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イヤフォンを「こう」つけることについて考える

イヤフォンの正しい付け方はこうらしい。twitterで流れてきたのか、テレビで見たのか忘れたがこれを見た時は驚いた。自分はこれまで間違った付け方をしていたのか。すぐに家でこの付け方でつけてみた。確かにこの付け方でも違和感はない。これはいいことを知ったと思った。

数週間後、高校に通学中の電車で同じ高校の子が同じ車両に乗った。対して絡みはなかったので話しかけなかったが、様子は見てしまう。
彼は参考書に頭をもたげながら、bluetoothのイヤホンをポケットから取り出す。そして、”あの付け方”でイヤフォンをつけた。
その時僕は「なんてみっともないんだ!」と思った。
どうしてみっともないと感じたかその時はわからなかったが、
おそらく
「twitterで見たからってすぐこれまでのやり方を変えるなよ」
と思ったことと、
客観的に見て分かったのだが
「bluetoothだと単に見た目としてダサすぎる」
と感じたからだろう。

自分は”あの付け方”を知った日以降は”あの付け方”を忘れていたので”あの付け方”でつけていなかったが、電車の日以降つけることは無くなった。

この気持ちはなんだったのだろう。
これが正しい方なんだと知って迎合することがカッコ悪いことのように思うし、おそらくだが彼は”あの付け方”をした状態で電車を見渡し、他の人が従来の付け方をしているのを見て「みんな間違った付け方でつけてるわ〜」って思ってると思うとよりなんて空回りしてるんだと思ってしまう。

まず正しいつけ方ってなんだ。僕がこの付け方を知った時メリットデメリットの話はなかった。仮に、彼が正しいことを理由にあの付け方をしていたのだとしたら本当に意味のないことだと思う。

こういう、奥にある理由などを考えずに全く疑問をもなく”正しい”ほうに行こうとする人がめちゃくちゃ短い横断歩道の意味のない信号を守ったり、このガールズバーは女の子に手出すの禁止なんですってのを間に受けて手を出したやつに敗北感を抱くのだろう。恋愛禁止なんですってルール。その正しさに覆われてるおかげで告白しないで済んだりするし告白してない自分を肯定できるのだなと。

弱い人間は正しさに守らてる。でないとやっていけないから。




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