大学入試共通テスト 日本史B解いてみた 2024

今年も大学入学共通テストが行われた。大学入試の第一関門であり、私が受験生~大学生時代に「理論上満点を狙える試験」と評していた大学入試センター試験の後継に当たる試験であり、その前身たる大学共通第一次学力試験から実に45年もの歴史がある。

私は過去の栄光にすがるためのライフワークとしてセンター試験・共通テストを解くことを続けている。もちろん全科目は体が持たないので毎年数科目のみだが、必ず日本史だけは解いている。日本史検定1級を取得した2011年を最後に記憶力は年々低下し、2016年には71点(現役含め歴代最低点)を記録したが、近年は80点台をキープできている。現役時代は模試含め90点台後半を持続していた事を思えば物足りないが、ノー勉にしては頑張っていると自分を褒めたい。

とはいえ、記録しないのももったいないと思ったので今回早速解いた2024年日本史Bを茶化しながら解説していこうと思う。一般的な予備校の解説はおそらく教科書的な内容になるので「ざっくりここまで覚えておけば取れる」的な感じの内容になることをご容赦願いたい。また、私は大学における専門的な日本史学や教育課程などに準拠した日本史学を専攻していないため不正確な側面が出現する可能性も留意して読んでいただきたい。
※要するにガチの受験生は俺の解説を参考にするな、ということだ。こんなもん読んでる暇があったら教科書や資料集を眺めろ!

第1問

問1は要約すると「恵美押勝の乱」が起こったのはいつ、という問題。恵美押勝って誰やねん、と思った人には藤原仲麻呂と言えば分かるだろうか。藤原仲麻呂は藤原氏のうち「南家」の人物である。南家の特徴は「中二病ネーム」であるが、その片鱗は南家より前、藤原鎌足の子・不比等に始まる。比べて等しい奴がいない、紛うことなき中二病ネームである。その長男・武智麻呂は「Power&Wisdom」という中二病ネームのセンスも受け継ぎ、「南家」と呼ばれ、その子が仲麻呂である。最終的に恵美押勝に改名しており、恵まれた美しさ、そして押せば勝つ。中二病ネームの南家と覚えれば覚えやすい。
仲麻呂の父親と叔父たちは当時都で流行していた天然痘で急死(737)。一旦勢力を後退させた藤原家だが再度盛り返したのが仲麻呂である。大仏の建立(752)はこうした社会情勢の不安の払拭のための一大事業なので恵美押勝が反乱を起こすのはもっと後(764)。道鏡の台頭を防ごうとして起こす反乱なのでそれより前。bとcで迷ったのだが、養老律令がポイント。養老律令は大宝律令の改訂版として作られるのだが着手したのが不比等。実に3代に渡っての事業を完成させたのが仲麻呂(757)、という事を覚えていればこの後だと答えられる。
この後、南家は政治の中心的役割を失うので、中二病ネームの南家とだけ覚えておけば基本的には問題ない。
問2は年代並べ替え。内容を問うだけでなく年代を正確に覚える必要があり、毎年最大の難問と言えよう。Ⅰはいわゆる三浦の乱である(みうらではなく、さんぽ)。1510年は日本における室町時代後期(戦国時代)に該当する。テコ入れ(1510)失敗、三浦の乱、とおぼえてほしい。Ⅱは一見よく分からないが、全国を統一して朝鮮出兵したのは?そう、ムロツヨシ豊臣秀吉である。文禄・慶長の役は1592年から。異国に(1592)攻め込む文禄の役、である。Ⅲは応永の外寇で1419年。必死で行く(1419)ぞ対馬まで。ただ、これが分からなくてもⅢの「倭寇」が勘合貿易というシステムに関連していることを思い出せばヒントにはなるだろうか。
問3は史料読解。実は日本史B、史料を読み解けば答えられる得点源問題が多数存在している。「古文」をしっかり履修しておけばノー勉でも答えられると思って差し支えない。今回は六角氏の楽市令、織田氏の座への発給文書。よくある楽市楽座の裏をかき、六角氏が出した楽市令と織田信長が座の特権を承認した文書である。「信長だー!」で戦国時代自信ニキを引っ掛ける気マンマンである。
問4はまた文書が変わる。ポイントは16世紀後半。世界史の知識があれば即答できるのだが、各国による東インド会社の成立は1600年以降である。イエズス会宣教師が持ち込んだキリシタン版が有名である。吾妻鏡が何なのかはここ数年の大河ドラマを見ていた武衛やどうする家康民の諸君なら即答できると思うが、鎌倉幕府による公式歴史文書である。ちなみに誤答の鎌倉幕府の滅亡とその後の内乱を題材とした軍記物はおそらく『太平記』であろう。
問5も結構難しい。Xの人物は大槻玄沢。私塾開設よりも『解体新書』絡みのほうが有名な人物だが、緒方洪庵が福沢諭吉らの師匠として大阪で適々斎塾(適塾)を開いていた事を覚えていればなんとか弾くことができる。Yは為永春水。これもヤバヤバ問題だが、滝沢馬琴が葛飾北斎と同年代であることを履修済みなマスター諸君なら天保の改革では時期外れで除外可能。
問6も史料読解問題が半分。問題は明治時代の風俗だが、いくらなんでも文明開化直後に文庫本などが簡単に手に入る時代とは思えない。三宅雪嶺、陸羯南、黒岩涙香など誰でも良いので覚えていれば、この時代に日刊紙・雑誌が創刊されまくった事実にたどり着けるはず。
私は上記思考回路を用い、第1問は満点だった。

