見出し画像

傾聴者は如何にして他人のトラウマと向き合うべきなのか。

 傾聴者は相手の話に共感せず、あった事実を認めるだけの方が良いと言う話を最近聞いた。
 なるほど。

 ちなみに、今の僕が陥っている事実だけを言うと水曜日がせっかくの祝日だったのに、前日の火曜日の夜に友人を呼んで家焼肉をやって朝まで飲んだせいで二日酔いで夕方までダウンしていた。
 本を読むんだ、小説を書くんだ、と思っていたのに。

 何もできず今はもう深夜。
 辛い……。

 さて、傾聴者という単語を僕は詳しく知らなかったので調べてみた。

■傾聴(読み)ケイチョウ
 傾聴とは、相手のいうことを否定せず、耳も心も傾けて、相手の話を「聴く」会話の技術を指します。意識すべきなのは、相手に共感し、信頼していると示すこと。経済産業省が「職場や地域社会の中で多様な人々とともに仕事するうえで必要な基礎的な能力」として提言している「社会人基礎力」の要素にも、「傾聴力」が含まれています。

 こちらは「人事労務用語辞典」の傾聴の項目。
 人事労務用語辞典の中では「相手に共感し、信頼していると示すこと」が項目に入っている。

 僕は昔、クレーム対応の電話をとっていた時期があった。
 職場の上司いわく、当時の僕は荒んでいたらしい。
 ふむ。

 ちなみに僕は冒頭の「相手の話に共感せず、あった事実を認めるだけの方が良い」には、そうかも知れないと思う部分はある。
 この傾聴者の話を聞いた時に、ふと浮かんだのは斎藤環が「鬼滅の刃」に関して書いた「炭治郎は『鬼滅の刃』で最も謎めいた「空虚な中心」である」という記事だった。

 この記事の中で、「決して多くはないが、虐待やDVの被害者の中には、支援のために差し伸べた手を、肘から食いちぎりにくるものがいる。虐待や暴力によるトラウマは、まれに恐るべき加害者を作り出すことがあるのだ。」とあり、以下のように続く。

それゆえ他者のトラウマに深く関わろうとする者には、一定の「覚悟」が要求される。何度裏切られてもすべて受け入れる、という覚悟ではない。それでは単なる自暴自棄と区別がつかない。覚悟とは「もしこの一線を越えてしまったら、たとえ被害者であろうと裁く」という覚悟のことだ。ある種の罪は、許されてしまうことが地獄につながる。許さないこと、毅然として裁くことが時に救済となる可能性を、「鬼滅」は極めて説得的に描いている。

 この点は、クレーム対応に似ている。
 クレームの場合、言ってくる内容は聴く。何度目で散々聞かされた内容でも聴くが、応えられない要求は当然あり、また言葉使いが攻撃的になれば、それを許さない態度を示す必要が出てくる。
 一線はある。
 その一線を相手にも理解してもらう必要がある。

 すると、クレーマーは一線を超えないギリギリで人格攻撃とかしてくるので、そりゃあこっちの精神は削られる。
 健全なクレームと不健全なクレームはある。

 そして、不健全なクレームをしてくる人は総じて、「許さないこと、毅然として裁くことが時に救済となる可能性」について考えを巡らせない。
 その瞬間の感情の発露だけが正義だと思っている節さえあった。

 まぁだから、どうするのかって言うのも難しい。
 僕の職場の話で言うと、暴言が行き過ぎて警察に相談することになった人もいた。
 当たり前だけれど、言葉だけで人を傷つけることはできる。どれだけ自分は被害者なんだと叫んでも、一線を超えれば裁かれる。

 なんてことを考えていて、ふと浮かんだのは「教誨師」という映画だった。

画像1


 ネットで調べると以下のような説明が成されていた。

2018年2月に急逝した名優・大杉漣が自ら初プロデュースも務めて主演したヒューマン・ドラマ。受刑者を教えさとす宗教者"教誨師"という存在にスポットを当て、教誨師と6人の死刑囚との対話を通して、様々な反応を見せる死刑囚それぞれの心のありようと、教誨師自身の葛藤を静かに見つめていく。

 大杉漣が演じた主人公の教誨師は受刑者のトラウマと必然的に関わって行くような構図になっている映画で、終盤においてはその主人公にも人生を歪めるようなトラウマがあったことが明かされる。
 結構、昔に見た映画なので、詳しくは思い出せないけれど、大杉漣が演じた教誨師は常に一定の共感しかせず、仕事として常にキリストの教えで返していたような気がする。

 他人のトラウマと向き合う時、キリストとかの宗教的な言葉をクッションのように使うって言うのは、結構ありな気がする。
 と同時に僕は人に結構重いタイプの打ち明け話とかされる際は、それに近しい小説や映画はなかったかを考えるようにしている。
 物語は実際の現実には役に立たないって言うけれど、人間関係においてはそんなこと全然ないよ、というのが僕の経験からくる実感ではある。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。