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益々加速社会変化に組織内で「情報収集」は必須に!!「情報格差」について考察!?

「情報格差」とは?

世間には「情報格差」という言葉があるようです。

Wikipediaで調べると、「インターネット等の情報通信技術(ICT)を利用できる者と利用できない者との間にもたらされる格差のこと」です。

「情報格差」の一例を紹介します。

(1)半自動の副業

今や、副業も半自動で稼げるようにもなって来ているし、私の経験で1日10分程度の作業で月15万円を稼げたものも実際にありました。

そのようなことを知らないと、賃金20万円代でフルタイムで社員を採用している経営者は、後々困ることになるかもしれない。

(2)DX化による変化

DX化の波が押し寄せていますが、私の周りの人たちの中には、「DX化は3年後で良いでしょっ」と言っている人達がいます。

自社を売却することを想定しているのであれば、数年後も良いでしょうが、「DX化は早い者勝ち勝負!!」です。遅出しジャンケンでは勝てない。

「自社の強み」を最大限発揮できる「仕組み」で「市場」に参入することだからです。

その「市場」参入の仕方もある課題です。「市場シェア」多い=「データベース」多い、という構図から行くと、遅れれば遅れる程不利にしかなりません。

そう考えると、「情報収集」を普段していない人であったとしても、そのような人にとっても「情報収集」は今は必須となるでしょう。今や「情報収集」は自己責任の時代ではないでしょうか。

情報収集には各々癖がある

人は、各々「情報収集」に意識がある人もいれば、それほどでもない人といると思う。

それに「情報収集」に意識がある人の中にも広く情報を集めることに意識が向いている人もいれば、深掘りする為に情報収集する人もいる。

私は、「情報収集」をするのは具体的な行動に落とし込む為にすることが多い為「深掘り傾向」にあります。ですが、私の妻は広く集める傾向にある為、「広く浅い傾向」になります。

そのことを理解した上で、妻からの情報を貴重だと思って、耳を傾けるようにしています。

これと同じように、自分の「情報収集」の癖を理解した上で、周りの人たちと情報交換をしていきたいものですね。

「情報収集」をやっていない人の傾向性

「情報収集」の表現を変えると、新しい情報や価値観を受け入れる、となると思います。

特に「社会変化」の激しい今の「情報収集」の意味合いからすると、尚更です。

「情報収集」に興味がある=「社会変化」に興味がある →「社会変化」への対応

組織内で、率先して「情報収集」をしようとしない・できない人達は、結局古い価値観に縛られる傾向になると、言えるのはないでしょうか。

そうすると、その組織内で、「情報収集」をする人達としない・できない人達とでは、「社会変化」への対応について、見解の相違を生むことになってしまう。

新しい情報・価値観を伝えるメリット

新しい価値観を受け入れる人達には、古い価値観の見直しをすることは可能でしょうが、古い価値観に縛られている人達にはどのような対応が考えられるでしょうか。

具体的には、組織内で情報を積極的に発信していく以外ないのではないか、と考えます。

ですが、水を飲むつもりがない馬を、何回も川に連れて行っても、川の水は飲みません。

これと同じように能動的に「情報収集」しない人達に、新しい価値観を共有して貰うことは無理でないかもしれないけど、時間がかなりかかってしまうことは間違いないと思う。

馬もその内、喉が渇くだろうから・・・。場合によっては、退職してしまうかもしれません。

古い価値観に縛られる人の中には、「そのような情報発信や価値観共有をする以外ないでしょっ」と発言される人もいるかもしれません。

ですが、そもそも、そのような時間経過を、社会の変化が許してくれるだろうか?

まともに「情報収集」もしていないから、社会変化にも鈍感。

そんな鈍感な感覚で発言されても「無責任」以外の何ものでもない。

この組織にとって、今、このような社会背景において何が必要なのか?と考えるのであれば「情報収集」は欠かせないはずです。

「情報収集」しない=「組織」に責任感がない

※ここで注意が必要なのは、あくまでも「組織」に対してであって、「仕事」に対して無責任とは言っていない点です。

「情報収集」をしない人が、責任ある立場の人であれば、今後をことを考えないといけないかもしれません。

まとめ

僕の結論としては、同じ価値観同志で展開をして行った方が、組織で活動する意味があると信じます。

その意味において、別の組織で活動をすべきだと思う。

何故なら、これからは自分が、如何に自分らしく働けるか、自分らしく働ける職場環境とは等、自分自身に課題が山積している状態でもあるからです。

自分らしく働くことができない環境で辛抱しても、結局は自分で自分を潰すことになってしまう。

自分が自分らしく働くことに「責任」を持つべき時代が、近づいている。

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