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日記 2020年5月 欲望という他者が僕らをグロテスクな世界へと突き落とす。

 5月16日(土)

 朝から徹夜明けのようなしんどさがあった。
 というのも、寝たのが朝の五時だから仕方がない。
 熱いシャワーを浴びてから部屋を出た。
 本日は土曜日ということもあって、電車の席は空いていた。
 職場までの三十分の散歩をした時は、底の方に眠気があるものの元気だった。 

 昼休みに一度寝ようとしたものの、体が重く下に引っぱられる感覚があって、上手く寝ることができなかった。
 仕事終わり頃には意識が朦朧としていた。
 眠いというよりは、体がひたすらに怠い。
 今日は真っ直ぐ帰って寝ようと思う。

 帰りの最中に「さよならたりないふたり テレビver」を見はじめる。

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 山里亮太と若林正恭が即興漫才をするのだけれど、面白すぎて徐々に元気になる。
 漫才と託けて蒼井優と結婚した山里亮太が今まさに悩んでいることに、若林正恭が徐々に切り込んでいくのが、良質な文学作品を読むようで楽しくなる。

 部屋に帰ったころには眠気が飛んで、「さよならたりないふたり テレビver」の二週目を見る。
 その間に、ご飯を炊いて、noteの日記を書いて更新する。
 夕飯は豚肉と冷凍野菜を炒めて、おかずにする。
 結局、ベッドに入ったのが二十四時前になった。

 電気を切った後、とある方のブログを読む。そろそろ「とある方」と日記で書くのも限界を感じるので、名前をつけたい。
 ブログ名などを書くのは許可を取っていないし、少し躊躇がある。その為、「よる」さんと呼びたい。
 基本的に、ブログを読むのが夜(よる)というのもあるので。
 便宜上、よるさんと呼ぶけれど、却下されたら変更しようと思う。

 さて、よるさんのブログで「将来なりたかったものについて考えた」と書かれていた。
 僕の将来なりたかったものってなんだろう? と考える。
 なりたかった、とあるのだから、それは過去に思っていたことなのだろう。
 小学生の頃「将来なりたいもの」という作文を書いた。
 その時、僕は「今は分からない」と書いた記憶がある。

 当時の僕から見て、今の僕はどう映るんだろう。
 ブログの最後に、よるさんがよく書いていた終わりのあいさつが書かれていて、少し嬉しくなった。
 僕はそのあいさつに「よるさんの明日が穏やかで素敵な日であることを祈っています」と答えていた。
 今日は、よるさんとそして、これを読んでくださっている方の明日が穏やかで素敵な日であることを祈りたいと思う。

 5月17日(日)

 朝、少し肌寒く感じる。
 厚着をして部屋を出る。職場への三十分の道のりを散歩していると暑くなってきた。
 電車に乗って、ツイッターのトレンドに「オードリー春日」の文字があり、タッチすると「お笑いコンビのオードリー春日俊彰さんは16日、ニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』で、8日に第1子女児が生まれていたことを報告しました。」というニュースを見つける。
 ラジオを聞く前に知ってしまったが、おめでたい。

 当たり前みたいに他人の人生は進んで行くけれど、自分の人生は足を動かさないと進まない。小説もキーボードを叩かないと完成しない。
 けれど、キーボードを叩くこと自体は、それほど難しくない。千里の道も一歩から。
 道中も楽しみつつ小説を書いていきたいと思う。

 日曜日の職場は自由で、オフィスに入った時から音楽が流れていた。今回は懐かしい洋楽とのことだった。
 別の部署の男の子と仲良くなって、あーだこーだ喋る。
 やたらポケモンに詳しくてビックリする。
 同期の女の子といつだったかにポケモンの中で付き合うなら誰か? という話をしたことがある。
 同期は「オーロンゲ」とのこと。「身体が大きなおじさんが好きなの」

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 へぇ。
 同棲している彼氏さんはそんな感じなのかな?
「さとくらくんは? ポケモンを彼女にするとしたら」

 ふむ。
 ここでガチな答えなどしてはいけない。絶妙な、ちょっと面白い回答をせねば……。
 という意識が働いて、めちゃくちゃ考えて「バタフリー」と答える。

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 同期の反応は「ふーん(超普通)」だったので、上手く答えられなかったなぁと今でも反省している。

 (付き合うとかは置いて)ガチな答えとしては、「ポケットモンスター シールド」で使っていた「ニンフィア」が一番に浮かんでいた。ブイズ? フェアリータイプ? 最高。

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 ただ、これを同期に言うと「はいはい、可愛い系ね」と返されるのは目に見えているので、別の回答をしたかった。
 よく分からないのだけれど、同期は僕が可愛い子を好きと思っているらしい。

