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人生のターニングポイント 〜2021年での変化〜

2021年は僕にとって本当に激動の一年になったことは間違いない。
この一年での変化について書いてみたいと思う。

退職を決意

一番大きいことは約10年勤めた会社を辞めると決めたことだ。
自粛期間に今後の生き方について考えるようになり、著書も多く読んだ。
結果として、転職ではなく企業に属さない働き方をしようと決めた。

自粛期間になるまで、2年以上転職活動を続けてきた。
自身を評価してくれない会社に対しての不満が一番の原因だった。
でも転職活動は難航し、書類もなかなか通過しない状況だった。
そこで考え方を変え、リタイア後に自身がやりたいことをやれるように準備を進めようと思い始めた。
その時点では、5年ほど企業に勤めて資金を貯めてからやめようと思っていた。
2021年に入り、あるオンラインサロンへ参加するようになり、
さらに考えは変化していった。
「お金より時間が大切」と考えるようになったのだ。
そのため、5年間勤めて退職するという考えから、
「ある程度の資金ができたら辞めよう」
という考えに変わっていった。
生活するために必要な最低賃金を計算し、
当時の年収の半分程度でも生活できることが分かった。
「正社員でなくてもやっていける」
そう思えた。
ある程度の生活資金ができたこともあり、
2022年6月のボーナスをもらってから退職する予定だったところを、
半年前倒しをすることにした。
当時働いていた会社には、退職予定の半年前に辞意を伝えた。
その理由は、雇用形態をアルバイトに変えて、
週数日だけの雇用にしてもらうことの打診をするためだ。
退職後にフリーになるつもりではあったが、
明確な仕事が決まってなかった。
そうであれば、現職の業務を慣れた場所で続けられると良さそう、
と思ったことが大きい。
しかし、結果としてそれは叶わなかった。
僕が抜けたとしても、別の人員を他の部署から賄うから、
というのが会社の答えだった。
それなりに規模の大きな会社だったからこその回答だと思ったし、
結局は”一工数”としてしか考えられていないのだな、と改めて感じた。
会社にしがみつかなくて良かった、心からそう思えた。

退職すると決めてから、気持ちがとても軽くなった。
良い意味で「どうでも良い」と考えられるようになったからだ。
もちろん、与えられた仕事はきちんとこなしたけれど。
辞意を会社に伝えてから与えられる仕事も減り、心に余裕もできてきた。
そうすると、これまで嫌だと思っていた職場の人達に対して、
優しい気持ちになることが出来た。
それだけ、日々の仕事に忙殺されることが、
心の”ゆとり”を奪っていたのだな、と僕自身は感じた。
金銭的なことの目処が立っていたからだ思うが、
会社を辞めることに全く不安はなく、
むしろ退職後のことを考えるとワクワクが止まらなかった。
退職した今現在でもまだ不安はなく、心のゆとりとこれからのワクワクが続いている。

移住も決意

ありがたいことに、僕はリモートワークができる職種であったので、
同じ職種を続けるとしても、住む場所にこだわる必要がなかった。
そこで、これまで住んできた関東を離れて好きなところに住もうと決めた。
どこに住みたいかと考えたときに、一番訪問回数が多い京都が、
候補としてすぐに頭に浮かんだ。
僕は寺社仏閣を訪ねるのが好きで、
京都市だけだが、10回以上は訪問していると思う。
移住に関するオンラインイベントへ参加し、
移住を斡旋してくれる方々と知り合う中で、
京都のこれまで知らなかった場所を知ることができた。
当たり前だが、京都市が全てでは無く、良いところがたくさんある。
京都市以外でもいくつかの移住候補を決め、
一週間くらい滞在して生活するということを何度かしてみた。

現地の方々と話をしたり、気になる場所を訪れてみたりして、
最終的に今住んでいる亀岡市に住むことを決めた。
決めた理由は大きく三つある。

一つ目は地理的な事。
亀岡市は京都駅から電車で20〜30分程度なので、
新幹線を使えば東京にもアクセスしやすい。
引っ越すなら田舎地方に住みたいと考えていたものの、
都会と180度違うところにいきなり住むことはハードルが高い、
と判断したこともある。
亀岡市はほどよく田舎だけれど、都会へすぐに出れると思えることが、
多少なりとも心に余裕ができると思ったからだ。

二つ目は行政がSDGsを推している事。
僕自身が、環境問題にこれまで以上に強く興味を持ち始めたこともあり、
何かしら環境問題に対することをやっていきたいと考えている。
そのため、行政が環境問題に対して積極的であることが、
僕にとってはとても魅力的だった。
転居後に量り売りのお店を出してみたいということもあり、
このことは大きいと感じた。

三つ目は芸術を推している事。
亀岡市では、定期的にアーティストさんのワークショップを行っており、
芸術が盛んな印象を僕は受けている。
ものづくりに興味があり、僕自身も何か作ってみたい(文章を書くこともものづくりだと思っている)との思いもあるため、
このことも僕にとっては魅力的に映った。

これを書いている時点では既に亀岡市に引っ越していて、
新生活をスタートさせたところである。

野菜づくりを経験

企業に属さないで生活していこうと考え始めた時、
自給自足しながら生計を立てたいと思い始めた。
ただ、それまで観葉植物を育てたことはあるものの、
野菜を育てた経験は無かった。
そのため、退職を意識し始めた時から、
チャンスがあれば畑をやりたいと思っていた。
そんな時、近所を歩いていると
「体験農業」のチラシが置いてあるのを見つけた。
場所は自宅から自転車で通える距離で、申し込み期限が1週間後だった。
僕は即決して申し込んだ。
そこでは、農具や苗などは全て提供してくれ、
農家さんがレクチャーもしてくれるとのこと。年間5万円ほど。
作った野菜も食べれるし、自身の勉強にもなるし、
自己投資としては高くないと思った。

体験農業で畑をやることはとても楽しく、
淡々と作業をすることが好きな僕の性格に合っているなと思ったし、
「僕でも野菜づくりできる」と自信がついたことが何よりの成果だと思う。

転居先の亀岡市では、自然農の農家さんでのお手伝いが決まっている。
やりたいことがいくつかあるので、
農家としてやっていく予定は今のところ無い。
ただ、お手伝いをしつつ自身の畑をやることで、
野菜作りに対する知見を増やしていけると良いなと思っている。

人との出会い

ここまでに書いた移住や野菜作りを通じて、
多くの人達とのつながりができた。
そのことは本当に大きい影響を受けていると思っている。
企業に所属しない分、これからやっていく仕事は人とのつながりが重要になってくることは間違いない、そう思う。
だからこそ、人とのつながりやご縁は大切にしていきたいと強く思う。

さいごに

今回は書いていないことでも、
2021年は僕にとっての大きな出来事が他にもいくつかあった。
まさにターニングポイントの年だったと言えると思う。
僕のこの体験を読んで、何かしら感じてもらえると嬉しいです。


ここまで読んでくださって、ありがとうございましたm(_ _)m

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