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道徳は流転する

私は非国民です。

今思い出したのですが、道徳の時間に『明るいなかま』を見せてもらっていました。でも、『はたらくおじさん』は違いますよね。今だったら、文句を言っていたかもしれません。なんで「はたらくおばさん」がないんだと思って、今調べてみたら、歌詞が変わっていました。私の時代は「はたらくおじさん、はたらくおじさん、こんにちはー」と連呼していました。おじさんが働いているのがモラルだという認識だったようです。働くおばさんは、認識の外。

道徳観念は、時代が変われば大きく変わるので、教育にはあまりなじまないと思います。少なくとも、私が小学生の頃は、女装する男性は不道徳とされていました。今はどうですか?と言うところですかね。

道徳の教科書というのは、無意味なことを完璧に証明しているようなものです。私だったら、それに絵を描いて、遊びの対象にしますね。今見てみると、道徳や社会科の教科書に載っている人の絵や図(顔)は、すべて歌舞伎役者のような陰影がついていて、笑ってしまいます。

教科書とはそういうものなのだ。やはり私は善良な国民ではない。パン屋さんも教科書から消されているようで、道徳的ではありません。パンは微妙に非国民的な味がしてとても美味しいのでやめられません。

そもそも、道徳とは何なのかよくわからない。あまりにも漠然としているので、お化けというか、悪霊というか、魑魅魍魎の仲間というか、そんな感じがします。要するに化け物です。そんなものを、神でもない普通のただの人間が教育するなんて、信じられません。私だったら、学校の先生にそんなことはしてもらいたくない。非常に難しい問題を抱えて、悪魔に魂を売ることになる。答えのない問題ほど甘い蜜はありませんが、一旦捕まってしまうと、地獄に落ちる以外に逃げ道はありません。道徳心とやらに呪い殺されることになる。

杜胡道士は言われた。私は、普遍的で絶対的な善があると思ったことはない。

そのうちにまた、「すすめしょうこくみん」を歌わされるようになるのではないかと危惧している。そしてそれが彼らの理想なのだ。

2017年03月26日初出のものを2021年5月20日に改訂しました。

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