見出し画像

サトヒノとポケカ

どうも。サトヒノです。
ハジメマシテの方はこの記事で少しでも知っていただければ幸いです。
今回は『サトシのヒノアラシ』こと『サトヒノ』がポケカと歩んできた28年弱を文章化してみようかと思っております。
ダラダラと長くなりそうなのですがそれでも読んでみたいと思った方、ゆっくりした時間がある方どうぞ

ポケットモンスターカードゲームとの出会い

ここら辺の記憶は正直曖昧ではあります。
捏造や美化されている部分もあるかもしれません。
ポケモンを知ったのはご近所の一つ上の先輩がコロコロコミックを買っていてそれを見たのが始まりです。
新しいポケットモンスターっていうゲームが出る。
当時はゲームボーイだったんですが、その本体すら持ってませんでした。
母親が大きなゲームボーイ(なんか太めなやつ)でマリオとかを遊んでいた記憶がありますが、その流れで赤・緑を買ってもらった気がします。

幼稚園の頃からBB弾や牛乳瓶の蓋などを集めていた自分からしたら正にドストライクなホビーでした。
そして同じくコロコロコミックでポケットモンスターカードゲームなるものが出るらしいという噂。何かしら買い物に行ったときじゃないとなかなか買ってもらえなかった思い出があります。
第一弾やポケモンジャングル、化石の秘密の時は買って1パック。あとは拡張シートは何度か。ポケモンカードGBやデパートなどで置いてあったポケモン広報誌などを買ってもらっていました。2パック以上買っていたのはジムリーダーズのパックでした。構築済みデッキもエリカやナツメを当時買ってたと思います。パックを買えないのでトレードで友達から貰ったり。
デッキをつくるような知識がなかったので最初はカード集めから入っていました。そしてようやく作ったデッキはわるいハクリューがメインのデッキ。
昔のコレクション保存方法は母親が使っていた緑色のミッフィーが描かれたショルダーバックに直接イン。もちろんデッキにも使っていたので角折れは当たり前。今となっては考えられないです。当時はポケモンカードの漫画もあり、その本を読んで大会があることを知りいずれは大きな大会に出たい!と思うようになりました。

子供ながらにやりくりをしてポケカを買う

時は少し進み、ポケモン金銀が発売したころ。ポケモンカードも新しいシリーズに突入。neoシリーズです。ここら辺からパックを買ってもらうことが少しずつ増えてきました。両親と出かける、おばあちゃんちに行く。その度にパックを購入。当時スターターデッキも出ていたのでそれも買っていました。妹や従妹にもポケカを教えて出かけ先で遊んだりしていました。
サトヒノ初のポケカティーチングは妹でした。
そしてVS、eシリーズになると小学校高学年から中学生の時。ピアノの習い事に行くときにパンなどを買うためのお金をやりくりしてVSシリーズのパックを買ったりeシリーズのパックを買ったりしていました。
VSシリーズのパックは1/2ハーフデッキだったので値段も7~800円してました。しかもパッケージの違い気づいていなくて草雷のヤツばっかり買ってました。そりゃ集まらない・・。
ある夏に家族でキャンプに出掛けた時にたまたま公式が開いていたイベントがあり、そこに飛び入りで参加したことがありました。(丁度裏面が変わるころ)当時の大会のレギュレーションを間違えて参加してしまいましたが、その時対戦した高校生くらいの兄ちゃんがレギュ違いをスタッフに確認を取ったうえでそのまま対戦を続けてくれて、勝利賞のオレンジ色のデッキケースとホウオウのコインを手に入れた思い出があります。(景品を受け取ってそのままその兄ちゃんに渡しに行きましたが、大丈夫と言われたのも覚えてます・・・)
自分の意思で買いだしたシリーズだったのもありとても印象に残っています。一番好きなシリーズと公言してるのも収集対象の難しさと高レアのクリスタルタイプがあったところかもしれません。

