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わたしはたまたまラッキーだった

わたしはラッキー



わたしは本当にラッキーな人間だと思う。
両親とも公務員の家に生まれて、食べ物や着るものに困ることはなかった。
(謎に「うちは貧乏だ」と言われて信じて育ったので貧乏マインド?質素マインド?が染みついているのだが)

そして学費を心配することもなく高校に行かせてもらい、短大にも行かせてもらい、留学までさせてもらった。

頼れる身内がいる


そして何かあった時は実家に頼れる体制がある。
わたしを気にかけてくれる友人もいる。
家族みたいに程よい距離感で気にかけてくれる友人たちが。


食べるものもあるし電気もきている


お金的には、どんぶり勘定過ぎて、今月は厳しいな!という経験は何度もしてきている。
それでも食べ物に飢えたことはない。
家族や友人知人から野菜やお米などをいただくことも多い。
電気やガスや水道や携帯電話も止められたことがない。

色々ありながらも総じていえば平和に暮らすことができている。

それは本当にラッキーなことなんだということが、
大人になってから分かった。

それは実は当たり前ではなかった


様々な職業を経験する中で、
頼れる身内がいるということは、決して当たり前ではないんだということを知った。

頼れる身内がいないことで子育てしながら孤立してしまう人がとても多い。
子育ては分母が多ければ多いほど良い。
分母が少ないと追い詰めらやすい。
両親がそろっていてもワンオペの状況が多いとかも「分母が少ない」になるかと。

子どもでも大人でも困った時に困っているんだよね、と言える人、言える先があることがすごく大事だと思う。

自己責任って、わなわな、、、


「自己責任」っていう言葉があるけど、これは非常に古い時代の言葉ですねー。
けれども未だにこういう考え方の人がいて、たまに寒気がしますww
結婚したのはあなたでしょ?
離婚したのもあなたでしょ?
子ども生んだのもあなたでしょ?
だから自分でなんとかがんばりなさい。
自己責任です。
っていう考え方は冷たいですね。
書いていて怖いです。
でも分かりやすいかと思うので敢えて記します。

困っている時に困ってると言える


困っている時に、困っているんだよね、と言えて
それを一緒に考えてくれる人がいることがすごく大事かな、と。

身内で助け合えたらそれはそれで良いけれど、
身内が当てにならない、頼れる身内がいない
そんな時は血のつながりを越えてお互いに助け合えたら良いと思う。

それこそが優しい世界かと。

見えにくいけどある


こどもが困っているのは一見見えにくい。
遠い国のお話ではなくて、日本にも困っている子どもはたくさんいる。
一見わかりにくいけど。
守秘義務などがあるので、余計に伝えるのが難しいかもしれない。
わたしは、これまでの職業上日本の(地方都市の)人間のどろどろした部分、貧困の部分、闇という表現が合っているのか分からないけれど、きれいごとではない部分をたくさん見てきたので、何らかの形でそれを伝えていくお役目はあるのかもしれないと思ったりする。

今すぐ近くでできること


「わざわざ遠い外国に出かけなくても身近なところにやることがたくさんある」というのは短大時代(社会福祉学科)のゼミの先生の言葉。

本当にその通りだと思っている。
行政が手が届かない部分を、今全国各地のNPO等の団体が地域に根差して困っている子どもだったり家庭だったりを支える活動をしている。

お願い❤


(ここからはお願いになります)
なのでもしよかったら、お住まいの近くでそういう団体があれば、状況が可能であれば是非ご寄付をお願いしたいです。(多分たいていの団体では資金調達に苦労していると思います)。もしくはそのような発信にいいね、スキ等をする、拡散するのも応援になると思います。

少しでも関心を持ってもらえること自体が大きな応援になります。

お読みいただきありがとうございます。

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