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R.ドーキンス「利己的な遺伝子」

 R.ドーキンス「利己的な遺伝子」やっと読了。(u˘ω˘)
 これで人をつよく殴れば間違いなく死ぬレベルの、鈍器のような分厚さの本の実に2/5が注釈やあとがきや索引という、とんでもなくボリュームのある本だった。

 遺伝子レベルからヒトの行動を捉えようとしたことの無い人にとっては本書は間違いなく、極めて刺激に満ちたものだ。
 根源では遺伝子の乗り物である生物はすべからく「自己の遺伝子の繁殖」という身もふたもない命題に従っており、生物の殆どの言動はそこに落とし込むことが出来る。まるでフロイトに「夢の中で電柱を見た?それは男根の象徴です」と云われたような衝撃だ。
 面白い事例や意外な事例も満載で、それらを卑近に落とし込めばなるほど、僕らは遺伝子の乗り物なのだと誰もが唸るしかない。

 しかし僕は本書を読み進めながら、どうにもしっくり来ない小さな違和感を覚えていた。遺伝子の命題からすれば、老人の言動は遺伝子的に一体どういう意味があるのか?アニメの半裸女性に魅了されたオタクらの遺伝子は、末代を自ら選んでいるという矛盾は?
 本当に僕らは、その思考や行動のすべてを、遺伝子に操られているのか?

 本書の佳境は間違いなく、第11章「ミーム ── 新たな自己複製子」だ。
 ここでは、脳の記憶能力や思考能力により産み出された様々な発想や規則や様式をミーム(meme、模倣子)と名付け、それがヒトの間に伝播する様相を遺伝子と似たものだと見做している。

 遺伝子は、どこまでも利己的だ。生物が利他的なふるまいを見せることはあれど、それは数千数万あるいはそれ以上の果てしない試行の末に選び抜かれた、自身の生存戦略に有利なふるまいのようなのだ。

 ところが、遺伝子の根源の要求に応じ産み出された脳が、自身(の遺伝子)の更なる優位を求めその機能を発達させるにつれ、水や石などには決定的に無い機能まで保持するに至った。記憶と思考だ。この領域で産まれた模倣子(ミーム)は、純粋に利他的な行動を促すことができるし或いは、遺伝子の渇望に逆らい自ら命を絶つことすらできる。神の臨在を確信し、この宇宙を構成する最小単位を探求し、数十年数百年先の世界の有様を左右しようとする。

 ヒトだけではない、野生の動物もその脳の機能に応じたミームを持つ。
 UNIVERSE25で実験ネズミらが自ら滅んだのは、おそらくミームによるものだ。動物園に入れられた個体がストレスにより自殺する事例は聞いたことがあるだろうか?イルカ達が仲間をレイプする事例は?そういうひどい事例だけでなく、例えば森の中を鹿と狼が連れ添い歩くという事例は、遺伝子だけでは説明がつかないだろう。

 本章結末のこの一文を読んだとき、僕は我が意を得たりと膝を打った。
 遺伝子という"派閥"に囚われない自由が、ミームにはある。家族を超え人種を超え種族を超え、僕たちはその優しみを、遍く地球へ広める能力を持っている。トートロジーに陥ってしまいそうな危うさもあるが、ミームは僕たちが僕たちであるための、最大の武器でもあるのだ。

 利己的な遺伝子を見据えつつ、模倣子を世界に羽ばたかせよう。

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