思春期とポケカ

中学生になると部活を始め、その同じ部員のヤツらとの行動が多くなります。もちろんポケカを同じ部活の同級生3,4人としていました。
負けるのが悔しいとちょっとズルをしてみたり、自分の家でポケカの大会を開いてみたり。レギュレーションなどが分かっていなかった所もありいろいろと程よく自由があった時代でした。
高校にあがると同じ部活のヤツらとバラバラになり、ポケカで遊ぶ相手が変わりました。一人じゃ遊べないので同じクラスにいたポケモンを知っているって同級生にポケカを教えて昼休みとかに遊んだりしていました。高校は進学校だったので長期休み期間などに勉強しに学校へ行くことがありました・・ですが途中学校を抜け出してトイザらスへ行ってポケカを買ったりしていました。ハッピーセットでポケカが付くと聞いたときは、マックのハッピーセットを5個くらい買ってプロモを抜いたセットを友達にあげたこともありましたね。今とやっていることが変わってないですね。

この時福岡旅行に行ったついでに参加したポケカの公式大型大会で初めて出会った母娘からプロモのポケカを大量に譲ってもらったり、後々福岡で仲良くなったあのヒトに当時宮崎じゃお目にかかることのできないポケパークの2種のシートを譲ってもらったりと子供ながらにとてもうれしかった思い出があります。
今では余ったポケカをお店に来た子供に手あたり次第渡す側に・・・。

大学生でタガが外れてポケカを買う

大学生になるとバイトを始めて、お金を手にしました。
最初は高校の後輩の親御さんがしていたローソンにバイトしないかと声をかけられてバイトを開始。そこからポケカにつぎ込む額がおかしくなりましたね。
大学生に上がった時は大体DPシリーズ終盤。いつもお世話になっているカードショップ@ほ~む。宮崎店(当時はまだメディアクラブNISHIKI大工町店)に通い始めたのも大学生になってから。そのきっかけは、ある人との出会いから。
MRTmiccというイベント会場で行われたポケカの宮崎県大会なるものがあり、友達を誘って参加しました。その時にいたポケカの参加者は10人前後(そのうち友達が2~3人)そこで参加していたseraさんや早房さん一家と仲良くなり、宮崎ポケカ部の前身ができあがりました。カードショップの存在がまだ宮崎では稀薄だった為専らイオンのフードコートで遊んだり、早房さん家へご招待いただきそこで遊ぶ。を月に1,2度繰り返すとても楽しいひと時でした。早房さん一家はADV・PCGシリーズのカードをたくさん所持していて、自身のコレクションの一部はここから譲っていただいたものがあります。家族4人でデッキを組んでいくとやっぱり尋常じゃないカードの量が集まるようで、お家に遊びに行ったときには何かしら譲ってもらい、コレクションが増えて帰ることが多かったです。
(大変お世話になりました!)
ある時、宮崎市内にカードショップがあり、ポケモンカードを扱っているらしいという噂を聞いて向かったのが宮崎駅構内にあったカードショップ。
そこはポケカのイベントをしてはいましたが、店員の雰囲気があまりよくなく行きたくないなと感じてしまいました。次にseraさんが入手した情報でポケカを取り扱っているお店として向かったのがメディアクラブNISHIKI(現@ほ~む。)です。単品はまったくありませんでしたが新品のパックを置いており、対戦スペースで時の果ての絆を箱で開けていた店員さんに声をかけたのが現在の店長との最初の出会いでした。
店長さんとseraさんとの繋がりはここから始まっており、その後のポケカ人生を更に濃く太くしていく状況になっていきました。
ある時から早房さん一家は仕事の都合などで関西方面に移動となり今現在は連絡を取れていないのですが、移動先でもポケカを続けていることを願っています・・・。
いつの間にか、ポケカを買うときはそこのお店で予約をすることが当たり前になっていき、レジェンドシリーズ、BWシリーズと新弾が出るたびに2~3箱を買うようになっていきました。

