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エジプト王朝最後の女王「この世を支配するのは男。その男を支配するのは私。」:その1 激動の生涯

こんばんは。
Satoimosanです。

わたくし、来週11月12日に「クレオパトラ」をテーマにしたブーケ・レッスンを開催いたします。そちらに合わせて、クレオパトラのご紹介を2回に分けていたします。長文になりますが、お読みいただけたら嬉しいです。

第1回目は、クレオパトラの生涯についてご紹介します。BGMに、熊川哲也さんのK-BALLETカンパニー「クレオパトラ」テーマ曲をどうぞ♪

人物紹介

💛クレオパトラ(ギリシャ語で「父の栄光」を意味)
3000年続いた古代エジプト・プトレマイオス朝最後の女王。アレクサンドリア生まれ。

◆プトレマイオス13世(クレオパトラの弟)

クレオパトラの弟。共同統治者。ジュリアス・シーザー毒殺を企て失敗。クレオパトラによって毒殺される。

◆プトレマイオス14世(クレオパトラの弟)
クレオパトラの弟。共同統治者。クレオパトラに毒殺される。

アルシノエ4世(クレオパトラの妹)
クレオパトラがプトレマイオス13世によって国外追放された際、エジプト女王になる。ローマ軍によってアルシノエはローマにつれて行かれて、更に、当時ローマの支配下だったトルコに連れて行かれ幽閉される。クレオパトラは、トルコ支配者アントニウスに、17歳のアルシノエを毒殺させる。

骨肉の争い4人兄弟姉妹を心理学視点で紐解くには、心理学師匠の新刊がかなり役立ちそうです。

🤍ジュリアス・シーザー(ローマ帝国のイケオジ・別名カエサル)
共和制ローマの政治家・権力者。のちに終身独裁官となる。何人か妻がいたが、子供はいない。クレオパトラと同盟・愛人関係を結び、子供カエサリオンを授かる。クレオパトラとの歳の差30歳。暗殺される際のセリフ「ブルータス、お前もか!」で有名。

🤍プトレマイオス15世・カエサリオン(カエサルとクレオパトラとの子供・プトレマイオス朝最後の王)
父親カエサルが暗殺された直後、母親のクレオパトラは、カエサリオンを弱冠3歳でエジプト王として据える。エジプト女王である自らの地位を確立することが狙い。クレオパトラが自殺した直後、紀元前30年に17歳で処刑される。

💙アントニウス(カエサルの部下)
カエサルの右腕。ローマ人の妻(オクタウィアヌスの姉オクタウィア)がいるが、カエサル暗殺後にクレオパトラと愛人関係となる。クレオパトラとの間に3人の子ども(男女の双子、その後男児)が誕生。アントニウスは妻と離婚し、紀元前37年にクレオパトラと結婚。

🔶ブルータス
カエサルの部下。カエサルを暗殺する。

🔶オクタヴィアヌス(カエサルの姉の孫)
ローマ初代皇帝。養父カエサルが暗殺された後、アントニウス、レピドゥスの3人で三頭政治を組織。カエサルの遺言によって、カエサルの後継者になる。姉オクタウィアとアントニウスを政略結婚させるが、アントニウスが、オクタウィアを捨ててクレオパトラと再婚したことに激怒。アントニウス・クレオパトラに宣戦布告。アクティウム(今のギリシャとセルビア国境あたり)の海戦で戦い勝利する。アントニウスとクレオパトラは自決。

エジプトとローマ帝国の関係性

古代エジプトは紀元前5千年前から存在し、クレオパトラの時代は2千年前になります。ローマが地中海全域や今の欧州部分を支配して、エジプトを除くほとんどの国々が、ローマの英雄・カエサルの統治下にありました。

エジプトは、肥沃な大地のお陰で独立国家として成り立ちました。3000年近い伝統があるエジプトとその王家が持っている資産も莫大でした。エジプトは地中海全域に穀物を供給し大きな港を要することから、ローマにとって最も重要な国の一つでした。女王クレオパトラにとっても、ローマの庇護は政情不安なエジプトを治めるために重要なものでした。

クレオパトラの生涯・「魔性の女」と呼ばれて

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていただろう」パスカル

大事に大きな影響を及ぼす些細な物事のたとえ
デジタル大辞泉「クレオパトラの鼻」の解説

クレオパトラの美貌に翻弄された巨大ローマの権力者カエサルとカエサルの部下アントニウス。彼女は祖国エジプトを守るため、彼らと愛人関係・同盟関係を結びます。そして2人の権力者との間に4人の子供を授かり、子供と共同統治の形態でエジプト女王として君臨しました。

クレオパトラは、ローマ人から「ナイルの魔女」と揶揄されます。クレオパトラに魅了されたアントニウスも、ローマ市民から「エジプト女に骨抜きにされた」と批判を受けます。

ローマの権力者達を骨抜きにして、彼らの運命を変えて破滅に追いやる。クレオパトラが「魔性の女」と呼ばれる所以です。

歳の差30歳・時の権力者を魅了して


*( )内はクレオパトラの年齢です。
紀元前51年(18歳)クレオパトラ18歳の時に父国王が亡くなり、8歳年下の弟と結婚してエジプト女王になります。当時は、共同統治者になるために親族間で結婚する制度がありました。

10歳の幼い弟の周囲には、エジプトだけで国を統治しようとする「独立派」勢力が群がります。一方のクレオパトラは、ローマと同盟してエジプト統治を目指す「外国派」でした。エジプトは、「外国派」と「独立派」に分かれて内乱状態でした。「独立派」はクレオパトラを国外追放して、クレオパトラの妹アルシノエを女王の座につかせます。

