【大河ドラマ連動企画 第34話】どうする氏理(内ヶ島氏理)

石川数正、出奔が家康家臣団に与えた傷はあまりに大きかった。しかし、その出奔の真意に最後に家康が気づけた、いや家臣団全体が気づけたことはこの後の結束をより強めることになったのは間違いない。
そうした今回の間に起こった大きな出来事の一つが天正地震である。この地震は中部・近畿地域に甚大な被害をもたらしており、特に当時長浜城を領有していた山内一豊の娘が建物の崩壊により死亡したことは有名である(2006年大河ドラマ『功名が辻』にも描かれている)。
そしてその天正地震により悲劇に巻き込まれたのが、内ヶ島氏理である。「どうする」ではどうにもならなかった、ある一族の悲劇を語る。

内ケ島氏は元々足利氏の馬廻衆などを努めていた。季氏は義満の馬廻衆だったという。その子・為氏は足利義政の命令により、白川郷に入郷。帰雲城、向牧戸城を築城し、勢力を誇った。応仁の乱に際し一時上洛し、帰国した為氏の前に立ちはだかったのが、浄土真宗・照蓮寺の僧侶から還俗した三島将監とその弟・明教であった。為氏は激戦の末、三島将監・明教の兄弟を敗死に追い込むがその後蓮如の仲介もあり一転して協力体制を敷く。そうして為氏の子・雅氏の代も協力関係を構築する。以降、白川郷を中心に両国経営を進める。当時の同地は鉱山および硝石の一大産地であり、これらを取引して得た利益が彼らの経営基盤となった。実際に飛騨国司の姉小路氏や上杉謙信の侵攻も撃退した実績がある。また、織田信長の勢力拡大に対しては臣従し、北陸侵攻においても活躍したとされる。

そんな彼らだったが、雅氏の孫・氏理の代に本能寺の変で織田家は弱体化。羽柴秀吉の命で飛騨には金森長近が侵攻する。氏理は抵抗するも敗北、降伏する。ただ、彼らの豊かな経済地盤を知っていた秀吉はこれを利用することに決定。彼らの所領を安堵する。これにより無事氏理は帰雲城に帰還することができた。これが、最大の悲劇を生む。

帰城した氏理は一族や重臣を帰雲城に集め、和睦成立・本領安堵を祝う宴を開催することに決めた。その中には娘婿の東常尭(東常縁の子孫)もいた。しかし、その深夜に天正地震が発生。巨大な山崩れが発生し、庄川をせき止める。大規模な土石流により、帰雲城は崩壊、土中に埋まってしまい、その日たまたま城を出て隣町に行っていた家臣を除く一族・郎党が全員死亡し、内ヶ島氏は断絶してしまう。戦乱の世をなんとか生き抜いた矢先に、天災によって滅ぼされるという後味の悪い最後を迎えたのが内ヶ島氏理である。

余談ではあるが、彼らには一つの伝説がつきまとう。先に上げた通り、硝石・鉱山収入が彼らの豊富な財源であった。彼らの城には大量の黄金が残っていたとする説がある。いまだに帰雲城の正確な位置すらわかっていない現状ではあるが、この埋蔵金を追い求める人たちもいまだに存在している。

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