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【徒然なる雑感】4.鳴かぬなら…

新型コロナウィルスが世界的に蔓延し、もはやパンデミック。日本でも突然学校が休校になったり、デマでトイレットペーパー争奪戦が繰り広げられたりして、日常生活ももはやプチパニック。ちなみに、我が家のトイレットペーパーの在庫は2ロールです(涙)もしものときはどなたかお恵みをー。

そのような状況下、本学の卒業式は取り止めとなりました。卒業式取り止めのメールが届いて数時間後、4年生3人が研究室へやって来ました。戸惑いと嘆きと哀しみの入り交じった表情をして。学生たちの方にも卒業式取り止めのメールが入り、それにともなって、謝恩会も中止にすべきでしょうか?という相談のような確認のような嘆きのような問い合わせでした。全学からの要請であること、社会的状況等から見て謝恩会は中止せざるを得ないでしょうと返しました。それから、ひとしきり彼らの嘆きに耳を傾けました。卒業の日を晴れやかな気持ちで迎えられない残念な気持ちは私とて同じです。が、しかし、ピンチはチャンスでもあります。袴、晴れ着を来て集い、卒業証書を受け取るだけが式のあり方でしょうか?こういうときだからこそ、自分たちの手で作れる卒業式もあっていいのではないでしょうか。21世紀の現代、テクノロジーも発達してできることはたくさんあります。そういうわけで、彼らの嘆きを受け止めつつ、参集しなくても成立する卒業式や、こういうときだからこそ逆に思い出に深く刻み込まれる従来とは違った卒業式スタイルを作って楽しむのもいいのではないかと伝えました。はてさて彼らはどう動くでしょうか。

ところで、何か立ち行かなくなったとき、どうするか。かの有名な戦国3武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の性格を表したとされる「ホトトギス俳句」は言い得て妙だと思います。
織田信長:鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
⇒諦めるor強行する。つまり、1か0の世界。
※諦めれば事は成せないし、強行して失敗するデメリットあり。
豊臣秀吉:鳴かぬなら泣かせて見せようホトトギス
⇒なんとか創意工夫をして事を成そうとする。
※創意工夫が必ずしも上手くいくとは限らず、中途半端になるデメリットあり。
徳川家康:鳴かぬなら泣くまで待とうホトトギス
⇒事を成す機会をうかがい、タイミングを見計らう。
※事を成す機会が訪れないかもしれないデメリットあり。
いずれのあり方にしても、何かしらのデメリットはつきものだと思います。三者三様ですが、どなたがお好みですか?私自身はできるだけ秀吉タイプでいたいと思いますし、そういうあり方に共感します。ただし、私も何時なんどきでも秀吉タイプを選ぶというわけではありません。また、「事を成す」ことのレベルでどのあり方を選ぶのかも違うので、常に私は秀吉タイプだということでもありません。でも、なるたけ「事を成す」工夫をしたいと思っています。

今現在、私たちは「当たり前の日常」から少し逸脱した世界にいます。そこに身を置いたとき、普段見えなかったことが見えたり、改めて事の本質を考えるきっかけになったりします。たとえば、教育は学校という制度で遂行されるのが本当によりよい形なのか。近代の制度ともいえる学校教育をこれからも維持していく必要があるのか。そもそも教育とは、学校とは何か。このような問いに向き合った先に新しい世界が見えたらいいな。いつもと違う年度末、物理的な動きが抑制される中で、精神的な思考活動はより大胆に、より活発にできる機会かもしれないなぁと、少し暖かくなり始めた弥生の青空の下で思ったことでした。

まぁ、しかし、生きるって、大変だ。とりあえず、さしあたっての心配は、やっぱりトイレットペーパー(笑)

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