第2問

問1はまさかの家庭科である。カメとコシキ、どっちが食品を煮るか蒸すかなんて知るわけ無いのでそこは覚えてもらうしか無い。ただ、後半はわかりやすい。写真の説明文を見る限り、どう考えても3では煮物が作れない。セイロ蒸しなどを思い浮かべればよい。ということで後半は正解なので、正・正か誤・誤しかありえない。カメ型墓棺、というのが弥生時代くらいにあったと思うが、あれに穴が空いていたら嫌じゃない?ということで、組み合わせはあっていると考え、正・正。
問2も史料読解で解説不要。いくらなんでも尾張が愛知県、くらいはわかると思うので都より東側の国から…が×というのはわかるはず。
問3は鬼門の年代配列。ただ「高松塚古墳」「寝殿造」「唐風」のキーワードを拾うだけなので今回一番簡単。
問4はコロナ禍でも話題になった蘇に関する史料読解。説明不要。
問5はまとめだが、意外と難しい。だが、2つずつの選択しから選ぶと気づけば大丈夫。木簡に多量の情報が書けないのは見たら分かるだろう。次は意外と難問だが、国家の公式歴史書に一地方官僚のがめつい話を載せるか?と考えればよい。最後の平安時代には公式の国交がなかった事を思い返せば、商人の来航が正解と分かる。今年の大河ドラマの人物相関図を隅々まで眺めていた人なら正解できるかも?
ここも無難に解いて16点。

第3問

問1は中世の朝廷についての並べ替え。Ⅰは後鳥羽上皇による承久の乱に関する記述。北面が白河、西面が後鳥羽と最初と最後の院政上皇コンビが兵力増強している事がポイント。Ⅲは悪党の取り締り、とあり鎌倉幕府崩壊の引き金となった出来事。ここまでは覚えていたのだが、問題はⅡ。これを六波羅探題の設置と読み違えてしまい誤答となった。京都の行政権を朝廷から譲り受けたのは足利義満の代らしいが、おそらく現役時の自分でもそこまでは覚えていなかったので正答は難しいだろう。
問2は永仁の徳政令に関する問題だが、これについては痛恨の誤答をしてしまう。「永仁の徳政令」が適応されるのは「地頭御家人買得の地」とはっきり明記されているにも関わらずこれを読み落とし、その結果連動して後半も間違えてしまう。史料を読む際に焦ってはいけない。文頭から末尾まで余さず読むべきである。
問3はこれまた鬼門の業績問題。一条兼良は文化史系の巨人、という認識だし北畠親房-『神皇正統記』はベタ中のベタで余裕だったが、問題は連歌。確か『応安新式』『菟玖波集』は二条良基で良かったよな…と思いつつ不安は残った。宗祇は『水無瀬三吟百韻』『新撰菟玖波集』だったような…でなんとか正解。おそらく『新撰菟玖波集』との引掛けである。流派は有名人を順番に上下、もしくは左右に書いて時系列を覚えたほうが良い。
問4は分国法。どこの大名の分国法か、ということはどうでもよく、内容から推測する実質古文である。
問5もただの現代文である。というか、歴史単語が分からなくても「実力行使している=あらっぽい解決策を選んでいるのはどれ?」なので常識問題とも言える。

