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「ナイト・マネジャー」代理復讐としての女性の欲望と、ビジネスとしてのホモソーシャルの楽園。

 海外ドラマの「ナイト・マネジャー」を見る。
 全8話でスッキリ終わる上に、途中からの緊迫感とヒリヒリ感はとんでもなかった。

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 あらすじは、ホテルのナイト・マネジャー(夜間支配人)で元イギリス軍兵士である主人公が英情報機関のスパイとなり、武器業者に潜入して違法な武器取引を暴こうとする、というもの。

 原作は1993年に出版されたジョン・ル・カレの小説で、今回のドラマ版では舞台が現代に変更されていて、スマホなども普通に出てくる。
 主人公のジョナサン・パインを演じているのはマーベルの「アベンジャーズ」「マイティー・ソー」シリーズの裏切りの神ロキ役のトム・ヒドルストン
 ロキの時には思わなかったけれど、トム・ヒドルストンの色気がすごくて、何よりスーツがまあ似合う。煙草姿も良いし、髪を染めてアングラに潜入するシーンとかも最高。
 もうずーっと格好良い。
 
 僕のツボがここにあったのか、と少し意外な気持ちになった。それはそれとして、今作はスパイものでありつつ、復讐ものになっている。

 の日記にて、憎悪とか復讐が良い方向へ行かないのでは?と書いておいて、勧めるのが「ナイト・マネジャー」って言うのは、どうよ?と思うんだけど、少し僕が見た理由なんかも含めて書かせていただきたい。

 ツイッターで映画「007」の批評としてナイト・マネジャーを勧めている方がいて、いわく「主人公の元兵士はたぶん戦地で死んでいて、実質生きる屍。武器商人の非道な行いによって苦しんだ女たちの怨みが、ほぼ死体の主人公を動かす、という図式が面白かった」とのことだった。

 確かにジョナサン・パインは事あるごとに、スパイになる前の俺は死んでたも同然だった、と繰り返しているし、彼が戦う武器商人が作った組織は完璧なホモソーシャルなルールで動いていて、女性たちは男たちの力比べの道具や忠誠の証として扱われており、そんな彼女たちの唯一の味方が主人公だった。

 ツイッターで書かれた通りの図式で、これはある種の女性たちによる代理復讐譚って感じの手触りは確かにある。ジョナサン・パインの組織に関わる男(つまり、女性を傷つける男)に対する容赦のなさは、そういう図式で考えると納得できるし、女性たちの欲望を彼がちゃんと満たしている。

 そういえば、映画「溺れるナイフ」のラストは自分をレイプしようとした男を望月夏芽(小松菜奈)が長谷川航一朗(菅田将暉)に「殺してよ!」と代理復讐を願うシーンがあった。少女漫画には自分を不幸にした者を好きな男が復讐(自分の気持ちを代弁)してくれる、という欲望があるのかも知れない。
 と考えると、最近映画化された「うみべの女の子」は、佐藤小梅を不幸した者へ磯辺恵介が望まれていないのに勝手に復讐してしまって、更にややこしくなったシーンがあったので、「うみべの女の子」を描いた浅野いにおはその辺を皮肉っていたのかな?とも思える。

「ナイト・マネジャー」に戻って、個人的に注目したいのは、違法な武器取引をおこなうリチャード・ローパーという悪の親玉だ。
 彼は戦争で多くの子供を殺した兵器の威力を見て、その兵器を使ったビジネスを始め、一代財産を築いた人物で、表の顔はイギリス政府に十億ドル以上を寄付し、あらゆるところで顔も利く。

 見ると分かるけれど、リチャード・ローパーという男はビジネスマンとして、異常なほど優れている。
 そのせいで裏切った女性の居場所を完全に封鎖して追い詰めることも可能だった。ある種、優秀過ぎるが上に、女性たちの怨みを買ってジョナサン・パインなんてバケモノを生みだすきっかけになってしまったとも言える。

 女性たちが裏切る理由は違法な武器取引によって、人が死ぬことを防ぎたいからであり、リチャード・ローパーと真っ向から対立する主人公ジョナサン・パインの上司の女性はローパーと同じ戦争で多くの子供が死ぬ場面を見たからこそ、武器による殺戮を止めようとしている。

 ここで注目したいのは、誰だって子供が死ぬような武器の密輸なんてしたくないはずで、その誰もしたくない仕事をさせる組織を形成する上でローパーが使ったのは元兵士だったこと。
 そして、その元兵士を服従させる為のものが女と酒だったこと。
 ホモソーシャルな男社会は戦争と相性が良いのかは置いていて、ある種の美学とか良心というものを喪失させられる(あるいは、麻痺させられる)環境を人は意図的に作り上げられるんだ(例えば戦場)、ということに改めて思い至った。

 ドラマ内でもリチャード・ローパーは「俺達は家族だ」と兵士たちに繰り返し口にしており、彼は戦争が終結し居場所を失った人たちに居場所を与え、武器を扱うという彼らの技術も無駄にさせず、また絶え間なく沸き起こる欲望も満たしていたとも見える。

 そんな風に考えていくと、「ナイト・マネジャー」は戦争の二次被害を描いたドラマでもあるんだなと思う。
 結論は戦争ってよくないよな、って言う安易な結論のように見えてしまう。ただ、戦争の二次被害になると「ビジネス」となってしまうので、途端にそれを安易悪いと言い難くなってしまう空気が確かにある、ということを「ナイト・マネジャー」では実感できる。
 悪の親玉、リチャード・ローパーには息子がいて、彼は父の仕事は関係なくて、何も知らず純粋に育てられていた。彼はリチャード・ローパーのビジネスがなければ、ドラマ内のような生活はできなかったのだ、という事実はどうしても免れることはできない。

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