夢の周波数

 そんなつもりはさらさらなかったのですが、何故か前回の記事は私らしからぬセンチメンタルな思い出話になってしまったので、今回は私らしく間の抜けた記事を書こうと思います。

 私には、良く調べもせずに見切り発車で物事を始めた結果、手段と目的をはき違える癖があります。

 たとえば高校生の頃、小説よりもエッセイが書きたくて、文筆業になるために小説の新人賞に応募したり、大学生の頃にはテレビよりもラジオが好きで、ラジオに出るためにテレビ局へ就職活動をしたことがあります。アホです。

 ちなみにそのときに応募した小説はライトノベル系でした。主人公は氷を操る能力を持った男子高校生で、特性として氷を操るだけに冷たいギャグで周囲を凍らせ、締めの場面で必ずスベるというキャラクターだったと思います。話の流れはすでに覚えていませんが、冒頭で他校の不良にむかっていきなりジャーマンスープレックスホールドをキメるというシーンだけは覚えています。氷の能力はどこへ行ったんでしょうか。

 またテレビ局のエントリーシートにラジオに対する熱い想いを書き綴った結果、メールにて私の将来をお祈りしていただくこととなりました。どうやら私のエントリーシートはテレビ局ではなく祈祷師の下へ届いたようなのですが、いまだに高額の祈祷料を請求されないことが不思議です。しかしその御祈祷のおかげで私は今、こうして元気に生活をし、就職をし、結婚もした挙句、駄文を書き連ねる生活を送ることができています。ありがたや。

 とまあこのような経験によって、私にとって夢とは叶う叶わない以前に、きちんと焦点を合わせてから考えるものだという認識であります。

 夢を叶えるためにはどうしたらいいのか。

 必要な知識や技術は何か。

 特別な資格や経験などは必要か。

 そういった要素を調査していくことは、まるでラジオの周波数を合わせるようなもので、よりその姿を鮮明にしたければ、地道に電波の受信具合を調整していかなければならないのです。そうして初めて、自分の夢の形がはっきりと見えてくるような気がします。

 ……などと、ラジオに掛けてうまいこと言おうとしたけれど、まったく成功していないのが悲しいところです。しかもさらに悲しいことに、今の時代ではラジオの周波数合わせという行為はほぼほぼ不要です。ポッドキャストやラジコのようなアプリで一発なので。あの奇跡的にチューニングが合った時の感動や、それが何かの拍子でズレた絶望などが感じられないのは、なんだか味気ないような気がします。便利なのは間違いないんですけども。

 「デジタルの時代はロマンがないなぁ」などと昭和生まれの身としては思いつつ、その反面では平成の経験をこうしてコラムまがいの記事とし、一般の身で発信できる令和はいい時代だと思ったりもします。

 つまり言いたいことは、noteサマサマということです。

 論旨も内容もブレブレで周波数が合ってないので、次回はちゃんとチューニングして出直してきます。ただし、今日よりズレてしまってもご勘弁を……。

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