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お菓子の制限を考えるようになって、休肝日がつらい人の気持ちを実感した

 ここ数年、健康診断の結果がじわじわと悪くなってきており、主に血糖と脂肪関係が(笑)「まだ大丈夫だけど、このままいくとアカンですよ」と告げてくるようになってきました。
 私は、たぶん世間一般の食生活に比べるとかなり野菜を食べてる方ですし、揚げ物や脂っこいものはもともと好きじゃないですし、ファストフードを食べる回数も少ないし、清涼飲料水も飲まないし、お酒も飲みませんし、タバコも吸いませんし、主食は三分搗き米+大麦や雑穀、便秘もありません。

 つまり……原因の……大半は……甘いものだ……。

 チョコレートと焼き菓子に目がなく、加えて連れ合いもヴィエノワズリーが大好物なのでついついご相伴してしまう。という訳で、カロリーオーバーの主犯はスイーツではないかと狙いをつけました。
 さすがに好き勝手に甘いものを食べるのはやめよう。でないと、逆に一生食べられなくなる日が来るかも知れぬ。悲しい。そんなことを考えて、甘いものを控えて、休肝日ならぬ休甘日を作ることに。

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 私はお酒を飲まなくても全く問題ない生活を送ってきたので、健康を扱った本やテレビ番組の「休肝日を作りましょう」というアドバイスに「そんなの無理ですよー(笑)」みたいな反応が添えられてる場面に、率直に言って冷めた視線を送っていました。いやそんな、一日お酒飲まないくらいのことで、アナタ、大人なんだから。
 その私の上から目線は、この休甘日実践で見事に打ち砕かれました。
 なるほどこれか。この辛さか。
 私にとって甘いものを食べるというのは、依存というほど深刻なレベルの欲求ではないと思うのですが、それでも「つらいな」という思考が何度もやってきました。

 それは実際の甘いものへの欲求が満たされないことへの辛さではなくて、甘いものという概念が、リラックスやリフレッシュという概念に強固に結びつけられてしまっているゆえの、辛さ。

 甘いものを食べたら本当にリラックスするかどうかとは、もはや関係なくて、「リラックスすることになっているので自分が納得する」というのが正しい表現なのではないかと思いました。なので、甘いものを食べないという選択が「リラックスやリフレッシュしない!」という風に変換されてしまって、本当に身体が求めているかどうかと関係なく苦痛に誤解されてしまう。
 お酒が好きで休肝日なんて無理だよ〜と言う人も、きっと大半は、お酒自体を求めているのではなくて、リラックスやリフレッシュを求めているのだけど、「お酒を飲んだらリラックスしたということに自分がしているので、お酒を飲まないとリラックス扱いにならない」という思考回路になっているのでしょう。

 私にとって甘いものを控えるということは、数十年にわたって自分が無意識に作ってきてしまった「リラックス=甘いものを食べる」という回路を、壊さないにしても作り替えるという行為なのです。
 それは決して簡単なことではないのですが……ただ、「不可能ではないな」とも思いました。軽く見てはいけないけれど、自分の力では到底及ばないほど無理難題という訳では、ない。
 こんなの簡単できるでしょできないのはダメ人間、と思うと、たぶん足をすくわれて失敗して自己否定感を生む。私はそういう回路になってしまってるんだものどうしようもないわ、と思うと、自己成就預言に甘えて結局は自己価値を下げる。
 なので、「結構大変だけど、まあ頑張ればできると思うよ。二三回失敗はあるだろうけど」くらいのマインドセットを心がけております。

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 そんなこんなで、このところずっと甘いものを控えております。
 発見したのは、お昼ご飯、特にお米をしっかり量を食べると、そんなに甘いもの欲に引っ張られないという、当たり前すぎる事実です(笑)。そして、年齢ゆえか、さすがにごはんを何杯も食べなくても満腹になるので、少なくとも昼食については、ごはん減らそうとか思わない方がかえっていいなという感じでした。