遊ぶだけじゃないポケカへの向き合い方

プレイヤーで楽しんでいた時期もありましたが、ある時を境にプレイヤー側ではない部分でも考えることがありました。
それは、『勝つために手段を選ばない人たちが存在する』ことです。
宮崎でもポケカの大型公式大会が行われたことがある。というのは今遊んでる人たちは驚くんじゃないでしょうか?
初めての参加ではseraさんとの数少ないポケカ勢との出会いがありました。
2回目の大会では大学の友人も誘って大会に参加しました。自分自身が被害を被った形ではありませんが、友人は『遅延行為』をされたとのことでした。
相手はバシャーモFBのデッキだったと聞いています。
サイドを一枚とった段階でアレコレ考えた結果ターンを返すを繰り返し、
友人曰く
こちらはできることが少なかった為すぐ番を返すもターンが返ってくることが少なかった。
時間で言うとプレイ時間の3分の2は相手ターンだったという話。
その友人は今でもたまに会ったりしますが、その時を境にポケカを辞めてしまっています。

自分たちは今まで大会に出ていなかったのもあり制限時間内の対戦を終わらせなければいけないということ自体に慣れていなかった部分もあります。それでも何もできなければ番を返すのは当たりまえ。
大人がそんな手段を取ってくるということも念頭になかった純粋だった自分たちに良くも悪くも遅延行為を教えてくれたあの時にプレイヤーは今でもポケカをしているんでしょうね。公式資格を取った時も最初の公式セミナーの時もその人はサトヒノが見かけていますので。

その事もあってか自分は大会に出るよりも対戦以外でポケカに向き合っていこうと考えだします。
元々収集癖があった為今現在も続けているコレクション
大会を開いてみてみんなが遊んでいる風景を見ていることがなんとなく楽しかった、嬉しかったということで大会開催・運営
自分の友達のようなイカサマ行為で被害を被る人たちを減らしたいという気持ちで資格を取ったジャッジ

2024/04現在もヒワマキ杯を企画・運営・ジャッジを続けているのもその心構えがあったからなのか、それとも惰性なのか・・・。参加していただいているプレイヤーの皆さんにはどう映っているのでしょうか。
(緩く楽しめるような大会になっているといいのですが)

そして卒業~社会人4年目まで・・・

大学を卒業して最初の3年間は仕事の都合上福岡へ一人暮らしをしていました。
その時は苅田というところに住んでおり、ポケカで仲良くなったのがT氏。昔から競技ポケカをしており今でいうCL規模の大会では上位入賞を経験した強者。その方から昔のカードを譲りうけたり、昔のBOXの空き箱やグッズなどいろいろいただくことがありました。
今は自分の所為もあり疎遠になっていますがXではポケカのイベントを開くなどをしているようでこっそりフォローをしております。
社宅だったのもあり家賃水道光熱費がかからなかったものありその時稼いだ給料は9割ポケカにつぎ込み今現在のコレクションになっております。
旧裏初版セミコンプセットやタマムシコイキング、バトカニミュウツーEXなどなどはこの時期に購入しています。
また福岡でいろんなカードショップや大会を見てきて
『ここのお店は店員が・・・』
『このディスプレイいいな』
『こんな大きな大会を開いてみたいな』
という気持ちが湧いたりしていました。

その間宮崎では自分がいない間ポケカを買う人が居なくなり、お店でのポケカ新品の取り扱いを辞めようかとしていたらしく。
お店には無理を言って新弾が出たら毎回カートンを買うので福岡まで郵送してほしいとお願いをし、ポケカのコレクションを続けていました。
宮崎でのポケカ存続の危機が迫っていた
その中で2015年に公式からでた案内に
ポケモンカード公認資格が始まるという内容が。

そこから資格試験(ポケカ)の為に仕事の昼休憩や家に帰ってから勉強を頑張りました。
XYシリーズの拡張パックごとにカードをリスト化、特性などを書き出していきそれを特性の中身をソラでこたえられるようにしたり、旧裏から現行までポケモンカードの拡張パックの名前、順番などを覚えたりと今までにないくらい必死にしていました。
会社にも『ポケカの試験を取ってくるので連休をもらいます!』と朝礼で宣言し後には引き返せない状態で迎えた本番当日。
そんなものは杞憂となり、拍子抜けしたのを覚えています。

