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ショパンの夕べ

 友人に誘われて、家族でDCの教会にて開催されたピアノコンサートへ行ってきました。曲目はショパン。

St.Ann Roman Catholic Church

 立派な教会でした。我が家は無宗教につき(私はちゃんぽん大好きな典型的日本人ですが)、こういった機会でもない限り教会へ足を運ぶことは滅多にありません。ちなみに、夫はイタリア人でありながら、家族で唯一洗礼を受けていない変り種。子供だったにもかかわらず、嫌だといって拒否したらしい。イタリア人で洗礼を受けていないというのは相当珍しいようです(離婚率も高い上に、滅多に教会へ足を運ぶこともない人が大半のイタリアであっても!)。
 閑話休題。ピンボケしておりますが、教会内部はこのような感じでした。開演前にはほぼ満席の状態。アメリカの教会は解放感があって明るいですね。そして新しい。ヨーロッパの教会とはだいぶ雰囲気が異なります。イギリスにも数年住んでいましたが、教会を見学しに行くと、内部が暗すぎて出口がわからなくなったことがあったものです(光源が蝋燭のみであったりする)。その古さが魅力でもあるんですが。
 写真右手前方に、グランドピアノがあるのが見えるでしょうか。スタインウェイでした。

 ピアニストはBrian Ganzさん。コンサートピアニストをなさりつつ、州内の音楽学校で教鞭を取っておられたそうです。

 曲目はショパン尽くし!マズルカに、バラードNo.1 G minor、エチュード…ショパン好きならたまらないラインナップです。

 「軍隊ポロネーズ」は、教会だけに音響が弱く、クリアに聞こえないために魅力が削がれているように感じましたが。
 マズルカとバラードは素敵でした! 
 この条件でよくぞここまで、と思わせる圧巻の演奏でした。バラードはスタンディングオベーションでしたね。隅々まで神経が行き届いた、非常に繊細なピアノなんですが、お人柄ゆえかとても聞きやすく大らか。曲の解説や、曲への思い入れなどを合間に語りながらの進行で、とにかく穏やかであたたかい方であるのが伝わってきました。音大生を前にしているかのように丁寧に、曲の解釈や技巧の特性などをじっくり語る他、曲の楽しみ方などもユーモアを交えて話してくださる。聴衆の皆さんも終始ニコニコ、たいへんいい雰囲気でした。
 また、後半のエチュードは会場からのリクエストを募り、「黒鍵」、「エオリアン・ハープ」、「木枯らし」、「革命」、「蝶々」、「大洋」など、リクエストされるままに演奏して下さいました。
 もうね、「はい、どうぞ好きな曲を挙げてください」とニコニコしながらおっしゃって、「木枯らし!」、「黒鍵!」、「革命がいいです!」と難易度の高いリクエストが挙がったにもかかわらず、どれも見事に演奏なさるので度肝を抜かれました。音響設備の整った会場で聴いたら、3割増しか4割増しで素晴らしかっただろうなぁ。

 バラードの紹介をしている際におっしゃっていたことは、特に印象に残りました。曰く、「バラード1番は、僕が子供の頃に聴いて衝撃を受けた曲です。これほどまでに、苦しいほどに美しい曲が存在するのか。どうしてこれほど美しいのか。その謎を解き明かしたいと思いました。それは50年近いキャリアを経た今も、まだ解き明かせずにいる問いかけです。けれども、問いかけというものは、答えを見つけることよりも、問いを追いかけつづけることに大きな意味があると思うのです。この問いかけが、僕自身を形作ってきました」。
 答えを見つけるかどうかではなく、追いかけつづけること、それ自体に意義がある。いい言葉だな、と感じ入りました。
 約二時間のコンサート、夫も息子も楽しんでいました。息子が生まれてからは、クラシックコンサートはとんとご無沙汰になっていたので、久しぶりに生演奏に触れられて幸せでした。

 ところで、誘ってくれた友人には息子と同い年の息子さんがいるのですが、彼がたいへんなピアノの才能の持ち主なのです。技術的にずば抜けているのはもちろんのこと、音が素晴らしい。体の中に音楽があるのがわかる、そういう演奏をする子です。彼を見ていると、音楽の才能とは、自分の中に奏でるべき音楽があることをいうのではないか、と思います。それを外へ出してやらないではいられない、そういう衝動と情念が音楽家にはある気がする。
 ものを表現するというのは、おしなべてそういうものかもしれません。しかし音楽の場合、小手先ではどうにもならない、生まれ持ったものが確実にあると思えてなりません(努力で身につける方もおられるけれど、かなりのレアケースだと思う)。Brianさんがおっしゃったような、人生をかけて問いかけへの答えを探し求めることに似た、止むに止まれぬ衝動なのだろうと。

 そんなことを考えた夕べでした。

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