 チョコレートは、もともと量や甘さよりも質とカカオ感を求めている人間なので、基本カカオ70%以上のあまり甘くないタブレットをぽりぽり5gとか10g食べるのが好き。この食べ方だと意外とカロリーが少ないので、あまり神経質に削らなくてもよいとわかったのも有り難かった。もし「チョコレート食べない!」と決めてたら、かなりの高確率で挫折してました。

 もちろん、「チョコレート+ビスケット」とか「チョコレート+ナッツたくさん」とか「チョコレート(を使ったケーキ)」とか、あまつさえ「チョコレートたくさん」になるといきなり摂り過ぎになってしまうので、そこは我慢である。

 ただし、私は土日は食べ道楽のつれあいと外食することが多く、こういう場面では贅沢なスイーツを避けきるのは難しいので、土日は割り切って美味しくいただく(と言ってもなるべく量は減らすよう心がける、コース料理でもそこまで好みじゃなそうな甘味をパスするとか)代わりに、月曜金曜は間食ナシを基本にしてつじつまを合わせております。

 そして何より、ふとした拍子に「甘いものを食べたいな」と思った時に、
「具体的に食べたい品物があるのか?
 気分を変えたいのか?
 嫌なこと思い出したのを振り払いたいのか?
 単調さや退屈を感じて刺激が欲しいのか?
 精神的な疲労感をおぼえていて回復したいのか?
 キライな作業をしないといけない代償・ご褒美感を求めているのか?」
といちいち自問して、「甘いものを食べたい」というラベルについた奥の欲求を深掘りするようにしました。まあ日常生活、そこまで考え事をしていられないという限界はあるのですが、少なくとも立ち止まるように頑張る。
 これまでなら「甘いものを食べたいな→甘いものを探そう(ごそごそ)」となっていたのを、「甘いものを食べたいな→本当に満たしたい欲求を探そう(ごそごそ)→その結果を踏まえて実際甘いもの食べるか決めよう」に置き換える感じです。そして、結構食べないで終わることも多い。

 同時に、ながらで食べることが難しい、嫌いじゃない作業や楽しめることを入れています。両手を使ってちょっと集中しないといけないゲームや、へっったくそな縫い物や刺し子をしたりして、「自分の心がふらふら彷徨って甘いもので埋めたくなる」時間を減らす。

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 そんなこんなで、何とか、一番マズかった時期に比べて腹囲や体脂肪が改善されてきてます。

 とはいえ、こういう「ダイエット成功しました♡」的な話というのは、一過性の成果を華々しく盛り上げて書くけれど、よくよく聞いたら続いてないことが多いのです。
「その後結局長続きしなくてやめました……」「あの後結局リバウンドしました……」なオチならまだマシでして。
「適用していたメソッドが他の健康被害をもたらしたっぽくて、病気になったり、果ては死んだりしました」な話も、累々と転がっています。
(レコーディングダイエットの本が売れまくった岡田斗司夫氏もリバウンドして再ダイエットには失敗したと聞くし、カロリー制限したら長生きすると提唱していたロイ・ウォルフォード氏、糖質制限ダイエットのロバート・アトキンス氏と日本の桐山秀樹氏も60代70代で病気で亡くなってるし……)

 なので、これをやったら本当に体脂肪が減って健康になるのか?という問いについては「正直わからん。今のところは何とかなってるけど、一生続くかどうかはわからないし」としか言えません。

 私としては、実際に甘いものをやめる云々よりも、「甘いものを食べたい」という一見素朴に感じる欲求すら、かなりの確率で別の欲望が偽装しているのだなぁということを実感できたことが、一番の収穫でした。
 よく「からだが求めるものを食べよう」と言いますし、真実なのですけど、本当の「からだの声」を聞き取るのって、意識して訓練しないと難しいですね。
 違う文化を基盤にしている違う言語を学んでいるような気分です。

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