「サムライせんせい」150年後に受け継ぎたい想いとは

コロナウイルスの第3波が猖獗を極める中、特にすることがない。自分の趣味は案外とアウトドアである(城巡り、リアル脱出ゲーム、ボードゲームなど)。職業上、都市圏への移動を制限されてしまうと必然として、こうしたアクティビティが出来ず、詰む。読書も長時間真剣に取り組むと疲れてしまう(今は「応仁の乱」を読んでいるところだが、小説のように流し読み、とはいかない。)。

そうなると、娯楽として映画と言うものが上がってくる。ちょうど時間が出来たのでいくつか作品を見ることにした。今回見たのは「サムライせんせい」(2018)。渡辺一志監督、市原隼人主演。
少し調べると、どうやらこの作品はマンガ原作のようである。TVドラマ版もあるそうだが、どうやら結末やストーリー展開が異なるようである。今回は映画版の感想となるため、未視聴の方はネタバレに注意していただきたい。

主人公は「サムライせんせい」こと、武市半平太。元治元年、土佐藩によって捕縛され入牢中の状態からなぜか150年後の高知にタイムスリップしてしまう。窮地を救ってくれた佐伯さんの営む学習教室で先生として過ごしていく中で様々な出来事が起こり…

と言ったあらすじになるのだが、ここに書かれている内容だけでほぼ前半が終わる。だが、現代にタイムスリップした武市が意外と適応しているのに対し、周りの「サムライ」に対するリアクションがオーバーすぎる点はやんわりとした(本作のほぼ唯一の)ギャグシーンである。この作品、まず何がすごいかと言うと、この荒唐無稽な内容に比して笑いどころがほぼない。真っ当にストーリーで勝負できるのである。敢えて突っ込みどころを挙げるとするならば、いくら150年後とは言え、ある程度の土地勘はあるであろうし、高知城の存在に気づかないはずもない武市がひたすら「ここはどこじゃ」と言っているあたりであろうか。また、中盤、武市はとある人物に「山内家はどうなった?」と訪ねているが、彼が未来に来た時点で政治経済に興味を抱かないわけがなく、やや不自然である。

そんな些末な事はおいておき、武市は佐伯学習教室で子供たちにすぐに馴染んでいく。もともと武市は剣術道場を開くなど、指導者としても優れていたし、実直な性格で子供にも好かれやすい面はあったと思う。ただし、前任者の佐伯さんの指導がよほど良くないと礼節正しい態度を取ることは難しかったように思う。もっとも、少しひねくれた現代っ子を指導するサムライせんせい、というのも少し見たかったところではあるが。
そして、また様々な出来事に巻き込まれていく武市。果たして、元の時代に帰れるのか。

映画という構成上なのか、原作者が関わっているのかは全く不明なのだが、非常にすっきりと話がまとまっている。また、史実に対するリスペクトが深く、例えば、武市と坂本龍馬がお互いを愛称の「あぎ」「あざ」と呼び合っていたり、その他にも歴史好きならニヤリとするような小ネタが随所に散りばめられている。何より、この作品の主人公を「武市半平太」とした事こそ、作者渾身の配置の妙であろう。どうしてもこういった作品では「坂本龍馬」を主人公に破天荒だが何故か現代にもピタリとハマる教えを展開する凄腕先生、として据えたくなる。が、ここで実直そのものな武市を主人公とするとこれもまた、現代に通じる一つの教えが生まれる。すなわち、「礼儀」「信念」などの現代の日本人を形作ったイデオロギーを伝える事になる。実際に命のやり取りをしてきた武市の言葉だからこそ、子供たちにも響くのである。

結末まで話せないのが非常に残念なのだが、とにかく一度見てほしい作品である。

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