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島唄と私

私と『島唄』(THE BOOM)の出会いは、小学3年生の時である。

この曲を加藤登紀子さんがカバーして歌っているのをCMで聴いた時、私には衝撃が走った。なんだこの音楽は。あふれ出るイメージ。沖縄という概念さえあったのかわからないが、何故か懐かしさを感じるメロディー。私は一瞬でこの曲のとりこになり、親に「この曲のCDが欲しい!」と、訴えていた。

しかし、私が当時住んでいた町はCDショップなどなく、電気屋さんの一角で売られているだけだった。親がその電気屋さんと親しかったので、さっそく電話して注文してくれた。

そして、待ちに待ってようやく私が手に入れた8cmCDは、儚げな表情の男性が写ったジャケットだった。

私はドキドキしながら、そのCDを聴いた。その瞬間を覚えている。
私はピアノ用の革張りの椅子の上に立ち膝で座り、足元にはそのCDのジャケットを置き、裏面の歌詞と、青みがかった写真を見ながら聴いていた。
その時私は小学2年生と3年生の狭間で、引っ越してしまった親友のこと、新しく来る転校生や、新しく代わる担任の先生のことなどが頭を駆けめぐった。新しい時代が始まる予感というようなもの。そのドキドキワクワクするような感情が、島唄の中に溶け込んで、流れていった。私はこの瞬間を、一生忘れないだろうと、その時思った。

あれから25年以上経つが、まだ、その時のことを覚えている。人生できらめいていた瞬間というのがいくつかあるが、この思い出はその中の一つである。

今でも私はなぜか沖縄や、奄美大島の歌に惹かれてしまう。Coccoさんや元ちとせさんは大好きな歌手だし、夏川りみさんの涙そうそうも好きである。私は北海道出身なのに、なぜか懐かしさを感じる。遺伝子が求めているという感覚がある。だから島唄は、そういう歌を好きになったルーツというよりは、そういう歌が好きなことに気づけた第一歩である。

作者の宮沢和史さんは沖縄出身ではないけれど、沖縄出身じゃないからこそ、感じられることもあると思う。イメージは、真実を表すとは限らないからである。現実を知らないからこそ、新鮮な衝撃として受け止め、イメージが膨らむこともある。

余談だが、私が大学生の頃、仙台の野外音楽イベントで、THE BOOMさんが島唄を歌っている所に偶然出くわしたことがある。
やっぱりこの曲は、私にとって、特別な歌なんだと感じた。

沢山CDは持っているけれど、このCDは別格である。

今も私は、紙の表紙も取れ、ケースの下半分もなくなって、ボロボロになってしまったこの8cmCDを開いて、たまに聴いている。
この曲を聴くと、まだ少しあの時の感覚を思い出すことができる。自分がどのように世界を捉えていたのか。その時の日常の雰囲気。それはことばにできないものだ。
歌詞の最後の方に「海よ 宇宙よ 神よ いのちよ」という所がある。海というのは不思議なもので、はてしない距離だけでなく、時空も飛び越えて、何か想いを届けてくれそうな気がする。
だから、8歳の時の自分が感じたあの想いを、この唄が海を通して聴かせてくれている。
そんな気がする。