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出し惜しみしないこと。

明日の言葉(その34)
いままで生きてきて、自分の刺激としたり糧としたりしてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。


この「明日の言葉」シリーズで、前回「失敗上手」というコラムを書いた。


この中で、ボクはムツゴロウさん(畑正憲さん)のことを「この世の数少ない天才」と書いているのだけど、これは少しもオーバーに言っていない。

彼は一部で動物系お笑いエンターティナーと思われているムキもあるかもしれないが、そしてそれもある種の彼の守備範囲のひとつではあるのだが、ここでもう一度断言しておく。

彼は「得難い天才」だ。

いや、マジで。
もちろん動物と話せる天才、とかいうのではない。そんなの彼のほ~んの一部である。

ムツゴロウさんはボクが約60年で見た中で一番の「万能選手」だ。
それはもうダントツに。

なにやらせても、なに語らせても「広すぎて、深すぎる」。
彼の前だと自分が卑小な存在に思えてくる。
登るべき山の高さに腰が抜けてしまう。
いや、山じゃないな。山脈だ。世界トップレベルの山をいくつも持つ山脈だ。


広すぎて、深すぎる・・・。

彼の、そのあらゆる分野についての引き出しの多さは驚愕だ。そしてその引き出しすべてに渡ってかなり「極めている」。

これだけ万能な人間を、ボクは他に知らないし、これだけパワフルな人間も、ボクは他に知らない。

広すぎて、深すぎる。その広さ、その深さは、会って話してみると誰でも驚愕することだろう。


で、今日はその「秘密の一端」に触れてみたい。

最近はあまりお会いできていないが、人生の一時期、光栄なことに、本当によくお会いさせてもらっていた。

「同じ時代を生きている光栄」「同じ場所で空気を吸っている幸せ」「彼の脳細胞の片隅にボクという存在が刻み込まれている至福」みたいなものを、お会いするたびに感じていた。

で、何度もお会いし何度もお話ししたりしているうちに、彼のその「広すぎて、深すぎる」根っこが、実はある一点に収束していることにだんだん気がついてきたのである。


それは「彼はなんでも出来てスゴイなー」と単に驚いたり、「我々とは違う人種ー!」とカテゴライズして安心してしまってはいけないのではないか、と思わせる部分である。

つまり、ボクたちでもやれば彼に届くのではないかと思わせる部分

その根っこがあったからこそ彼は「広すぎて、深すぎる」人生を手に入れた、そういう部分。

何百時間と一緒にいて、やっとわかってきた。
彼は「ある才能」を伸ばすことで、すべての才能を伸ばしてきたのだ。
でもって、それは一般人にも十分可能だし、手が届く才能なのである。


それはなにか。


彼の根っこ・・・彼の秘密・・・あるレベル以上の偉人は誰でも持っている才能・・・。

才能、というより、姿勢、かな。

それは、「出し惜しみしないこと」。



もちろん他にもある。
「なんでも面白がる精神」や「なにかに集中したときのパワー」や「自分を運気に乗せる能力」など、いろいろ秀でたところはある。

が、それらも結局「出し惜しみしないこと」を原点としているような気がする。


出し惜しみしないこと。

例えば。
なにかを面白いと思ったら中途半端で止めないで、文字通り寝食を忘れて没頭する。
面白がる精神を出し惜しまないのだ、彼は。

ボクはすぐ「そろそろ寝ないと明日にひびく」とか思って適当なところで切り上げようとする。
でもムツゴロウさんは切り上げない。
翌日会社があろうがきつい仕事があろうが、寝ない。
ヘタすると1週間、寝ない。面白がる自分を出し惜しまず100%自分が満足するまでやり切る。

え? 彼は丈夫なのよ、私はカラダがきついわって?

