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さすらうの雑記#4 少年ハイジャック事件3件

はじめにお断りを入れさせていただくが、私は飛行機マニアではないのでそのあたりの細かい部分などは記事内では触れていないのでご了承いただきたい。発着地や機体名は当時の新聞記事をそのまま引用し記した。
ハイジャック事件といえば昭和世代なら年末の特番の『昭和の重大ニュース』などで何度も見た赤軍派の事件、平成世代なら「9.11」の映像が印象に残っているだろうか…2010年以降は世界的に見ても数件のハイジャック事件があるだけで過去の経験が活かされて今日の安全が確保されている。
羽田の展望デッキから眺める次々と飛び立つ飛行機は圧巻だが、こんな大きな飛行機を乗っ取るなんて大それた話で想像もつかない話だが70年代に未成年によるハイジャック事件が連続して発生したのだ。発生順に事件をまとめた。

①74.3.12 羽田発那覇行 日本航空903便

1974年3月12日、テレビでは29年ぶりに帰国の小野田さんの話題が中心だったが午後になり水を差すように飛行機が乗っ取られたとの一報が入った。
ハイジャックされたのは羽田発那覇行日本航空903便ボーイング747SR型エアバスで沖縄上空に差し掛かった午後1時過ぎの出来事だった。
乗員乗客426人で何かあれば日本の航空史上最悪の事態も想定される。
那覇空港は閉鎖され、県警本部長が指揮を取る対策本部が設置され那覇署署長も入る。
はじめは複数人の犯人らしき者がいるとの情報もあったが、那覇空港に着陸後に女性や子供、老人162人が開放された。犯人は海外行きを断られると現金2億円とパラシュートやロープ、シャベルを要求。
日本航空の職員を装い機内に入った県警の警備課長からの情報で犯人は一人でしかも少年の可能性が高いとの報告により夜7時40分に機内に突入した7人の刑事により犯人は夜8時8分にあっさり逮捕された。
逮捕されたのは愛知県在住の18歳。操縦室に侵入し紙にローマ字でタイプした手紙を封筒に入れ機関副操縦士に渡し複数人を装ったが結局は単独犯で少年が持っていたカバンには凶器などもなかった。
息子が「いつ帰るかわかりません。お元気で」とローマ字で置き手紙を残して家出していた父親は、逮捕のニュースを聞いて「もしかしたら、息子かも」と警察に連絡をしていた。
家を出て新幹線で上京し港区芝のホテルに前日に泊まってから翌日に犯行を決行。
六人兄弟の末っ子で目立たない普通の子という評価だった工業高校を同年3月に卒業しホテルに就職。勤務態度は真面目でいつも必ず1時間前には出勤するタイプだったが「将来がない」との理由で事件の一ヶ月前に辞めていた。「アメリカに行きたい」とも言っていたが、結局のところ動機も「地球上のあらゆるエネルギーや生物を研究するための費用が欲しかった」といういまいち理解しがたい動機だった。
翌日には家宅捜索されその後、那覇地検に送検されたが、これは余談になるが犯人が少年のため当然各社匿名報道だったが、海外メディアとつながっていた一部メディアが逮捕の第一報で実名を報道しすぐに訂正謝罪するというお粗末な一幕もあったようだ。

