概念を知らないと意識にすら上がらない

ある日、ラジオを聴いていたら
「旅行のお土産にゴディバのチョコレートを頼んだら、ゴリラの形をしたチョコレートを買ってきてびっくりした。」って話があったのです。
当時は正直言って、「ゴディバって何?」思いました。見たことも聞いたこともない単語だったので。(笑)
よくよく調べたらゴディバ GODIVAというチョコレートのブランド?だったのですね。
知っている人にとっては知らないってことが理解できないでしょうが、みんながみんな知っている訳ではない。
だから、「ゴディバ」と聞いても今まで聞いた事のある単語に無意識に置き換えて「ゴリラ」になったのだと思います。

同様の事例で、私が高校生の頃。
生徒会の仕事(学校祭の前日)で帰るのが遅くなり(午後9時くらい)になったときがあったんです。
帰ったら父が起きていて、「なんでこんなに遅くなったんだ!!!」怒り狂ってました。
中卒の父は高校生活の概念すらなく。母は高卒ですが、生徒会の仕事を知らず。
二人の概念に生徒会の仕事で遅く帰るといったものが存在しなった。だから、私が何かしでかして帰りが遅くなったと激怒していたのです。
もともとこの二人は私のことを徹底監視していたので、それまで遅く帰るということはなかった。(門限が厳しいとかそういった問題ではなく、友達と遊びに行くことさえ禁止されていたから。)
高校2年生では学校祭実行委員、3年生では生徒会文化部長(学校祭実行委員長)を努めるも両親は全く興味なく。
生徒会という概念すら知らない両親は、ただ「勉強しろ!」繰り返すのみでした。

高校3年生で進路の話になったとき。
私は服作りが好きだったので服飾専門学校を希望したのですが、両親は一方的に「看護婦学校に行け!」命令のみ。
家の近くに病院があり、母が病院の仕事に携わっていたせいもあるかも知れませんがとにかく「手に職をつける」=「看護婦なら稼げる」
しょうがないから受けましたけどね。(もちろん全部落ちる。私の意志ではないから)
大学の概念すらないから、身近な病院に勤務が一番。最初から視野が狭い。
都会と田舎では最初からハンデがあるのです。

モラハラ受け歴50年近く。長い間人間関係に苦労するも自分の信じる思想(ゴール)を持ち続け、行動し続けることを実践している。弱者は知力で勝負!ディベートを学ぼう!