはできるかもしれないが、それを鳥取などの地方映画史研究に持ち込むことは——日本映画のほとんどが鳥取以外の場所で撮られている以上——非常に困難である。

だが日本映画全体の作品の傾向と、地方において支持される作品の差異を比較・分析していけば、地方独自の傾向や、一枚岩ではありえない「国民」性の実相を浮かび上がらせることができるかもしれない。またその際、興行成績に限らず、興行主が選んだ映画/選ばなかった映画という観点を導入することで、興行主が、自身の映画館が立地する「地域性」や「県民性」をどのようなものとして認識していたかを探ることもできるだろう。


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