というわけで前半に大きく叩いてしまい、9点にとどまる(7点減点)。

第4問

問1は衣類の変化に関する問題。麻・苧と木綿、国内でどっちが後から流行ったかはなんとなく覚えているだろう。太閤立志伝や信長の野望などで木綿の特産品があったりするのもポイント。ウが悩ましいが、この時代にペルーのポトシ銀山と日本の銀が世界を席巻したことを思い出せると嬉しい。
問2はまたしても年代並び替え。禁教令が家康時代、島原の乱が1637年なのは思い出したが、来航制限を1639年とする痛恨のミス。それは来航禁止。来航制限は1616年。
問3は俵物の正誤判定。俵物は中国貿易の主たる商品なので需要が高まった。だから、来航が減少したとは考えにくい。(後で調べると輸入超過に伴う金銀の流出抑制が目的だった。あったわーそんなの。)一方で干しあわびやいりこは北国の海産物なので蝦夷地から来た、ということ(北前船含め)を覚えておけばよい。
問4は史料問題。説明不要。
問5も史料問題だが、後半が問題。定免法が享保の改革とおぼえていたので弾いて正解。
全体ではやはり年号整序に足をすくわれ13点(3点減点)。

第5問

密度が上がって難問が続く近現代史に突入。
第1問は意外と難しい、が兵庫開港について孝明天皇がブチ切れて延期したことを覚えていれば簡単。
第2問は史料読解問題である。関税は少しややこしいが、海外の立場で考えよう。物を売りたい時に税金を上乗せされたら困る。なので、輸入関税は引き下げを要求すべきなのである。
第3問も史料に書かれている通りに読むだけ。
第4問はa.とc.の正誤判定と言ってもよい(自分にとっては)。b.の加藤弘之は記憶にないのでa.の内容を信じるしかなかった。c.だが(確か蹴られたのってフランス流民法だったよな…)とうっすら覚えており正解。
第5問はノーダメージで走り抜けることができた。

第6問

問1は史料問題が難しい。史料1が全くわからない。でも相互不可侵的な内容だし多分戦前だと不平等条約改正したくらいのやつかなーと。(今書いていて気づいた、日英同盟だこれ)史料2は国際連盟なのであんまワシントン会議関係ない。史料3は「主力艦」の保有制限なのでワシントン条約。ということでギリギリ正解。
問2のときの内閣、誰だっけ…若槻禮次郎?(→田中義一だった。若槻の次)。1は平沼騏一郎?広田弘毅?(→加藤高明だった。現役生的にはここがひっかけ?)。2は山本権兵衛(正解。権兵衛さんはとにかく不遇なイメージ。第1次はシーメンス事件でわやになり倒閣。第2次は関東大震災直後に前任の急死でいきなり組閣したのに虎ノ門事件。)3はシベリア出兵だから寺内正毅?(決めたのは寺内、動いたのは原敬?)ということで半分間違っていたが時代感だけで正解。
問3は史料読解で説明不要。
問4は少し難しいが戦前史も感覚で解ける。a. c.はあっていそうな雰囲気で、b.は「国民政府を対手とせず」の有名な文言を覚えていれば瞬殺。d.は曖昧だけど、たしか喧嘩を売ってきたのはアメリカだよね…と弾く。
問5.は常識で考えれば、まあ。
問6.はやはり記憶の鬼門、年号整序。Ⅱを「日米新安全保障条約」(しかも70年安保)と間違えたのが痛恨。なおなぜかⅢは60年安保と理解できていた模様。
問7もまさかの勘違い。インドはそもそも会議に参加すらしていない。参加、かつ調印せずの特殊パターンはソビエトのみ。
最後に失点を重ね、6点減点の16点で終了。

総括

合計は84点となった。センター試験から数えて17回目の挑戦としてはまずまずの結果といえる。
大切なのは「時代感の把握」と「史料読解=国語」であり、これを抑えるだけで8割が狙えるということだろう。単純に文化史を抑えるのではなく、個人の伝記などで福沢諭吉の師の緒方洪庵先生の塾「適塾」を覚えていたり、ゲームや漫画の知識で答えたり、と総合知識でも戦えるのが魅力である。だが、その更に上、満点を狙うためにはやはり細かい暗記が求められ、年号や事項名などの細かい内容の正確な対応は必要となる。特に奈良・平安期の政治闘争、鎖国制度や近現代史などのように短い期間の間に密度が濃く事象が多発している場合その順序は明確に覚える必要がある。


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