 ちなみに僕は同期を元ヤンキーの元ギャルだと思っている。
 ギャルって表現で正しいのか? 元派手系女子? とりあえず、過去の話などを聞く限り、そういうものに属していたと思っている。
 そういえば、今回仲良くなった別部署の男の子がポケモンの中で付き合うとしたら、何が良いか聞いていない。今度、聞いてみよう。

 仕事を終えて、帰宅中にカクヨムに載せている「南風に背中を押されて触れる」に連続でコメントをいただく。
 有難い。


 更に、先日完結した「西日の中でワルツを踊れ」にレビューをいただく。
 嬉しかったので、そちらを紹介させてください。

『アイデンティティの鍵を一緒に探さずにはいられない中毒性のあるミステリー』

 郷倉四季さんの書く小説はご本人も仰っている通り、ゆるく繋がっています。
 
 そして、どの作品から読んでも大丈夫なのです。
 
 ちなみに、こちらの「西日の中でワルツを踊れ」の主人公は「南風に背中を押されて触れる」という作品の登場人物として出てきた西野ナツキです。
 
 その西野ナツキが記憶喪失の状態で始まる物語が今回の「西日の中でワルツを踊れ」なのです。
 
「テーマはアイデンティティ。
 過去と現在のアイデンティティを奪われた人間はどうなるのか?」
 
 それってどうなるんだろう……と最初からその謎を追っていく様な感覚でした。
 
 特に西野ナツキは「南風に背中を押されて触れる」に登場しているので、記憶を失ったとはいえ、そちらを読めば何か鍵を見つけられるのでは!?と思い、私は「南風に背中を押されて触れる」と今回の「西日の中でワルツを踊れ」を行ったり来たりしました。笑
 
 それどころか、あるシーンでは「岩田屋葛藤憚その①~俺がそばで見ててやるから~」のあの場面では!?とそちらにも飛んだりして、我ながら作者さんの思惑通りの読者だったのではないかと思いました。笑
 
 その位、今回の「西日の中でワルツを踊れ」は郷倉四季さんの小説の中で1番ミステリー要素が強くて、最終話の時は「え?もう終わり!?」と思ったほど、あっという間に感じました。
 
 でも、全78話あるんです!!
 
 それで「あっという間」と思えるのは、ミステリー特有の次が気になる展開と郷倉四季さんの書く文章の読みやすさなのだと思います。
 
 すぐに「次は?」「次もあるんですか?」と聞きたくなってしまうほど、読み終わった今もまだ西野ナツキについて考えてしまう私がいます。
 
 こちらを読むとあちらも読みたくなって、あちらを読むとまたこちらを読みたくなる。
 
 そんな中毒性が更に深まった作品でした。
 
 そして、私には気になることがあります。
 
 こちらの「西日の中でワルツを踊れ」から読んだ方は、次にどの作品を読むのでしょう。
 
 そこまで知りたくなってしまう作品です。

 本当に素晴らしいレビューを切り株ねむこさんありがとうございます。


 是非、多くの方に「西日の中でワルツを踊れ」を読んでいただいて、ご興味があれば、「南風に背中を押されて触れる」や「眠る少女」なんかも読んでみていただければと、これ以上の喜びはなありません。

 ちなみに、カクヨムの近況ノートで「西日の中でワルツを踊れ」の完結報告をした際、僕は以下のように書いている。


「南風に背中を押されて触れる」という小説に西野ナツキというキャラクターが登場し、一つ大きな罪を犯します。
 彼が犯した罪によって「南風に~」の主人公、矢山行人はもっとも大切なものを失ってしまいます。
 その失った大切なものを、もう一度取り戻そうとする物語が「南風に背中を押されて触れる」でした。
 
 今回の「西日の中でワルツを踊れ」ですが、主人公は罪を犯した西野ナツキです。
 ただし、彼は記憶を失っています。
 過去の自分を知らぬまま、記憶喪失の西野ナツキは一つの事件に巻き込まれていきます。
「西日の中でワルツを踊れ」は言わば、過去の他者となった自分の罪を如何に受け入れて背負うのか、という物語でした。


 僕は人が変わる瞬間や、自分と向き合うような小説を好んで書いているみたいだ。
 切り株ねむこさんのレビューが嬉しすぎて、何度か読み、スクショを撮った後に夕飯を作った。

 卵の賞味期限が近かったので、包まないオムライスを作った。チキンライスを作って、皿に移して、フライパンで豚肉やしめじを炒めて卵でとじる。それをチキンライスの上に乗せて、ケチャップをかける、というお手軽料理。
 一応、写真を撮って見る。
 オムライスと呼んでいいのか疑問はあるし、見た目的には綺麗ではないけれど、結構美味しい。また作ろうと思う。

