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「なんでもないことは流行に従う」

明日の言葉(その24)
いままで生きてきて、自分の刺激としたり糧としたりしてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。


「こだわり」という言葉があまり好きではない。

まぁプロが自分の仕事において「素材にこだわった」とか「道具にこだわって」とか使う場合はいい(それでも、プロであればそんなこと当然のことであって、別に威張る問題ではないと思うのだが)。

でも、普通の人が、たとえば「俺って○○にはこだわっててさ」とか言うと、それは自己満足か、もしくは自分の偏狭さに対する言い訳に聞こえる。たいしたことではないのにそんなことを自慢してどうするよ、とか思うこともある。

というか、元々「こだわり」とはネガティブな言葉だ。

最近ではポジティブに褒め言葉として使われることが多い言葉ではあるが、元来は「どうでもいい(とらわれてはならない)問題を必要以上に気にすること」(新明解国語辞典第三版より)という意味だ。
だから「素材にこだわった」とかって本当は実に変な表現なのだ。

「主義」って言葉もあまり好きではない。

資本主義とか共産主義とかいう場合は別である。
ボクが好きではないのは、「オレってそういうことしない主義なんだよね〜」みたいな使われ方の「主義」。

特に若い人がそういう言葉を使うと「若くしてなんでそんなこと決めてんの?」とか思う。オーバーに言うと、人生の選択肢や可能性を狭めている気がする。

軽い意味で言っているのはわかってる。
でも、なんか「いや、どうでもよくない?」とか思う。

そういう意味では「私ってそういうヒトなの」みたいな言葉の使い方もわりと引っかかる。自分をカテゴライズして安心し、その場にとどまる感じがなんだかね。

こんなことを感じ出したのは特に50歳を超えてくらいからだと思う。

そんな些細な小さなことに「こだわり」とか「主義」とかいう言葉を使わない方がいいし、どうしても譲れないことは別にして、それ以外のたいていのことは、適当に流れに従っていればいいのだと思うようになった。

若いときはそういうあやふやな態度を「ずるい」と思ったこともある。
相田みつを的思考停止に思えて忌み嫌ったこともある。
細かいことでも「自分らしさ」や「自分の考え」を前面に出すべきだ、と思い込んでいる時期も長かった。

でも、いまではそんなこと、まったくどうでも良くなった。

そして、たとえば小津安二郎のこんな言葉に深く共感を覚えるようになった。

「なんでもないことは流行に従う」


本当は、この言葉はもう少し長く続いて、

「なんでもないことは流行に従う。 重大なことは道徳に従う。 芸術のことは自分に従う」


という警句になっている。

後半も大好きな言葉なのだが、ボクは特に最初の「なんでもないことは流行に従う」を、普段、心がけている。

ボクの中では「流行」というよりは「流れ」という言葉に近いニュアンスだ。ざっくり言うと、どうしても譲れないこと以外は流されちゃってオッケー、ということである。

そう、どうでもいいのだ。

仕事上でも生活上でも、ちょっとしたことが気になって他人に反対したり自分の考えをヒトに押しつけようとしたりすることがある。そういうときはこの言葉を思い出して、なるべく流されるように心がけている。

重大なことなどめったに起こらない。
人生に大事なことなんて実はとっても少ないのだ。

どうでもいいことは流れに従っておくことで、本当に大事なとき、勝負すべきときに集中できる。細かいところで戦わず、もっと本質的なところで戦うということ。表面的などうでもいいことでは戦わない

そういったことが、最近わかってきたように思う。

そして。
いつも自然体で鷹揚に構えている年長のオジサマとかへの見る目を変えた。

あれは「技」なのだな。
なんでもないことは流して自己主張しない。
大勢に影響がないことにはいちいち口を出さない。

そういえば「昔の親父」ってそんな感じだったな。
寺内貫太郎みたいにドッシリ構えて小事に驚かない。それはとても大事な技だったとボクは思う。

・・・まぁ細かいことにもいちいち口出すオジサンも多いけどねw


ちなみに後のふたつ、「重大なことは道徳に従う」「芸術のことは自分に従う」も年々胸を刺すようになってきた。

特に「重大なことは道徳に従う」なんて言葉は、いまの政治家たちに聞かせたい言葉だ

「芸術のことは自分に従う」という言葉は、ボクは芸術家じゃないし小津監督ほどの境地にたどり着けるわけもないので実際にはよくわからないが、美術作品とかを見ているとき、じっくり噛みしめる言葉だ。

「自分」に従う、とはどういうことか、ということも含めて、いろいろ深く考える。

この言葉により、美術作品を見ているとき、自分の内面とのディスカッションが起こる。それを大事にしている。


なんでもないこと。
重大なこと。
芸術のこと。


いろいろ考えていくと、人生にはこの3つしかない気がしてくる。

そして、ほとんどは「なんでもないこと」だ。

それらは流れに従おう。

そしてチカラを取っておこう。



大林宣彦監督の最新作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」の試写会に行かせてもらったのだが、その中で小津安二郎役が出てきて、この言葉「なんでもないことは流行に従う。 重大なことは道徳に従う。 芸術のことは自分に従う」を言った。ちょっと驚いた。
そして、大林監督もこの言葉を大切にしてたのかなぁ、と、ちょっとうれしくなった。


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