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音楽が持つ物語

音楽とは


音楽って太古の昔から
楽しまれたものであり
儀式であったり
一体感を増すものであったり
いろんな場面で使われていますよね。

日本で使う音
沖縄で使う音
アイヌが使う音
アイルランドの音
アフリカの音
西洋の音・・・

それぞれが使う音は微妙に違っています。
音楽の成り立ち方も違って
おもしろいですよね。

背景には気候、文化、宗教など
様々なことがあると思います。

そして、どうして音楽があるのかって
私は人間にとってそれが必要だったから
あるんだろうなと思います。
本能に近いモノ、というか。


みんなとの一体感を感じたい、とか
自然や神様と呼ばれる存在、宇宙などとつながるために
儀式的に使われる、とか
感情を表現するために、とか
いろいろあるとは思うのですが、
私たちの本質が音に近いからこそ
音で表現するんじゃないかと。

もちろん音だけじゃなく
色という光も同じで。

だからこそアートに
私たちは惹かれたり
ときに嫌悪を感じたり
するんですよね。


また、たとえば好きなアーティストの曲だと
たとえ知らない曲だったとしても
これはあの人の曲だ!って雰囲気で
わかったりしますよね。



私と音楽

私自身はよく一人で好きな歌を歌っていますし
鼻歌も歌っています。


小さい頃から音楽が好きで
歌ったり踊ったりしていたそうです。


自分というものを閉じ始めた
小学2年生ころから
そういうことも少なくなり
おそらく小学5年生頃には
ほぼほぼ人前で歌うとか躍るとか
そういうのはなくなったと思います。

自分迷子の始まりは
意外と早かったのかもしれません。


ただ、内面では
音楽は残っていましたし
もちろん宇宙や神話というものも
残っていました。

音楽、曲、音に感じること

音楽って不思議です。
私は割と歌詞よりも音から入って
曲を聴くのですが
音という振動には不思議な力がありますよね。


何調なのか
だけでイメージや色が湧いてきますし
雰囲気が変わります。

メロディー、つまり、どういう音の流れなのか
あるいはハーモニー、つまり、どういう音の重なりなのか
もっと言うなら
どういう楽器が使われているのか
とかでも全然雰囲気が変わりますよね。


1つの音楽には物語があり
それは歌詞と連動することもあれば
そもそも歌詞などなく
曲自体が物語になっていることもあります。


私自身は印象派と言われる
近代のドビュッシーの曲だったりが
不思議な心地よさがあって
好きなんですが、
私が感じるのは、物語の中でも
情景の物語、というのでしょうか。

自然の姿みたいなのを感じるのが好きです。


特に音楽科にいたとかでもないので
全然知識はないのですが
ただ、あの音の重なりと繋がりを
聴いているのが好き。
って感じです。


そう、音の一粒一粒に
音の重なりに
音のつながりに
映像や物語を感じられるのが
音楽の素晴らしい所ですよね。

振動としての音

聴こえる「音」、感じる「音」

私が今指しているのは
「聴こえる」音の話です。

が、本来私たちはそもそも
みんな「波」でできているわけで
固有の振動数を持っているんですよね。

そして
自分の固有振動数と合う音
があるってことです。

いわゆる「波長が合う」ってことなんです。


「波長が合う」ものには
心地よさを感じるし
そうでないものには
違和感や居心地の悪さを感じます。


私たちは見えると見えざるに限らず
聴こえると聴こえざるに関わらず
必ず「感じて」います。


私は昔よく
「心臓の音」と「和太鼓の音」「波の音」を
聴いていると気持ち悪くなってしまって。

特に心臓の音は、
授業で聴いているうちに具合悪くなって
保健室に行ったくらい。

波の音は赤ちゃんの頃からNGだったようで
今も落ち着くというよりはちょっとザワザワするかもです。

あんまり頭に入れずに聴くと平気なんですが。



一応、耳で聞いていることになっていますが
私たちはその実全身で
「周りの音」も「人の音」も「星の音」も
全身で聴いています。


自然と音・波と私たち

自然に近い生活をしていると
こういった感覚が研ぎ澄まされると言いますが
日常生活で意識するだけでも
かなり研ぎ澄まされていくと思います。


すると、不思議と
人の本心の声
動物の声
植物の声
物の声
星の声
が聴こえていくような気がします。


もちろん気のせいかもしれないけれど。
その「気のせい」と思う気持ちにも
ちょっとだけフタをして
「気のせいじゃないかも?」って思うと
面白い豊かな世界が広がっていきます。


