映画「ロブスター」についての感想(主に結末について)

 もちろんはじめまして。ささやかです。

 今回は昨日観た映画「ロブスター」について書こうと思います。批評でもレビューでも感想でも名目はどうでもいいのですが、要は私が映画を観て思ったり考えたことを書こうかなあーって訳です。ということで括弧内が公式サイトURL(http://www.finefilms.co.jp/lobster/)

 さて、粗筋は書くのが面倒だし、公式サイトを見ればよいので基本省略します。要は、恋愛を強制される世界観。独り者が収監されるホテルで愛を見つけられずに逃亡した主人公が、恋愛を一切禁止するレジスタンスのいる森で好きな女性を見つけてしまった、という話ですね。

 まず観終った感想としては非常にショッキングだったということです。自殺のシーン、ホテルで血も涙もない女と無理してカップルになろうとした時に兄であった犬があっさりと殺されてしまったり、赤い唇の制裁だったり、最後の主人公の選択シーンとかですね。もっとコメディ的に終始すると思っていたので予想外でしたし、それ故先が読めませんでした。

 そして、私が一番気になったのは最後の主人公の選択とそれにまつわる世界観です。つまりここからは盛大にネタバレになる可能性があるのでその点ご留意下さいませ。


 物語終盤、ヒロインである近視の女が色々あって失明し、主人公はレジスタンスを抜け出し、ヒロインと町に逃げる選択をします。そして逃亡先だかの喫茶店で主人公は自分の両目をステーキ用ナイフで潰そうとするわけです。失明という二人の共通点を作るために。そしてトイレで自分の目にナイフを突きつけるシーンから、彼を待つヒロインのカットが流れて映画は終わります。ここで問題です。果たして、彼は自分の両目を潰して彼女のもとに戻ったのでしょうか?

 私の答えはNOです。つまり、彼は自分の両目を潰すことなどできず、そのまま逃げてしまった。

 まず、理由の一つは「世界観」ですね。この映画では、恋愛を強制するディストピアと恋愛を禁止するディストピアの二つが描かれます。両ディストピアは方向性こそ真逆ですが対称的です。恋愛に対する方向性を制限するという意味では同質と言ってさえよいかもしれません。主人公は恋愛を強制されるディストピアで「真実の愛」を見つけられずに逃げました。その逃亡先も同じようなディストピアであるのに、彼が「真実の愛」とやらを見つけることができるのでしょうか、というのが私の疑問です。

 まあ正直なところ、これだけでは理由として弱いと思います。環境が違えば、相手がいれば、「真実の愛」はそこにあるってな反論は十分に成り立つでしょう。なので、次の理由を提示しましょう。それは「共通点への固執」です。そして同時にここで言っておくと、そもそも、主人公とヒロインに間に「真実の愛」なぞ無かった、と私は思ってます。

 この映画では恋愛をするにあたり共通点が重視され、共通点のある男女がカップルになるわけです。脚が悪い、冷血で残虐、鼻血が出やすい、そして近視等々。主人公は(いえ、おそらくは彼らはとするのが適切でしょう)偏執的にまで共通点があることを求めます。ラストの主人公の選択は最たるものですが、作中では他にも多々カップルになるために共通点を求めるシーンが頻出します。

 さて、心理学的には誰かと親しくなるには類似性と相補性という二つのファクターが働きます。類似性は初期、相補性はそれ以降、という感じです。この観点から見ると、映画内では類似性に終始し、相補性への意識は希薄であり(あったのはヒロインが主人公の手が届かない背中部分に軟膏を塗るシーンくらいかな)、恋愛的に未熟な段階に留まるのかな、と。特に彼女が失明した後に、ピアノやドイツ語などの新しい共通点探しに固執する主人公が気になります。

 本当に真実の愛があるなら新たに共通点を探す必要はない訳で、なのに失明しようとしてまで共通点を作ろうとする主人公の姿を見ると、彼らの愛は共通点が無いと維持できない程度のものなのではないか、と思うのです。そして、そのように共通点のある相手しか愛せないというならば、それはもはや相手という鏡を使って自分を愛しているのと同義でしょう。この世界に生きる登場人物は、恋愛をする人間もそれを拒む人間もまともに愛することが出来ていない、のだと感じました。

 ですから、そんな人間が愛のためにと両目を失うことを選ぶかは懐疑的なのです。仮に選んだとしてもそれは共通点への偏執、根源的には自己愛が理由なのであり、ヒロインへの「真実の愛」が理由ではないと思うのです。

 最後の理由として、ラストカットで喫茶店で主人公を待つヒロイン、そしてガラス越しにカップルが通り過ぎたことを挙げます。ヒロインとカップルにガラスという透明だけど越えられない壁があるということは、このカップルとヒロインには断絶的な差異がある、つまり、彼女の片割れである主人公は戻らない、ということを意味するのではないかと思いました。

 作中で視覚を失っても他の感覚が鋭くなるのよ的な発言をヒロインがしており、エンドロールで波の音が聞こえることから、主人公は両目を潰したのではないかという推測も成り立つと思います。ただ、先のセリフは彼女を失明させたリーダーの言った言葉の借り物であること、失明後ヒロインは日常生活がおぼつかなくてちっとも他の感覚が鋭くなっているようなシーンがないこと(それどころかキウイとテニスボールを間違えたりしてる)、上で述べたようにそもそも彼らに「真実の愛」は無かったと思っていることから、私は否定的です。ちなみに、波の音は彼が独り逃亡した後に捕まってロブスターになってしまったという解釈でも矛盾しないのかなと。また、この波の音とナレーションから一緒に観た友人がこれまた面白い解釈を考えていたのですが、書くのが面倒になってきたので省略。

 さてさて、かなり長くなってしまったのでそろそろ私は筆を置かせてもらいます。他にも良かったシーンとか言ってみたいことはあるのですが、またの機会にします。そんな機会があれば、になりますが。

 ロブスターはシュールでブラックな世界観であり、戸惑うことも多いですがその分見所は多いですし考える余地の多い良い映画だと思います。ここまで読んでまだ観ていない人は、気になったらちょっと観てください。そしてぜひ考えたことを私に教えてくださいな。

 あ、最近だと他に「マジカル・ガール」と「スポットライト」も観たのですがどちらも面白かったです。特に「スポットライト」。三作の中でもまずはこれを勧めますね。一番ストレートで王道だし。

 

 

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