寺田

「冷たい知性」おもしろい

「冷たい知性」解りました。
この感覚が「冷たい知性」で合っているかどうかは解りませんが、50年以上前に出版された物を読んでみると、現在新しく出版されたものを読むのとは全く違う感覚がありました。

先ずは、文章の中へ大変静かに入っていけます。
これは、文体なのか本の雰囲気なのか自分が作っている読むための状態なのか解らないのですが、本当に静かに導入されていきます。

確かに新しく出版されたものは、「そうか!そうなのか!やっぱりそうだったんだ!」と最初から感動したり、発見したりと激しく動かされていくのですが、こうした静かな導入はとても久しぶりです。

小さい時に姉の部屋の本箱の前で座って読んだ絵本の時の様な空気が流れて来ました。親が毎月与えてくれた「ABCブック」の中でも「ウイリアムテル」を何度も取り出して読んだ時のたった一人の時間です。

寺田寅彦さんの随筆に「津波と人間」と言う章があり、こ興味深く読みました。劇的に書いていくのではなく色々な静かな現象を問題提起しながら書いています。
 
「二千年の歴史によって代表された経験的基礎を無視して、よそから借り集めた、風土に合わぬ材料で建てた仮小屋のような新しい哲学などは、よくよく吟味しないとはなはだ危ないものである」

と書いていまして、これは津波に関する事でなくてもどんな事でもそうなのだろうと解ります。

だから、何度も新しい見方と昔からの見方を行ったり来たりして、何度も何度も吟味していく必要があるのだと思います。こう思える感覚は、とても気持ちが良いです。

「冷たい知性」は「冷たい人」で使われる「冷たい」の方を想像していましたが、露天風呂に入っている時の顔に吹く風の冷たい気持ちの良い「冷たい」です。(例に知性が無くすみません)

新しい考えにしっかりついていこうと必死でしたが、時々こうして「冷たい知性」に触れる事が何より大切だと思えました。

教室で4年生がたまたま「寺田寅彦」の文章の部分を学んでいたこと その日のうちにAmazonで「寺田寅彦」「川喜田二郎」を頼んだこと その日、市川先生が「冷たい知性」の投稿をしていたこと ぐいぐいと繋がる色々なことに本当にお腹の底からワクワクします。

どんどん続きを読もうと思います。

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