全然霊感もなにもない私ですら
徐々に感じるようになっている途中です。

そうなってみて思うのは
別に全くもって特別じゃないってこと。

もしかしてあえてこう書く必要もないんじゃないかな
とも思いつつ
この感覚を取り戻していくことが
大切なんじゃないかな、と感じて
書き進めています。


私たちに必要なものはそう多くはなくて。

日々に感謝して生きていく。

実はそれだけでいいんだろうな。

って思うわけです。


とはいえもちろん
あれやらなきゃ!これやらなきゃ!
仕事が・・!お金が・・!健康が・・!
って考えちゃうんですが笑

人の未来

占星術業界でも
これから人間が「半霊半物質」になる
なんて話が出るわけなんですが。

そもそも私たち人間は
「肉体」という入れ物に「魂」が宿っています。
魂は「靈」とも言われますが、
これ「ひ」と読むんですよね。

「靈(ひ)」を「止(と・とど)」めておく存在が
「人」です。

だから「半霊半物質」であることの方が
実は通常なのかもしれない…ということです。


特にここ数年で
「自分」と向き合って
本来持っている「自分らしさ」を見つけて
発揮している人が増えていませんか?


そういう発信をしている人も増えています。


この動き自体が
人間のこの先の生き方を指し示していると思いますし
スピリチュアルで言うところの「目覚め」に
なるのでしょうし、
占星術で言われているところの「半霊半物質」に
なるのだと思います。

科学的な表現になるなら
潜在能力を発揮することができる
という感じでしょうか。

見えない「潜在能力」と見えている「顕在能力」

私たちって
潜在的に持っている能力の5%ほどしか
力を出していないと言われていますよね。

それは私たちの身体が100%についていけない
とも考えられています。
そのためにリミッターがついているなんて表現もされますね。


だからこそ
「ゾーンに入る」とか
「火事場のバカ力」なんて言葉があります。


全然力を出し切れていないんですよね。
おそらくそれが「物質」的な私たちの限界。

そして「霊」的な私たちを意図的に
使えるようになったならば
残りの95%の力が使えるようになる。


この宇宙は
ミクロコスモスとマクロコスモスは相似する
という
フラクタルな構造でできています。

小さな世界も大きな世界も似ている。
ということ。


ダークマターやダークエネルギーは95%
いわゆる物質は5%

潜在意識は95%
顕在意識は5%

と言われるように
見える世界と見えない世界では
見えない世界がほとんどなんです。


だから人間そのものも
見えている私たちは、
私たちの本質のたった5%に過ぎないであろう
ということです。


で、残りの95%が見えないわけなので
それを雰囲気や感覚で感じ取っているんです。

第六感とかもその1つかもしれません。


音の持つ潜在能力

私たちの声も、もしかしたら考えも、感情も
音という耳で受け取って脳で判断する振動である以上に
単純に「波」であり「振動」です。

チャクラに対応する音を自分で出していくことで
身体の中が整っていったり
体調が悪い時に特定の周波数が入った音源を聴くことで
体調が整っていったりすることは
あるのだと思います。

特に後者は、おそらくドイツなどで研究されていたり
実証もされているのではないかと思います。
ちょっとしっかりとは調べられていないのですが。

また、ロシアでも波動測定器というものがあって
エントロピーの原理を使って
身体の波動を読み取り、不調な部分や
そのための解決策などを見出すような機械もあったりします。


それくらい、
波動、波長、振動というのは
意外と普通というか、怪しいモノではなく
まだ原理がわかりずらいものであったとしても
確実にその振動が身体に影響を与える、
ということは確かです。

今は「西洋医学」「科学」の時代なので
まだ認められることはないかもしれませんが
きっと数十年以内には
波動療法がきちんと証明されるときが
くるんじゃないかと思います。


もう少し言うならば
アロマテラピーやカラーセラピーも
ある種、波動療法的な意味合いがあるんじゃないか
むしろその意味合いの方が大きくなるんじゃないか
と思います。

