人間関係について思うこと


自分の幼少期を思い出し、いろいろぶわ~っと考えることがあったので文章にしてみます。長文になります。

私は、まさしく幼稚園~中学校までずっとイジメの対象になる子どもでした。イジメのマンガやドラマがあって、その内容に周りの人がありえない・・・とおいう顔をする隣で私は、「あぁ、自分もあったなぁ。」と冷静に受け取っていました。当時の私自身に考えられる要因としては、

・空気が読むのが苦手(多分今でもそうだと思います(笑))

・人との距離感を計るのが苦手なので何か人との接し方が不自然(多分今でもそうだと思います(笑))

・話し方おかしい(今でもそうですね(汗))

・要領が悪く行動が遅かったり、視野が狭かったり、機転が利かないため人に地味に負担をかける(今でもそうですね(汗))

・傷つけるとまではいかないけど、人が嬉しくないと思うような言動を、悪気なしにとることもあり、当時はなぜそれがだめなのかわからなかった。

・人によくない点を指摘された時、自分の価値観でそれくらい別にいいじゃんとスルーすることもあったし、本当にできないこともあったけど、できないから仕方ないと終わらせていた。(←大人になるにつれて意識だけは改善しようとするようにはなりました。できないところも多分ありますが)。

・すぐ言い訳をする

・自分勝手とまではいかないが、考え方が自分の価値観中心

・嫌なことされてもされるがまま

・自分と距離を置きたいだろうという人に、それに気づかずに距離を詰めようとしていた。

・イジメられていると感じたとき、その人から距離をおけばよかったのだがそれをしなかった。(自分がいじめられていると認めたくないという無駄なプライドがあったりもした。)

うん、イジメられる要素がそろっていましたね(汗)そういったことが積み重なり、当初は私を守ってくれていた人までもがイジメる側にまわったということもありました。

また、上記のような面をもっている人が周りにいて客観的にイラっとする気持ちもわかり、しかもその人が私に上から目線っぽくものを言ってくるのが積み重なり、イジメる側に私がまわってしまったこともあります。それは自分がされて嫌なことを人にしてしまった自分の愚かさに、今でも後悔しています。

いろいろ要素はあれど、イジメてよい理由なんてない。

イジメがおきる原因はただひとつ、

イジメる側の器が小さく、心が弱いから。

しかし、イジメる側を非難したところで誰も救われないし、何も変わらない。

いろんな人がいて、人に弱い面があるのは当たり前だから、イジメはなくならないものだと思った方がよいかもしれない。その上でどうするかを考えるのが大切。

イジメる側は、加害者になりさがってしまう前に、不快だと思う人からうま~く距離を置く。平和的手段で。(自分がされて嫌な対応はしないような手段で。)ただ、それなりに毒は貯まるとは思うので、被害者を出さない程度に別の場所で毒を吐ける(発散できる)場をもつ。悪口を言うのはよくないという概念にとらわれすぎて溜め込んで、実際に人を傷つけてしまう方がよっぽどよくないので。なので、溜まった毒の受皿になってくれる存在(話を聞いてくれて、悪口はよくないよとか正論を言うのではなくて、それはしんどいねと受け止めてくれる人)が大切だと思います。

イジメられる側は、イジメる人からとにかく逃げる。守ってくれそうな人に頼る。↓のリンク先の漫画見たとき、まさにそうだなと思った。

私がイジメられていた時いかに乗り越えたかというと、

・周りに自分を肯定してくれている大人がいたし、自分を受け入れてくれる友人も少しいた。

・ファンタジーな妄想にふけて現実逃避という自分の楽しみがあった。

・いろんな人と接していく中で、自分を客観的に見たような人と出会う。こういうところはよくないな、自分も気をつけようと思い、できるところは改善する。

私はそんなこんなで何とかなったのですが、実際悲しい事態になっているニュースを見ると胸が痛くなっていろいろ考えされられます。

加害者予備軍も、被害者予備軍も、最悪な事態に陥る前にうまくやるのが大切であり、

そのうまくやる術を大人が子どもに伝えていく社会をつくっていく必要があるのと思っています。決して単純な課題ではないのですが、いろんな人が向き合っていく必要があるものだと思っております。

子どもにいかにして伝えていくか、動きながら考えていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?