刀郎の聊斎歌

新しい曲をリリースして以来、意外なほど大きな人気を獲得した刀郎は、その名前通り、「羅剎夜市」などの楽曲を通じて社会の混乱を鋭く批評し、注目を浴びている。

本人がその意図で歌詞を書いたかどうかがわからないが、敢えて批判ものと「誤読」する人が多くいるから、この度、刀郎が歌手として社会の拍動を正しく読み取れたことが言えるかもしれない。

辛いものを加味して激辛い料理にチャレンジする人もいるように、歌詞をアレンジして政府にぶつかる使われ方もある。

ネタは清朝の怪談集「聊齋誌異」から来ているが、刀郎の歌を聞いて原典を読み始める人は少数かもしれない。一方、多くの人は刀郎の立派なリベンジぶりに喜んでおり、ネットで回った『影響力を利用して才能ある刀郎を貶めた』歌手那英などへの仕返し説を信じている。

刀郎は学歴がなく、挫折しながら自分の歌を続けました。やっと十数年前に『2012年初めての雪』などで大変な人気を得た。彼はむしろ大衆向けで、俗っぽい歌のイメージが強いと言える。ある年、誰よりも多くのアルバムをリリースしたが、那英を代表格とした学院派の音楽家に妬まれ、受賞することはなかった。そのとき、街中はもちろん、内陸のあまり知られていない、道教ゆかりの山地に入った際でさえ、お寺の坊主が「2012年初めての雪」を最大音量で流した。そのとき、俗っぽい音楽と生臭坊主(出家したのに恋歌を!)の組み合わせには悪い印象があった。

現実のダメージを受けた後、刀郎は一時的に歌壇を引退した。完全に引退したと思われた時期もあったが、意外なタイミングで新曲を披露することになった。

その曲風は?と言うと、相変わらず「俗っぽい」と言わざるを得ない。チックトックやウェイボでブームになり、そのトレンドに乗じて商品を売ったり、才能を披露したりする人は多くいるが、後世に残るほど価値のある作品ではない。歌詞の中には正確な中国語でない部分も多く、支離破砕で意味が曖昧だとしばしば指摘される。

それでも、なぜか大衆に受け入れられたのは、社会が不条理で不正がはびこり、正しい道を歩む人々が出世できず、苦しい日々を送っているという大衆の共感があったからかもしれない。声を上げる場が限られている中、権力者に対する不満や愚痴を吐き出す唯一の手段でもあった。ちょうどその時、かつての不遇な国民歌手が復活し、怪談的なテーマを取り上げ、アイロニーに富んだ曲を発表したため、人々は「我が青春なり」という感覚を味わい、自分があたかも不正義に立ち向かう「正義の人」として変身した錯覚を覚えるかもしれない。

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