彼だって常人なのだから、カラダはきついだろう。
でも「出し惜しみしないこと」を続けているうちにカラダもそれに応えてくるようになるのだ。
彼を見ているとそれがよくわかる。
好奇心にブレーキを踏まないと、カラダって意外ともつ。
自分の好きなことだったら徹夜だって楽々できたりするじゃない?
あれと一緒である。


出し惜しみしないこと

例えば。
ある分野を得意になってやろうと思ったら、そこにすべての力をぶつける。
パワーを出し惜しまない。
極限までそれに打ち込む。
先人の門を叩く。独自の近道を編み出して工夫する。
もうここいらでいいや、とは思わない。自分に負けない。世界でもトップクラスになるほどやりこむ。

え? そんなパワー、私にはないわって?

あるさ。出してないだけ。
ずっと温存しているだけ。
休養したら戻ってくるのに出し惜しみしているのだ。

ボクもどうしても楽な方楽な方に流れがちだ。
パワーは出さないと出し方を忘れる。
テンションの上げ方も忘れる。
疲れるから、しんどいから、と、いままでどれだけ出し惜しみをしてきたことか。。。


出し惜しみしないこと

例えば。
話に興に乗ったら、聞いている方がどう思おうが、止めない。
興に乗った自分をそのまま解放する。放流する。
自分の中で盛り上がっている想いを止めない。出し惜しまない。
自分に柵をもうけない。
自分を出しっぱなしにする。
出しっぱなしにすると違う自分がひょこっと顔を出す。そこまで自分を解放する。
彼は生活の細部までその精神を徹底させている。

え? そんなことやっていたら人に嫌われるわって?

いやいや、その人に嫌われても倍の人が好いてくれる。
だって「解放されたアナタ」はめちゃめちゃ魅力的だから。
そんでもって、話しているうちにどんどん違う想念が湧いてきて「あ、これ面白い!」とか思ってまた没頭するネタを見つけたりする。


出し惜しみしないでいると、さらにすごいことが起きる。

その姿勢を維持することで、「出し惜しみしない」というスキルが上がっていくのである。


出し惜しまないことを習慣づけているとそれが増幅されていくのである。
それがどんどんいい方向に回転していくのである。

つまり、例えばパワーなら、

パワーを出すべきときにそれを出し惜しまない
 →→ 出しているうちに出すパワーが大きくなってくる
 →→ どんどん際限なくパワーが出るようになってくる
 →→ 出しているうちに出し方も心得てくる
 →→ いつでもどこでも自由自在に出し入れが出来るようになってくる


ムツゴロウさんの真骨頂は、この「自由自在さ」だ。

出すべき時に、すぐ最大出力で出すことが出来る。
出したくないときは、ゼロ出力に自分をコントロール出来る。

だから賭け事も強い。
出し惜しまない習慣が、運気を呼び寄せる訓練になり、麻雀はもとより競馬でもちょっと信じられないような勝率を誇っているのだ。


・・・振り返ると、ボクは出し惜しみばかりして生きてきた。

「まぁこのへんでいいや」
「そろそろ寝ないと明日がきついな」
「あまりがんばる姿を見せるのも格好悪いしな」
「健康に悪いからこのへんにしておこう」
「まぁ他人に比べるとよくやってるしな」
「この程度がボクの限界かな」
・・・

ムツゴロウさんにお会いするたびに、ボクは猛省を迫られるのである。

いまこうして書きながらも猛省しきりだ。
最近ボクは「そろそろ年齢も年齢だしな」と、ブレーキばかり踏んでいるではないか。

というか、ムツゴロウさんが今のボクの年齢だったころ、つまり60歳前後のころ・・・ええと彼は1935年生まれだから60歳というと1995年くらいか・・・あぁ、ボクはそのころ彼に一番会っていた。

そしてそのころまさに、彼の「出し惜しみしない精神」に舌を巻いていたではないか。

そう、彼は60歳のとき、ボクが舌を巻くくらい出し惜しみをしていなかった

この事実を、この鮮明な記憶を、今後の人生で何度も反芻したい。


出し惜しみしないこと。

自分の中に眠っている好奇心やパワーややる気を、出し惜しまず、きっちり生きてみようではないか。



古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。