 よるさんのブログが更新されていないかな? と思って見に行くと「白玉のおしるこ」とあって、苺と白玉のドアップな写真が載っていた。
 息子さんが撮影していたのを真似たものらしく、すごく美味しそう。改めて、自分が作った包まないオムライスの写真を見る。
 ザ・男めしって感じだなぁ。
 豚肉をもう少し小さく切ったりする工夫をしようと思う。
 (※写真は恥ずかしいので載せません)

 よるさんのブログの内容は、前回の僕のnoteの日記の記事を読んでくださった感想で、僕は困ったように笑ってしまった。
 簡単に言えば、よるさんの中での僕のイメージが更新されたらしい。
 実際に顔を合わせる訳でも、連絡先を知っている訳でもない関係性の中で、イメージが更新されるのは素直に嬉しい。

 5月18日(月)

 朝、起きると部屋は少し肌寒かった。
「オードリーのオールナイトニッポン」を聞きながら、職場までの三十分を歩く。部屋は肌寒かったのに、外を歩くと汗ばむ。
 ツイッターを眺めていると佐々木敦が「兼近って本当に希望だな。真に賢い奴は優しい。りんたろー。も優しくて賢い。」とツイートしていて、何があったんだろう? と思って見ると、ワイドナショーで「勉強しないと政治に参加してはいけないというわけではない」という旨の発言をした、みたいだった。
 なるほど。

 職場へ行っても相変わらず仕事はない。席が毎日ゆるく変わっていて、今日は久しぶりに同期の女の子が隣になった。
 コロナが流行る前に彼氏と焼肉に行く話をしていたことを思い出して聞くと「最近、行ったよ」と言っていた。
「あと、パチンコにも我慢できなくて、行っちゃった。彼氏は絶対に行かないって言うから一人で行って、一万千円勝ったよ」
 それは良かった。
 日常が戻りつつあるんだなぁと思う。

 ニュースで幻冬舎の編集者、箕輪厚介がフリーライターの女性に不倫関係を迫った、というネットの記事を見る。
 不倫関係を迫ったLINEも記事にはあった。恋バナ収集ユニット「桃山商事」の代表、清田隆之がツイッターでLINEの内容について「グロテスクすぎて泣きそう…」と書いていて、その通りだと思う。
 箕輪厚介は自分の立場が上だと理解した上で、関係を迫っているという点もあって、鳥肌が立つほどグロテスクな案件だった。

 部屋に戻って、蕎麦を茹でて食べる。食事の間「BANANA FISH」を見ていると、19話でアッシュ・リンクスという主人公が、自分のトラウマを言葉にする場面にぶつかる。

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 アッシュはコルシカマフィア財団のディノ・ゴルツィネという人物が経営する、少年売春を斡旋する店に売り飛ばされる。
 その売り飛ばした人物がアッシュをレイプした後に「痛いか?小僧、痛いか?」と言い、アッシュはこれを「傑作だろう、痛みすら感じないと思ってたのさ、人間どころか生き物ですらない!」と19話で批判する。
 更に「その気になったときに精液を流し込む、便所と同じだ」とも言う。

 人間の三大欲求は食欲、睡眠欲、性欲とよく言われているけれど、実際は食欲、睡眠欲、「排泄欲」だと聞いたことがある。
 どちらでも構わないけれど、欲望に関しての扱い方を間違えるとグロテスクな方向へ行ってしまうことを理解しておきたい。

 などと書いて、ふと思い出す文章があった。
 川上未映子の対談集「六つの星星」で、精神科医の斉藤環がペニスについて以下のようなことを言っている。

 斉藤 ペニスというのは非常に特異な器官なんですね。自分の身体であると同時に、決して自分のものにならないような、空虚で象徴的な器官なんです。自分にとっても一種の他者であって、これは操縦するだけのものではなくて、むしろ自分を操縦する別の主体みたいな位置づけになるわけです。
 川上 斉藤さんも実感としてありますか。
 斉藤 こういう身体性というのは無意識の部分が大きいので、実感というとちょっと弱いんですけど、ふとしたはずみにそれに気づかされるということはありますね。男性の主体がペニスに乗っ取られるみたいな機会というのは、時々事例としてありますね。
 川上 それは性欲ということですか。
 斉藤 要するにそういうことですよね。他者ですからね、あれは。地位も名誉もある人が痴漢で逮捕されたりするのは、ペニスの暴走です。ペニスが主体を乗りこなしている状態と言ってもいいかもしれない。

 この後、川上未映子が「それは女性でも十分起こり得るでしょう」と続けるのだが、割愛してまとめると「性欲」は他者ということになる。
 極めて理不尽な他者だと思うけれど、それと如何に付き合っていくかしかないのだろう。

