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「ないものはない」環境の中で学ぶ日々

わたしはいま、大学を休学して隠岐諸島の小さな町、海士町に来ている。

毎日の生活の中で、これまで学んでこなかったことを学ぶような日々を過ごしている。

海士町のコンセプトは、「ないものはない」。
島に来る前は、この言葉に違和感というか「ないものはないから諦める」みたいな ある種開き直りのようなものなのかと感じていた。

しかし、来て生活してみると、どうやらそういう意味ではなさそうだった。

この島に来て、わたしはむしろ対応力や柔軟性が鍛えられていると感じる。

ここでは様々な面で制限があるぶん、都会と比べて計画していたことがぜんぜん上手くいかないことがある。
お店も少ないし、営業時間も短い。使えるものも結構限られている。

いままでのわたしは、考えたプランがあったらそれに向かって何が何でも突き進む、上手くいかなかったら大パニック!という感じで生きていた。
都会に住んでいて、生活に不便さを感じたこともなかったし、実際1つしかプランを考えなくてもなんとかなっていたような気がする。

島に来た初日、わたしは唯一の移動手段である自転車に乗れなかった(3日目には練習して乗れるようになった)。
島に来て4日目にはパソコンが壊れてどうにもならなくなった。
その他にもヒヤヒヤするようなことが(まだ2週間ちょっとしかいないのに)いくつか起きた。

こうしたトラブルにどうにか対処していくうちに、うまく事が運ばなくなったときには、
・いったん代替案がないか考えてみる
・自分で思いつかないときは人に聞いてみる
みたいなことを自然とするようになった。

「ないものはない」からこそ「そこからどうする?」と新しいスタート地点から考えられるようになってきたのだ。

まあ、よく考えれば当たり前のことではあるんだけど、これまで我流を貫くことが多かった自分にとっては大きな転換だった。

「ないものは『ない』つまり、全てがある、ということでもある」
この言葉の意味が日々の生活を経て少しずつわかりつつある。

ないものはない、それを受け入れた上でどう行動していくか。
日々、この問いを投げかけられているような気がする。

また島について書きます!
読んでくださってありがとうございました。

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