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生ける屍に堪え得る存在はいない

 ひとは安定を求めて物事をコントロールするのだけれど、それがむしろ安定を損ねるのだな、という、言葉にするとありきたりに聞こえる重い事実を実感する今日この頃である。

 私の精神的視界はそんなに広くはないので、世界の大きな出来事に対しても、どうしても自分のレンズを通して考えてしまう。そのこと自体は、意識さえしていれば決して悪いことではないのだろうが。
 パレスチナ情勢は、ウクライナ情勢と同じく、息をするのが苦しくなる現実で、私は未だにこれを呑み込めていない。呑み込める日など来ないのかも知れない。巨大すぎる悪のかたまりを前に、とにかく少しずつ削り取っては、理解してマシな何かを考えようとしている。

 パレスチナ問題の専門家の分析を私が理解した限りでは、イスラエルの情報機関は、今回の起点となるハマスという組織を、「生かさず殺さずコントロールする」というのを目指しており、それに成功していたと思っていたらしい。

イスラエルの対ハマス戦略は、生かさず、殺さずです。完全に潰してしまうと、また新たに強硬な組織が出てくる可能性があるので、結局ガザに閉じ込めておいて、力がついたら、幹部を暗殺して力を削る。それを繰り返すことで、うまくコントロールできていると思っていたはずです。

朝日新聞 連載「イスラエル・パレスチナ 対立の深層 第9回 世界有数の情報機関モサド擁するイスラエル なぜ攻撃を許したのか」

 これを聞いて私が思い出したのは、世界情勢とはかけ離れた微視的なレイヤー、人間同士の関係のことだった。
 何事においても、不確実性を排除してコントロールできるようにしておきたいというスタンスで臨むという場面がある。そういう戦略を好んで取る人も一定数いる。ただ、物事に対してならばともかく、人間相手にそういうスタンスを取ろうとすると、相当な厄災を招く。

 何度か言及したことがある精神科医の中井久夫さんが、世界情勢とは全然関係のないところでつづっていた言葉だけれど、忘れられない一文がある。

もっとも、一般に人間改造などということを軽々しく口にすべきではないと私は思う。 結婚に際して、妻は夫を、夫は妻を、自分の理想に仕立てなおそうと意気込む人が少なくなかった。 これは特に男性の場合ピグマリオニズムーー人形愛――に通ずるものだと思うが、失敗すればまだしも、うっかり成功すると目も当てられない悲惨なことになりかねない。

『「つながり」の精神病理』
(中井久夫集 2 『家族の表象』収録)

 中井さんのこの文章のユニークなところは、「そんなことは許されない、失敗するに決まっている」と言下に否定するのではなく、「成功するかも知れないが、そうすると失敗した方がマシだったというほどの不幸につながる」ということを述べていることだ。
 そして、「うっかり成功」してしまった時に起こる「目も当てられない悲惨なこと」について、中井さんはこれ以上述べていない。
 この文が意味するのは、主に「改造されてしまった」相手の人格が壊れてしまう惨状についてなのだろう、と私はこれまでぼんやりと理解していた。
 だが、「イスラエルはハマスをコントロールできていると思っていた」という言葉を目にした時に、脳裏でこの文章が繋がった。このシナプスの繋がりがもたらした思考が、中井さんの意図したイメージと同じなのかどうかの自信はないけれど、もしかしたら、「目も当てられないこと」というのは、「改造してしまった方」に起こることなのかも知れない……と感じたのだ。

 最初のハマスのテロ行為について、多くの専門家が「イスラエルが油断していたために起こった」と分析している。そして何故油断したのかと言えば、それはイスラエルが長年ハマスを生ける屍としてコントロールできていたという自信だという。これだけ多くの識見が一致しているので、恐らく確度の高い原因のひとつなのだろう。
 そしてそれは、「自信」「油断」というような生易しい状態ではなかったのかも知れない。「自分以外の何かを、自分の都合の良い状態にコントロールすることに成功する」という出来事には、相手ではなくコントロールする側に作用する恐ろしい毒がある。気付かないうちに「コントロールする側」を腐らせる何かが、及ぼされるのだ。
 相手を生ける屍にしてコントロールし続けることで、「油断しないようにしよう」という心がけのレベルで防げるものではない、不可逆的で防止不可能な堕落が、コントロールする側に起こる。そしてその堕落が、コントロールそのものを損なっていく。
 それは別にスピリチュアルな話ではなくて、単純に、「どんな関係性でも相互作用がなくなることはない、たとえ支配のような一見すると一方通行に見えるものであっても」ということでしかないのだろう。生ける屍からのフィードバックに耐えて自らの豊かな生命性を保つことは、不可能である。

 世界情勢というレイヤーを離れて、私が強く感じたのは、本来コントロールできないものをコントロールするのは、他ならぬ自分を腐朽させる恐ろしい道なのだろうな……という実感だった。
 大抵の場合、他人をコントロールするなどということは成功しないので、われわれはこの種類の不幸に遭うのを免れているのだろう。そういうチャレンジが成功しなかったのは幸福なのだということを、トライする時にはしばしば忘れてしまうのだけれど。

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