②74.11.23 千歳発羽田行 全日空72便

「ターン、ツー、ザ、ライト」
1974年11月23日午後9時45分頃、乗員乗客28人千歳発羽田行の全日空72便ボーイング727型機が茨城県霞ヶ浦上空に差し掛かった時に操縦席に若い男が入り込んできた。
左手に筒のようなもの、右手にライターを持っていた。ハイジャックされたと一報が入ったが、副操縦士と機関士が隙を見て男に飛びかかり2分間の格闘の末に男を制圧した。揉み合いの際に機関士が軽いけがを負った程度で乗客には怪我人はなかった。
予定より少し早くに羽田に着陸し男はあっさり逮捕された。ダイナマイトの筒のようなものは天体望遠鏡の筒をそれっぽく見せたものだった。
操縦席の入口は鍵がかけられてなかった事が問題視された。
逮捕されたのは16歳の少年で「受験勉強でムシャクシャした」「赤軍派の人が暮らせてる北朝鮮に行けばなんとかなると思った」「巨人軍の宮崎のキャンプを見たかった」「身代金を要求するつもりだった」と動機もバラバラだったが勉強によるノイローゼが主な原因と思われた。
道内在住の高校二年生は3人姉弟の真ん中。父は漁師で家に帰るのは年に数回程度、母親は勉強を押し付けるタイプではなく子供の好きなようにすればよいというタイプ。
毎日帰宅後に7~8時間勉強し寝るのは深夜2時、学年で一番を獲った努力型だが最近同じクラスの女子生徒にトップの座を奪われてひどく落ち込んでいた。
「物理、数学、化学がうまく行かない。このまま成績が悪くなるのがこわい」と校長宛に退学届まで用意しての家出で覚悟の犯行だった。
彼がその後にどうなったのかは不明だが誰よりも努力出来て一番になれるのだから、大人になり自分の居場所を見つけられていると願いたい。

③75.7.28 羽田発千歳行 全日空63便

1975年7月28日午後3時45分頃東京発札幌行(新聞記事原文まま)の乗員乗客286人の全日空63便L1011型トライスター機が宮城県上空に差し掛かったあたりでサングラスをした若い男が操縦室に入り込んできた。
「ハイジャックに遭った」と管制部に一報が入り機長の判断で同機は羽田に引き返し着陸。乗客を全て降ろした後に犯人が「ハワイへ行け」と要求するも燃料の量を理由に断られると一瞬動揺し「ならば沖縄に行け」と要求を変える。
機長が必死に時間稼ぎをし、犯人の「のどが渇いたのでジュースがほしい」との要求に操縦室にジュースを持っていったスチュワーデスがドアを開けた隙に7人の刑事が一斉に操縦室に入り込み犯人を確保。
逮捕されたのは神奈川県在住の高校2年生17歳だった。「ただ遠くへ行きたかった」「飛行機が落ちて死んでも構わないと思った」「乗客を降ろしたのは巻き添えにしたくなかったからだ」と取り調べに素直に応じた。10年前に両親が離婚し母子家庭で弟が一人いる。学校では無口で目立たない存在だが、高校の進路希望の欄に進学とも就職とも書かずに「?」と書いた。
母と義父が自分の進路の事で口論しているのを見てどうすればいいかわからなかった。過去に家出を二回ほどしている。近所からは明るく活発な弟とよく比較されていた。
「操縦席のドアをノックしたら開いたからハイジャックした。開かなければあきらめていた。」そう言って取り調べの検察官をあ然とさせた。武器などは持っていなかった。
結局は動機もイマイチわからなかったが、家宅捜索ではハイジャックした機体のパンフレットや角川文庫の『スカイジャック』、航空関係の雑誌数冊が見つかった。
同機は6時間遅れで千歳に到着したが、この事件で全日空が少年の母子家庭に694万円の賠償請求をしたことで少年や母親への同情的な声が上がり、逆に簡単に操縦室への侵入を許した全日空への防犯対策不十分への批判が強まった。
本件発生時で国内のハイジャック事件は9件目でうち3件が少年によるものということになる。

三少年とも資料を読む限りでは国家転覆や革命を志したり、反社会的な性格とは感じられない。クラスに一人はいるタイプだ。
この時代はハイジャック事件が多発していた事、感化されやすい10代、何かモヤモヤしていたエネルギーが大それた事へ向かってしまったということか…三事件とも死者が出なくてよかったと思った。

※三人とも処分不明です。ご存知の方がいましたらご教示ください。
【読売74.3.13朝夕】【読売74.11.24】
【読売75.7.29朝夕】【読売75.9.2】
【新潮74.3.28】【新潮74.12.5】【週刊女性75.8.19】

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