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上島竜兵を忘れられるわけがない

 有名人の自殺に心動かされることは少ない。兄貴がそのように死んでからはなおさらである。しかしこの人についてはその数少ないことだった。
 自分なりにいつかきちんと文章にまとめたいと思っていたものだが、このたび奥様が本を出したといい、それに伴う新聞記事(令和5年10月14日夕刊)を目にしたことで、僭越ながら筆を執った次第である。


 彼が亡くなってから、彼についてわかったことがひとつある。彼は僕にとって、一番好きなタレント・コメディアン・お笑い芸人だったということだ。
 同じようなことを生業としている人たちの中には、彼以上に面白いと思う人も、彼よりもずっと笑かされた人もいっぱいいるのだが、好きになれない部分がどこかにあるものだった。
 しかし彼については、嫌う部分がとにかくひとつもない。どんな登場の仕方をしても、そのあとにどんな展開になっても、嫌な気持ちにさせられたことが一度もない。どこかを嫌いになると、その存在を全否定しがちな傾向を有する僕には、実に稀有な存在だったといえる。
 だから訃報とその経緯を耳にしたときは、特筆すべきこともない月並みな感情を抱いたその後で、こう考えた。
「もしかしたら彼は、僕をはじめとする多くの人々を笑わせるために、大変な苦悩と苦痛を抱えていたのではないか、死にたいほどの辛い思いを抱きながらあのようなパフォーマンスをしていたのではないか、そうだとしたら、それを求めていた自分は、なんてひどい奴なんだろうか」
 もちろん真実がどこにあるのかは杳として知れない。それとは異なる理由があったのかもしれない。ただ、「もしかしたら」と、そう思ってしまうのだ。申し訳ない気持ちを抱いたものだった。


 もしもそれだけの苦しみを抱えていたとわかっていたら、それでも面と向かって伝えたかった。
「あなたのギャグが大好きです。いつも楽しませてもらっています。これからも笑わせてください」
 でもきっと、それでも彼は、突っ走ってしまったのだろうと思う。


 僕の記憶の中にある彼の姿の中で、『ウンナンの気分は上々。』にダチョウ俱楽部として出演していたときの一コマがある。
 内村光良を加えた4人で、ダチョウ俱楽部の新しいギャグを考えるというような企画だったと思うが、細部は忘れた。とにかくここで彼は、「ごめんちゃいちゃいチャイニーズってどうだろう」と口にしたわけである。
 内村は身を反らして爆笑していたが(テレビの前の僕も声を上げて笑っていたが)、ほかの二人はクスリともしなかったのが印象的だった。
 これは彼に限らないのかもしれないが、ギャグやネタを考えるほうは、斯様なまでに真剣であるものなのかもしれない。
 そして彼の真剣さは、自信の欠如を補うためのものだったのではないかと、今は思う。


 自分で死ぬ人は、自分のことなど信じられないし、自分なんかを信じる他人のことも、信じられないものなのだ。


 だから僕が彼を賛辞し、称揚し、謝意を示したところで、彼は謙遜したかもしれないし、それは謙遜ではなく心の底からそれを受け入れられずにいるからかもしれないと、思うのだ。


 どうすれば自分や他者を信じられるようになるのかは、僕にはわからない。
 わかっていれば僕はこうはなっていないし、僕のような人たちに伝えることもできるだろう。
 今の僕にできることはほとんどなくて、まして彼に対してできることはゼロに等しい。
 それでも僕は伝えたくてたまらない。だからここで伝えておく。
「あなたのギャグが大好きでした。いつも楽しませてもらっていました。これからも記憶の中で笑わせてください」


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