他人の言葉について考えてみよう。

皆さんは他人の言葉についてどう考えますか?
私は「他人の言葉を聞きすぎて」失敗したと考えています。

一番身近なケースとして、皆さんの「親」のケースがわかりやすい
かもしれませんね。

皆さんも親から

「○○しなさい!」
「○○した方がいいんじゃないの?」
「となりの○○さんはこれだけできるのにあんたは…」
「髪切ったら?」
「早く学校行きなさい!」

まだまだありますが、これらは私が実際に自分の親に言われたことがある言葉です。
皆さんはいかがでしょうか?

最近では「毒親」や「マルトリートメント」という言葉もよく耳にされることもあると思います。

ここでちょっと言葉の意味を確認しておこうと思います。

毒親…元々は、アメリカの精神医学者、スーザン・フォワードが著した
『毒になる親(原題:Toxic Parents)』から生まれた俗語であるこの本は、
原著が1989年にハードカバーで出版され、日本では1999年にハードカバー版が毎日新聞社から、2001年に文庫版が講談社より出版された。本国では2002年にペーパーバック版が出版されている。
日本では2013年ごろより、この言葉をタイトルに含めた本が出版されるようになった。
主な意味としては「子の人生を支配する親」のことを指し、一種の虐待親として扱われることもある。「毒親に育てられた子は、毒親からの児童虐待によって苦しみ続ける」が主なケースとなっている。
なお、スーザン・フォワードは『毒になる親』にて、「毒親の子は毒親を許す必要などない」と述べている。(ウィキペディアより一部引用)

マルトリートメント…強者である大人が、弱者である子どもへの不適切なかかわり方。
(「子どもの脳を傷つける親たち 友田朋美 著」より一部引用)

2つの事柄について詳しく考えてみるのは別の機会に譲って、
「自分 対 親」という構図はよくありますよね。

もう一つよくあるのは
「自分 対 職場の人間(特に上司)」
ではないでしょうか?

自分もこの関係性には悩まされたことは幾度とあり、
今でも悩むことがあります。

先日も、とある文章を作っていて、2通り出来たのでそれを提示したところ、
「Sasa君は2つあるうちで自分がどちらがいいか主張した方がいいと思うよ。」

なんて言葉をいただきました。

他にも、
「あなたは感情にムラがあるよね。」(直属の上司)
「Sasaさんはこれから職場を守っていってほしい」(幹部クラス)
「髪切らないの?」(他部署の職員)

とにかく、なんだかんだ言ってきます。
ですが、これらに共通してい言えることが一つあります。

それは、「どれも根拠がない(それを必ずやらなきゃいけない理由がない)」という事なんですね。

それで、日本人は「儒教」の考え方を知らない間に
たくさん刷り込まれています。
先に生まれたほうが偉い」という、
これまた根拠のない言葉を信じています。
「先生」の語源も「先に生まれた人」という説もありますね。

男らしく、女らしく
偉い人のいう事はとにかく聞け!
親や先祖を敬え!

端的な表現かもしれませんが、「儒教」の考え方の一部です。
しかし、この考えが正しいとは到底思えません。
もしそうなるならば、「立場」だけで物事を判断し、勝手に他人を評価してしまうことになりますね。

これは違和感を覚えるんです。
例を考えてみると、自分より年上の部下がいたとしましょう。
その人にどういう言葉を使いましょうか?どのように仕事頼みましょうか?

「自分より立場が下」っていう事を免罪符にしてその人を
下に見る言葉を使いますか?
確かに楽ですよね。他人を支配できるのですから。
ですが、少なからず反発されるのではないでしょうか。
言われた人は言葉には出されないけど。トラブルになりたくないでしょうし。
私も出しません。トラブルにしたくないのと、その場では大ごとにはしませんが、言われた内容、時間、状況…これらをメモします。
いざとなれば内容によってはパワハラの証拠にもなりうるので。

もし、この記事を読んでくださる方々の中で、
上司の言動がキツイと思っている方へメッセージなのですが、

大概の「一般的に上司と言われている方々」は「きつい言動をすればパワハラになるが大概の労働者はそんなこと言えない」と思っている可能性があります。

それを分かっていて、言動がキツくなって、
その言葉を発してパワハラとかになってトラブルになっても、自分で自分を守って責任とれる自信があるからそういう言葉をつかえるのです。
だからそんな心無い言葉が言えるのです。

それならばそのままにしてしまいましょう。
あなたが関わる必要はありませんし、
皆さんの人生の貴重な時間をテンションの
下がる言葉で傷つけられる筋合いはありませんし、
受け入れる必要もないのです。

どうしても気になるのであれば
「どんなことを考えてそんな言葉が出たのか」
を考えてみるのもいいかもしれません。

私は、人間関係で体を壊しました。
いや、壊されたって言った方がいいのかな?

だから、職場の人の意見って根本的に業務に関わること以外は
捨てるようにしました。
自分が「これは大切だな」って思うことに関しては、
受け入れて変えていけばいいのです。
もちろん、他人のアドバイス全てが「ダメ」と言っているわけではありません。

今はむしろ「学ぼうと思えばどんな人からでも学べる」ような時代ではないかと個人的には思ったりしています。

当然その人の言葉の選び方や伝え方にアレルギー反応が出る方もいるでしょう。
表現に反応するよりも、伝えようとしているとこだけでも(間違っててもいいから)汲めればいいのだと思います。

私であれば、学びが多かった方の一例として、
・羽生善治竜王(永世七冠)
・西野亮廣さん(絵本作家の他、多数の活動)
・苫米地英人さん(脳機能学者)
・Daigoさん(メンタリスト)
・石橋伸洋さん(プロ雀士)
・鈴木たろうさん(プロ雀士)
・多井隆晴さん(プロ雀士)

今、思いついたのはこの方々。
当然、私が知らないまたは認知しているが思い出せなかった方
(本当にすいません(笑))
もいらっしゃるのではないかと思います。

それは追々知っていって自分の身になっていくのではないかなともいます。
その中でも、私自身が個人的に好きなのはプロ雀士の石橋伸洋さんが出版されていた麻雀戦術本のサイン本を購入した際に書かれていた、

「我以外、皆師なり」

という言葉です。

この言葉を調べてみたところ、
作家の吉川英治さんが最初に書かれたようです。

心がけ次第で、どのようなことでも学びにはなるし、
人だけでなく物や事柄であっても学ぶことができるという言葉です。

石橋さんも座右の銘にされている事なんだと思います。
(それじゃなきゃさすがにサインで書かないですよね(笑))

今この記事を読んでくださっている方々で、
何か自分に響く言葉があれば是非その言葉を軸にして
生活してみてほしいなと思います。

誰かが言った心無い言葉を受け入れず、
自分で良いと思った言葉を受け入れましょう!

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