 他者であるペニス(他者)が主体(自分)を乗りこなしている状態になると、自分より弱い立場の人間に不倫関係を迫ったり、レイプした相手に「痛いか?」と人間どころか生物とすら認識していない問いを投げかけてしまう。
 そんな状態は言うまでもなく、グロテスクだ。

 5月19日(火)

 朝、一本の電話で目が覚めた。
 電話の相手は今日、僕の部屋にエアコンの工事をしに来てくれる人からで、「昼の十一時から十三時くらいにうかがます」と言われる。
 半分、頭は寝た状態で「分かりました」と頷く。時間は朝の九時だった。一時間ほど二度寝をした後、シャワーを浴びて目をさまし、ハッシュドポテトとホットコーヒーの朝食をとった。

 十一時過ぎに工事の方がきた。一人で、しっかりとマスクをつけていた。なんとなくイメージでは二人来ると僕は思っていた。
 説明を受けてから、工事がはじまった。
 なんとなく手持無沙汰になってキッチンのイスに座って、大庭みな子の「雲を追い」というエッセイ集を読む。

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 外から見ればさまざまな形を変え、さまざまな形に見える雲も、飛行機がその中に入ってしまえば形もないただの霧であり、水や氷の粒の漂う空間に過ぎない。それなのに、さっと射す陽の光の向うに覗き見る同じ霧の形が何かの形に見える不思議さは、人間の姿そのものと重なる。
 クレオパトラの鼻が曲がっていたら、ヒトラーが英仏海峡を一気に渡っていたら、池禅尼に謂われた清盛が仏心を起さずに、頼朝の命を亡いものとしていたら、などと歴史上の人物の心の決断を何が決めたのかということも雲をつかむような話ではある。
 どこから雲が湧くのか、どこに消えたのか、しばらく雲を追うことにしよう。

 なるほど。
 僕はしばらくエアコン工事をしてくれている方の作業を追うことにする。
 手際が良い。
 素晴しい。けど、ん? ドリル? 
 考えれば当たり前だけれど、壁に思いっきりドリルを当て始める。それが物凄い音だった。
 うるさい。超うるさい。
 昼の十一時過ぎだけれど、近所からクレームとか来るんじゃないか? と心配していると、部屋のインタフォーンが鳴る。

 えー。
 近所の方からのクレームなら素直に謝ろう。
 と扉を開けると、お届け物で母親からマスクと食糧が詰め込まれた段ボールだった。
 有難い。
 エアコン工事をしてくださっている方はひとまず無視して、母親から届いたマスクや食料を整理する。

 工事自体は四十分ほどで終わった。
 簡単な説明を受けて、工事して下さった方は帰っていった。
 これでようやく、エアコンのある文化的な生活が送れる。
 嬉しくなって、友達や知人連中にLINEを送ろうと思うも、「いや、知らねーし」と言われるのが目に見えて、いつもの飲み仲間のグループLINEにだけ送る。

「おめでとう」と言うコメントが一通り届き、「ありがと!」と答えて行った後に、一人が田中みな美の写真集が届いたと言う報告をしてくる。

「みな美やっべ」「みな美と結婚したい」「みな美と結婚するためにいまからプロサッカー選手になるわ俺」

 いや、無理だろ。
 というか、もうすでに「みな美」って呼び捨てなのね。
 すると、他の奴が「オレはこの人やな」と深田恭子の写真を送ってくる。
 僕も参加しようかな? と思うも、とくに思い浮かばなかったので、スマホを放置して昼寝する。

 夜前に起きて、洗濯物をして、ご飯を炊く。夕飯は豚肉としめじの炒め物とみそ汁と白米にした。
 ものすっごいシンプル。
 
 その後、カクヨムの近況ノートを更新した。内容としては、村上龍の話やレビューをいただいた話、菅田将暉の話を書く。
 近況ノートで書いた冒頭部分を気に入る。

「たとえば、象が空を飛んでいるといっても、ひとは信じてくれないだろう。
 しかし、四千二百五十七頭の象が飛んでいるといえば、信じてもらえるかも知れない。(ガルシア・マルケス)」
 
 もちろん僕は象が空を飛んでいることを信じるよ。
 けれど、どうだろう。
 村上春樹の小説に空から魚が雨のように降ってくるシーンがあったんだけれど、その象もいつかは地面に落下するのかな?
 落下しないで欲しいと思うんだよ、僕は。

 小説も少し書く。今、書いている小説のタイトルは「眠る少女は神様について歌わない。」になっている。
 このまま変更せずにいくのかな? 全部、書いた後に決めようと思う。
 

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。