宮崎に戻ってから現在

ようやく宮崎に戻ってきて今現在まで
営業・現場を5年(XYBREAK・SM・S)
学校を2年
そして現職1年
2016年くらいからヒワマキ杯を開催。はじめはオーガナイザー公式イベントの申請をしていましたがそれ以降は年に1~2回となっています。
大会賞品の件で申請を控えていましたが、これからは申請をしていこうかと再度思い直しているところです。(みんな公認パック欲しいだろうし・・)
宮崎にいてもCLやシティのジャッジ稼働が出来るように(CLは抽選という悲しいところではある)なってきました。嬉しいことにジャッジ稼働の歴を認めて貰ってか、ジャッジで御呼ばれすることも多々。
長い縁もあってSMシリーズ後半くらいからカードショップ@ほ~む。宮崎店のポケカ専属プレイヤーを任されており
ヒワマキ杯の開催運営シャッジ
ポケカの記事(コレクション・新弾考察・デッキ案内)
ティーチング
などを担当しています。
記事は今お店の都合上停止していますが、お店側が落ち着いたら再開するかもしれませんね。

今後の目指す目標

今後サトヒノがポケカにおいてしたいことを書き連ねておきます。
①100人規模の大会を宮崎市内で開く
これは今現在のヒワマキでもあと少しというところまできましたが、お店のキャパもあり未到達となっております。
5人組戦を会場借りてから開くしかない・・・・?
その時はジャッジも手を借りなければ。
②コレクションの強化
コレクションも毎回追いつくようにはしておりますが、過去レギュのカードで値段が上がっている部分が難しいですね・・・。
そこを少しずつでも回収できればいいのですが。
③コレクションの展示会またはコレクターイベント
ヒワマキ杯でもちょくちょくしていますが、コレクションの展示会をしてみたいですね。他のコレクターにも参加して貰えるようなことができればなおGOOD!
④ジャッジレベルの強化・育成
これは個人の問題ではないのですが、
ジャッジとして稼働できる人数がいまだ少ないためその部分をどう補うか。
公式のキャラバンなども今始まっていますが、そこまで足を気軽に伸ばせないのが現実。
(そもそもプレイヤーも兼ねている人が多い為ジャッジとしての経験値を得る大舞台への参加が難しい)
カードゲームとしては子供にも分かり易く裁定を出していかなければならない為、どうやってかみ砕いていくかも大事。
今後ジュニアプレイヤーを増やす為にも大会としてのレベルなども設定することをお店の人とも話していく必要がある。
また、自分の友人が受けた遅延行為のようなイカサマにつながる部分を撲滅していきたいという考えもあります。
イカサマと疑われる行為としては
盤面が整理できていない
カードを机の下に落とす
デッキケースに組み替え用のカードを入れている
手札をサイドやトラッシュ近くに置く
山札を見た際にカードを意図的にバラけさせる、手前に持ってくる
シャッフルをせずに次のプレイをする
相手の山札を見るプレイ中にトラッシュを触る。
最初のシャッフルを7切りしている
などなどいろいろあります。
全部が全部イカサマとまではいきませんがイカサマにつながる可能性、疑われる可能性があるということをここに記載しておきます。
知識がないと守れる身も危うくなってきますので・・・。

以上でサトヒノのポケカの歴史をかいつまんでお話させていただきました。
もっと話を聞きたい部分がある方はサトヒノに聞いてみてください。
そして以下は有料部分。
特に何も書く予定はありませんでしたがここでは自分がジャッジをする時の考え方を書いていこうと思います。知り合いのイカサマなどもちらほら聞くこの界隈知識はあればあるだけいいと思います。
ここにしか書いていないことは全くないのでアレですが、コレクションの手助け等をしてくださる方、ご購入していただくと嬉しいです・・・。

ここから先は

1,389字

¥ 300

この記事が参加している募集

自己紹介

ポケモンへの愛を語る

コレクターとしてはまだまだ未熟ですが、頑張っていきます!宜しくお願いします!