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「残る人生で、男性に『営む』ことを経験してほしいな」

明日の言葉(その32)
いままで生きてきて、自分の刺激としたり糧としたりしてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。


※タイトルに上げた言葉は、ジェンダーやLGBTQIAなどが広まる前の言葉なので、ご承知の上お読みください。



ここ3ヶ月ほど、新型コロナウィルスによる外出自粛、そして緊急事態宣言により、男も女もその他の性の人も、やむなく家に閉じ籠もって生きてきた。

いままで1日の大半を「家の外」で働いていた人も、否応なく「家の中」で毎日の暮らしに直面せざるを得なくなった。

ご多分に漏れず、ボクも、人生でこんなに「家の中」にいて「日々の暮らし」に向き合った期間はない。

大学卒業から35年以上、「家の外」で「仕事という名のゲーム」に打ち込んできた。

子育ての時期など、それなりに家で暮らしに向き合ったけど、そんな時期もあっという間に過ぎ去り、どんどん仕事時間が長くなっていった。

そして、こうしてたかだか3ヶ月ちょいではあるが、毎日毎日家にいて「暮らし」を目の当たりにしていると、「あぁ、これが『営み』というものなんだな」ということが実感としてわかってくる。

少しずつだけどね。
でも、さすがにわかってくる。

というか、いかにいままで『営み』をしてこなかったか、思い知っている最中だ。


加藤登紀子さんの言葉にこんな言葉がある。

・・・というか、常識のようにこの名前を書いたけど、若い人は知らない人もいるかもね。もういま50代以上の世代にはとてもとても有名な人だ。

知らない方はぜひプロフィールだけでも見てください。



ボクは、光栄なことに、一度だけ数人でご飯をご一緒したことがある。

ご飯が終わる頃、ふとボクの目を見て、

「わたし、抽象的な話ができない人が嫌いなの」

と言われ、「え・・・」と固まったのだけど、ゆっくり間を持ったあと、ニッコリ笑って、

「あなたが大丈夫で良かったわ。またお会いしましょう」

と言われ、ホッとしたのをいまでも覚えている。

残念ながらあれからはお会いする機会には恵まれていないけど、なんか鮮やかに覚えてる。


閑話休題。

その加藤登紀子さんの言葉。

20年ほど前にどこかの雑誌で読んで、メモしておいたものだ(いまとなっては出典がわからない)。

ちなみに、20年以上前の言葉なので、まだ「女性は主婦になる」「男性は外で働く」みたいな価値観が主流だった時代の言葉だ。ジェンダーとかLGBTQIAとか、まだまだ意識がほとんどなかった時代の言葉なので、あしからず。


女はこれまでも、とても短いサイクルで生きてきた。
ご飯作って食べて、洗濯してまた汚して。
進歩がないように見え、若いころはうんざりしたけど、毎日創り出して毎日ゼロに戻す『営み』をしぶとく積み重ねたことが、今、強みになっている。

男たちは進歩したり、増やしていくことに価値を置いてきたから、定年で白紙に戻されるのがつらいのでしょう。
毎日プラスマイナスゼロで生きる生活感が必要ではないかしら。
残る人生で、男性に『営む』ことを経験してほしいな。


これらの言葉がいまとても胸に響く。

毎日創り出して毎日ゼロに戻す『営み』をしぶとく積み重ねたことが、今、強みになっている。

毎日プラスマイナスゼロで生きる生活感が必要ではないかしら。

残る人生で、男性に『営む』ことを経験してほしいな。


外出しなくなった当初は、仕事の習慣が壊れたことでストレスが溜まったし、こうして何の目的もなく過ぎ去る日々が「無駄」に思えて仕方がなかった。

登紀子さんと同じように、進歩がないように見え、うんざりしていた。

でも、これこそが『営み』なのだ、ということが、3ヶ月とはいえ、ようやく少し実感できてきた気がする。


毎日毎日、プラスマイナスゼロに戻す。
それをしぶとく積み重ねる。

家事をする、とかいう表面的なことではない。
日々、ただプラスマイナスゼロで生きる、ということだ。


登紀子さんの言葉はこう続く。

私自身は『なぜ家事は女なの』と思いながらも自分でやってしまった。本当はもっと夫にやらせてあげればよかった。夫は鴨川自然王国の1人暮らしで家事に出合い、営むことも経験できた。随分変わりましたよ。



なるほど。
ボクはどこかで「進歩するほうが偉い」「目的をもって生きる方が尊い」とかいう発想になっていなかっただろうか。

本当はもっと夫にやらせてあげればよかった。


あぁそうだ・・・ボクももっと『営み』に向き合ってくるべきだった。

いや、毎日の生に向き合ってこなかったわけではない。
わりと向き合ってきたとは思っている。
でも、プラスマイナスゼロの『営み』をしっかりやってきたか、と言われると、まだまだだと言わざるを得ない。

そう、まだまだボクも『営み』の初心者なのだ。



登紀子さんは、続けてこんなことも書いている。


若者も悩んでいます。
生きる意味を考え過ぎ、歩き出せなくなる人もいる。

でも気付いてほしい。
鳥はなぜ飛んでいるの? 飛ぶように生まれてきたから。

人間はなぜ生きているの? 生きるようにできているから。

理由なんていらない。
おなかがすいたら食べる。
けがすれば癒やす。

生きることに目的も理由もいらない。
生きることの中に答えがある。
それが命だから。



生きることの中に答えがある。
『営み』の中に答えがある。

その答えのほんの入口に、この3ヶ月のおかげで少し立てた気がする。

でも、気をつけよう。

少しでも以前の日常に戻ったら、「ちょっとだけこの手に掴んだ気がした『営み』の感覚」を、ボクはきっと、すぐ忘れてしまうに違いない。

どうすれば、この感覚を忘れず、プラスマイナスゼロを毎日くり返す『営み』を続けることができるか。

手探りだけど、しっかり意識して生きて行こうと、いま思っている。



古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。