「坊主の女モデル」の存在について考える

どの業界においても、その分野のことを考えすぎたがために、またその分野において斬新なことをしようとしたがために社会性を失ってしまうという現象が起きている。

文学や美術などにおいては「このこと」を作家性、芸術点が高い、深い、玄人ウケという語彙を用いて救っている。

しかし、「このこと」に対応した言葉はない。先ほど上げた四つの語彙も「このこと」をがっつり表してるとは言えない。
その意味の横をただ通過するわかりやすい言葉でしかない。
(厳密には〇〇現象という風にアカデミックな名前があるのかもしれないが)

このこと」を表すいちばんわかりやすい例が丸刈りの女モデルの存在だろう。
海外のファッションショーの映像を見ると、1ショー1枠のペースで丸刈りの女モデルが出てくる。

「なぜ彼女たちは丸刈りにするのか」
「どのくらいモデルとしてのキャリアを詰めば丸刈りにOKサインを出す感性になるのか」
また「大事なファッションイベントの前日にはきれいな坊主を作ることを心がけるのか」
丸刈りの女モデルを見るとこのことを想像してしまうだろう。

おそらくだが、彼女たちは美を追求し、普段から食生活も気をつけて、日々自分を磨くことを忘れず体を鍛え、それを繰り返して行った先に頭を刈ることを決めるわけだ。

モデルは元来、服を披露するための”人形”としての役割から始まった職業だ。そして服が綺麗に見えるように、そして服が似合うような女性を追求していくべきだ。だが、その過程でモデルが女の子の理想の職業としてのブランド力を持ってくるとそこにも応えないといけなくなる。
(おそらくバービーガールも同じプロセスを辿って理想の女の子になっていった。)

こうなってくると、丸刈りにする理由が複数パターン考えられてくる。
1、上述したモデル業界へのアンチテーゼの意味
2、丸刈りにすることでファッションに注意がいくようになる意味(これもちょっとアンチテーゼが入ってる)
3、美の基本はシンプルさ。故に自分の中から複雑さを抹消する意味
4、いろんな美しいものをたくさん見た結果、それらが頭の中で飽和してきて坊主が本当に美しいものに見えてきたと言う意味

理解できなかったものも、その人の気持ちになって、文脈に沿って考えることで異常なものには見えなくなってくる。
丸刈りの女モデルを見ると「世界は広いなー」「いろんな感性があるなー」と思ってしまう。
丸刈りの女モデルの存在はそんな私たちに「自分たちは無知かもしれない」
と脳を刺激する。
(実際は無知なわけではなくて単に危機感を煽るようなもの。ショッピングセンターにある服屋さんで奥の壁全体が鏡になってるせいで店内が2倍の大きさに見えるのと同じようなこと。)

みんなが





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