見出し画像

英語学習記録#04

教材名:Penguin Readers Level4
「Women who changed the world」

Chapter3 Women and the vote

 参政権をめぐる闘いは女性の闘いで最も大きなものでした。それは19世紀から20世紀にかけて行われてきています。世界初の女性参政権は1890年代にニュージーランドとオーストラリアで与えられました。ヨーロッパ初はフィンランドで、当時、フィンランドはロシアの一部でした。フィンランドはその後、ノルウェーに戻った時に参政権を付与されており、1913年の出来事です。次いで、1915年にデンマークが女性参政権が認められました。

さて、UKでは1918年に初めて参政権が認められるようになります。女性参政権をめぐっては、活動家たちによって承認されるようになりました。その一人がエミリーンパンクハートです。彼女は1858年にマンチェスター生まれで、10人兄弟の長女として生を受けます。彼女の両親は女性権利に関して寛大な考えを持っており、パリの女学校で勉強することができました。彼女は20歳の時、フランス語を話すことができ、料理の方法を学び、また化学についても学識を持つことができました。
 1879年にリチャードと結婚をします。彼もまた、女性参政権に関して彼女と同じ考えを持っていました。5人の子供にも恵まれましたが、残念ながら、彼は1898年にこの世を去りました。その前に、エミリーンは既婚者への参政権に関して活動していましたが、彼が亡くなった後の1903年には女性の社会的、政治的なユニオンを手伝っており、そのユニオンが有名になります。彼らは言葉だけではなく、行動にも起こしました。
 エミリーンの子供たちも女性参政権の活動家となりました。活動家の起こす行動はかなり過激で、行進しながら窓ガラスを割ったり、ビルを燃やしたり、時には牢屋に入る人も出てきていました。1913年、エミリーデイビソンは有名な競馬レースに身を投じ、数日後に命を落としました。彼女は、政府への反抗として自殺をしたのです。
 エミリーンは演説が得意で、アメリカで講演活動も盛んに行っていました。彼女の有名な言葉として、「自由か、死か」と叫んでいました。「我々、英国女性へ、反抗する男性たちは自由を与えるべきか、死を与えるべきか選ぶべきだ!」
 
 彼女たちの行動に目に余るように感じる人々もいました。でも、彼女たちはただ言葉にするだけではなく、何か行動を起こさなくてはと考えていました。エミリーンは初めとする、他の女性活動家もまた、何回も牢獄に入れられました。しかし、彼女たちはこの闘いに勝てると確信していました。牢屋にいる時は食事も摂らずに抵抗していました。時には、拷問のように摂食させられたりもしたものでした(鼻から摂食させらているイラスト掲載。)。
 総理大臣の家の前でデモを行ったこともありました。女性の参政権を肯定する男性も登場します。ウィンストンチャーチルは最初、女性の参政権に反対していましたが、彼の奥さんが賛成したことから、考えを改めます。
 結果、1918年には30歳以上の女性への参政権が認められたのです。それから10年後の1928年7月2日には男性と同じく21歳以上の女性の参政権が認められます。エミリーンは同年の6月14日に亡くなっており、この結果を見届けることはありませんでした。しかし、1999年にタイム誌の「20世紀の重要人物100人」に選出されました。

 今日の状況はどうでしょうか?20世紀に突入して、多くの国の女性たちは参政権について闘い、権利を獲得しています。最も最近の女性の投票権の獲得はサウジアラビアになります。2011年に権利を獲得し、2015年の市長選で初めての女性による投票が行われました。最初に投票した女性はハトゥン・アル・ファッシです。女性参政権のリーダーたちは車で投票会場に送って貰い、投票しました。サウジアラビアでは女性による運転が認められていないためです。彼女は10年以上、参政権について闘っていたので、投票の際、「最高だ。生きていることを神に感謝する。」と言いました。
 しかしながら、2015年の女性による投票は全体の10%に過ぎません。サウジアラビアやパキスタンなどの他の国は女性が投票に出かけることも困難だからです。しかし、2018年にはサウジアラビアで女性の運転も認められ、今後の投票率が上昇する兆しが見受けられます。
 女性たちはこの100年間、闘い続けたのです。エミリーンやハトゥンのような勇敢な女性のお蔭で今日の女性の在り方があるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?