登山

受け入れられている事

7月20日
8時間行程の登山に挑戦して来ました。

50代最後の今年は、多くの挑戦をしていきます。その1つです。

下山のための外山はこのところの悪天候で山が荒れていていました。

山道には多くの土砂が流れ込み歩く事が困難でした。倒木も流木もあり、自分が歩くべき道は自分で決め自分で安全を作っていくしかありません。

友人と二人きりの山は静かで、美しい緑は優しく包んでくれているものの、一度姿を変えれば、命も奪われるだろう事の解る山でした。

 自分のバランスを取りながら多くの事を考える事が出来ました。

友人が「仕事では、子ども達全てを受け入れるの?」と質問してくれたので、

「受け入れる」とはどういうことなのかを考える事が出来ました。

 教育に関する仕事は、私が子どもに受け入れてもらって始めて成り立っていきます。そして多くの場合子ども達は私を受け入れてくれます。
 この事には本当に感謝しなければならず、愛おしく感じます。
「学習」をするのが嫌な日もあるでしょうが、来れば笑顔を見せてくれて、挑んでくれます。どんなに「自分のためになるんだよ」と言われても、さっぱり解らない日々だと思いますが、私自身を受け入れてくれている事は、ありがたいです。

 子どもは、多くの場合大人を受け入れ、一緒に楽しんでくれます。その大きさに気づかず、自分が子どもを受け入れているかの様に感じてしまうのは、受け入れている器が小さすぎてその周りが見えなくなってしまうのだと思います。

 子育てもきっとそうなのかも知れません。
子どもは親を受け入れてくれて、その器の大きさに気づかず、右往左往してしまう日々でした。子ども達が受け入れてくれている中で、自分は何が出来るのかをしっかりと考えていかなければなりません。

 溢れる自然の中で8時間近く自分のバランスを取りながら歩く登山は、毎日の出来事の様で、何だか不思議な感じでした。

山を下りてから入れた足湯は、毎日の生活に例えると何になるんだろう? 本当に気持ちよかったです。

一緒に歩いてくれた友人に感謝
下山させてくれた山に感謝

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?