紀元前48年(21歳)クレオパトラは、エジプト女王の座を奪回するために、絨毯にくるまってローマ軍の権力者カエサルに接近します。クレオパトラと一夜を共にしてたカエサルは、一瞬で彼女に心を奪われます。

クレオパトラとカエサル
ジャン・レオン・ジェローム作品

カエサルは、21歳のクレオパトラをエジプトの王座に就かせます。クレオパトラは、もうひとりの弟プトレマイオス14世と結婚して、エジプトを共同統治します。

紀元前47年(22歳)カエサルとの間に息子カエサリオンが産まれます。カエサル暗殺を企てて失敗に終わったプトレマイオス13世は、姉クレオパトラによって毒殺されます。

ローマとの同盟を確実にするため、クレオパトラはカエサルをエジプトに招待します。カエサルも、ローマのウェヌス・ゲネトリクス神殿にクレオパトラの像を建てさせます。

そうした中で、カエサルの独裁政治への不満が高まり、部下ブルータス達によってカエサルは暗殺されます。身の危険を察知したクレオパトラは、子供カエサリオンと共にローマからエジプト・アレクサンドリアに戻り、権力統合に乗り出します。

紀元前44年(25歳)クレオパトラは、共同統治者だった弟プトレマイオス14世を毒殺し、幼い息子のカエサリオンを王位につけました。

愛人の部下との「歴史上最も情熱的な恋」

どのくらい、と言えるような愛は卑しい愛にすぎぬ。

クレオパトラがアントニウスに「どれくらい私を愛しているか」と聞いた際のアントニウスの言葉
シェイクスピア「アントニーとクレオパトラ」

カエサルを暗殺した勢力は、クレオパトラと息子カエサリオンの命、エジプトを狙っていました。

紀元前42年(27歳)。カエサルの腹心の部下マルクス・アントニウスがローマの執政官としてエジプトにやってきます。アントニウスは当時、同じく執政官だったオクタヴィアヌスを失脚させる方法を探っていました。

アントニウスは、クレオパトラの財源欲しさに、クレオパトラをトルコ南東部に呼びつけます。クレオパトラは、アントニウスが政治パートナーに求めているものは「大金」であることを的確に把握していました。

クレオパトラは、豪華絢爛な船の行列と共に女神のような装いでアントニウスの前に現れ、アントニウスを一瞬で虜にします。クレオパトラとアントニウスの関係は、歴史上最も情熱的な恋物語のひとつとして後世に伝えられています。アントニウスを魅了するクレオパトラの賭け引きは、こちらを参照ください。

紀元前40年(29歳)クレオパトラは、アントニウスとの間に男女の双子を授かります。この時点でクレオパトラは、アントニウスと籍は入れず、夫不在の「エジプト女王」として君臨することを戦略的に選びます。

紀元前36年(33歳)もう1人、アントニウスとの間に男児を産みます。クレオパトラにのめり込むアントニウスは、ローマ帝国の一部であったトルコ南部を彼女に贈ります。クレオパトラは王国を広げ、カエサリオンのためにシリア南部、キプロス、アフリカ北部を領土に加えます。

紀元前34年(35歳)。アントニウスはアレクサンドリアの競技場でクレオパトラを正式に「エジプトの女王」とする宣言を行い、プトレマイオス15世(カエサリオン)に「諸王の王」という称号と広大な領土を与えました。また、カエサリオンはユリウス・カエサルの正統な息子であると公認しました。クレオパトラと自身の間に生まれた3人の子どもたちにも王族の称号を与えます。

アントニウスは、オクタヴィアヌスの姉と離婚して、クレオパトラと再婚。姉を侮辱されたオクタヴィアヌスは怒りに震え、両者の対立は決定的なものとなります。オクタヴィアヌスはアントニウスに宣戦布告し、「ローマ対エジプト」アクティウム海戦に突入します。クレオパトラは、世界初の艦隊を統率した女性でした。

紀元前30年(39歳)海戦に敗れたアントニウスはクレオパトラが自殺したという知らせを信じて、自ら自殺を図ります。クレオパトラの自殺は誤報でしたが、アントニウスの死を知ったクレオパトラも、オクタヴィアヌスに屈することを拒んで自殺します。

クレオパトラは、彼女の妹アルシノエがローマ軍によって檻に入れられ見せ物にされ、ローマの支配下だったトルコに連れて行かれ幽閉される姿を思い浮かべていたのかもしれません。宿敵オクタヴィアヌスの支配下に置かれるくらいならば、死を選ぶのがクレオパトラらしいプライドの高さだと思えます。

勝利したオクタヴィアヌスは、エジプト・プトレマイオス朝を滅亡に導き、エジプトをローマに編入します。

参考 クレオパトラ7世とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

クレオパトラの最期

クレオパトラは毒蛇に胸を噛ませて自殺した説が有名ですが、近年の研究では、「アヘンとトリカブトを混ぜた服毒自殺であった」説が有力だそうです!前回の「魔性の女」ブーケレッスンでは、トリカブト使いました💜

なんだか綺麗に繋がっています…


以上、クレオパトラの波瀾万丈な人生をご紹介いたしました。エジプト王朝と女王としての権威を守り抜くために、手段を選ばない強靭な精神力と行動力。美貌と共に、知性も兼ね備える策略家としての一面をお伝えできましたでしょうか?

次回、「女王様マインド」からみたクレオパトラの考察をいたします。

Satoimosanでした。

参考文献