香りに含まれる芳香成分は、
多種多様な有機化合物であるのは間違いなく
それがホルモンだったり、
身体の機能に働きかけて、
不調を改善したり、気分を回復したりできます。

が、身体の構造というものも
芳香成分そのものも
かなり複雑で、まだまだ研究が進んでいないんですよね。

こうなんじゃないのか?
という仮説のもと、
再現性を調べながら
「どうやら確からしい」ということは
わかっても
じゃあ、人間のホルモンや身体の機能が
実際にどのように動いているのか
薬や香りの、薬理成分がどういうメカニズムで
どのように働いているかまでは
わかっていないことがほとんどです。

「この成分を投与したら身体はこうなるらしい」
はわかっても
「その成分が何とどう反応して、どういう電気信号が出て
 そもそもその電気信号をどう出して、感知して
 体のその反応を作り出すのか」
ということはほとんどわかっていないんですよね。

でも、化学成分ということを飛び越えて
「波動」、つまり、「量子性」で物事を捉えた時
物質次元だけで見ていたことを
飛び越えられるんじゃないかな、と思うんです。

見えない世界(つまり波動性という可能性の中)に
95%の情報が入っていて
香りや音が示す「波」と
その波を表面上は受ける側になる
人間の身体、あるいは想念、または魂も包括した「波」
が重なり合うときにどういう❝場❞をつくるのか。

その共鳴・共振が起きた時には
お互いが心地よく響き合う状態にされていくとすれば・・・

それは身体を整えることにもなるし
心や想念、魂をもとの調和のとれた状態に戻す
ということになるのでは・・
と思うのですよね。


たぶんこの手法もすでに
取られているものはたくさんあって。
ただそれを所謂化学式とか数学みたいなもので
説明することはされていないだけで。


音やアロマに限らずすべてのものは
素粒子でできていて
波動性と粒子性を持っているわけで。

そうなるとすべて波動性の方で説明できるようにも
なると思うんです。

現段階ではできていないだけで。


ただ、アロマや音というのは
波動としてとらえやすいと思うんですよね。


実際に私たちが「心地よい」「心地悪い」と
感じ取ることができるものですから。


アロマテラピーでは
「いい香り」と感じられるものが
今のその人にとって必要な香りということも
よく言われます。

それは結局波動として
欠けている場所を埋めたいと思う感覚だったり
共振共鳴できて心地良いという感覚だったり
すると思うんです。

人間の感覚はそういったものに敏感で
きちんと感じることができるのだと。

そういう意味で、
アロマテラピーも「波動療法」として
捉えやすいのかな~なんて思っています。

もちろん「色」も完全に「光の波長」を
目で捉えて脳が判断しているものですから
同じですね。

そうやって本質的なところを癒し
整えたり元の氣に戻す方法が
どんどん増えていくといいな、と思います。

「音」は人によって聴こえ方が違うのかもしれない

「音を聴く」というのは、
空気の振動を耳で拾って脳に渡し
それを脳が判断する
という過程のことだと思いますが
つまりは「波」を自分に取り入れ
「音」を創り出しているということなんですよね。

もしかすると
人によって同じ「波」を受け取っても
同じ「音」を聴いているわけではないかもしれない
ってことですね。


同じように、「香り」も「色」も人によって
違うように感じていると思います。

特に香りについてはわかりやすくて、
自分一人だけとっても
体調や月のサイクルによって
いい香りと感じるものが変わります。

わかりやすく言うなら
「クラリセージ」は良い例かもしれません。

女性には月のリズムがありますよね。
そのリズムによって、香りの感じ方がだいぶ変わるんです。
月経前は「いい香り~」って感じるのに
終わった後は正直「変な匂い・・・」なんて感じたり。

もちろんこれは人に依るので、
場合によっては逆に感じるかもしれないし
あるいはいつでもいい香り、いつでも臭い、と
感じるかもしれませんが・・・。


でも、誰にでもそういう香りがあるので、
もし精油の香りをかおる機会がありましたら
ぜひ試してみて下さい。


それと同じように
「音」も違うように聴こえているのではないか
と思うんです。

私は今アメリカに住んでいますが
噂で聞いた通り(?)
アメリカ人には「虫の音(ね)」を
聴くことができないようです。

虫の声を表す言葉が存在しませんし
実際どう聴こえるのか聞いてみると
何も聞こえないそうです。
単なる雑音であって、
心地いいとか季節を感じるという
感覚はあまりなさそうでした。


よくそういう話を聞いていましたが
本当にそうなんだ~と驚きました。

でも、韓国にはあるようなので
韓国人は虫の声を聴き分けているんじゃ・・?
と思っています。
(よく日本人とポリネシア人だけが聴こえる、と聞きますが)


ということで、音の聴こえ方は
どうやら人種、あるいは使っている言語によって
異なりそうだな~ということはわかりました。


これもなんというんでしょうか、
音のスペクトル分解というか
私たちは聞いた音を脳、そして声で分けていて、
出た音をどう捉えるのか、によって
違うと認識しているのかな~と思うのですが、
不思議なことに、話す言葉の音については
日本語より明らかに他の言語の方が多いんですよね。

そういう意味では日本語は
多くの音を1つに集約しているというか。

英語の「あ」の音にも
ant(あり)のaの音は「ェア」みたいな音だし
cup(コップ)のuの音はちょっと詰まった「ア」って感じの音だし
hot(熱い)のoの音は「オ」が混じった「ア」って感じの音で
実は全然違うんですが
日本語にすると全部「ア」。

「アント」
「カップ」
「ハ(ホ)ット」

全部受け入れてしまえる器の大きさみたいなのが
ここにも表されているのかもしれませんが
色で例えるなら
「赤」も「えんじ」も「紅」も全部同じ色
って言っているような感じで
色とは逆なことが起きているから不思議だな・・
とも思うわけですよね。

で、ここで何が言いたいかというと
日本人がこのそれぞれのワードを聞いても
全部「ア」と判断する
つまり違う聴こえ方になる
ってことです。


同じように
鳥の声、虫の声、動物の声、風の音、波の音・・・
そういった自然の音もどういう言語を使うか
どういう環境に身を置くのかで
聴こえ方が一変する
つまり、脳の判断の仕方が変わる、ということ。


だから心地よい音かどうかは人によって
もしかすると人種や使う言語によっても
違うかもしれないってことです。


どの音も、持っている「波長」「波形」「振幅」は同じ。
だけど脳の電気信号がどう動くのか
どう判断するか、が違う。

だから人によって
もたらす影響や効果も細かく言うと異なる
ということです。


だからこそ「答え」は1つではなく
当然「こんな症状が出た」からと言って
「同じ薬」が効くわけはない、ということです。

もちろん同じ人間という種族ですから
そういった広義の意味では「効く」のでしょう。

だけどもっと「個」を見た時には「合わない」ということも出てくる。


そして自然のものは、
全体性を含んでいるからこそ
「効く」ように感じる人も増える・・
広く「人」という「生き物」に波という確率論として
効果を与えることができる・・
のではないか、なんて思います。


波であるということは
つまり「確率論的に存在している」ということ。

どこかにスポッとはまったり
波が伝わることがあり得るということ。


薬みたいにピンポイントの1成分という
粒子性で何かを捉えようとしないんです。
(これは悪いという意味じゃなくて
 そういう性質、という意味です)


だから、「音」というものには
実はすごい可能性があるのでは?
と思ってしまうんですよね。


物語としての音

いろいろ書いてしまいましたが
音ってその組み合わせで「物語」ができていくと思うんです。

その物語の流れこそが「波動」で。

それを誰か、人の「人生という物語」だったり
現在進行形の現象としての「物語」に
響かせることができる。

だからこそ
心が動かされたり
心が動くことで体が整ったりするんじゃないかな
と思うんです。

どこの「語り」が
誰のどこに「響く」のかはわかりません。
きっとそれぞれに違うでしょう。

でもその違いこそが
流動性こそが
曖昧さこそが
世界に響いて世界を少しずつ変えていくことになるんじゃないかな
と密かに感じています。

音のある暮らし
音を楽しむ日々
っていうのは、
私たちを自然と「元気」にしてくれるし
原点に還れるきっかけになるんじゃないかな~
なんて思ってしまいたいのです。


ということでいろんな音を響かせる毎日を。




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