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「やりゃーいいじゃん!」

明日の言葉(その26)
いままで生きてきて、自分の刺激としたり糧としたりしてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。


「ワナビー」という言葉がある。
いまでも使うのかな? 昔はわりとよく使ってた気がする。

もともとは70年代アメリカの言葉である。
白人のくせにアメリカン・インディアンに憧れて彼等のライフスタイルを真似する一団を「wannabe(want to be)族」と揶揄したことに始まるらしい。

転じて、「何かに憧れ、それになりたがっている人」のことをワナビーと呼ぶが、アメリカではわりとネガティブなニュアンスで使われることが多い。

「あいつワナビーだからさー。いまの仕事まったくやる気ないんだよねー」ってアメリカ人が肩をすくめてるみたいな感じw

今の自分は仮の姿。
本来のオレはこんなとこにいる人間じゃない。
将来は絶対大物になってやる。I wannabe!


・・・振り返ればボクもワナビーのひとりだったな、と、たまに思い出す出来事がある。

あれは30代最初の夏だったか。
ニューヨークに出張で行ったとき、ポールという同年代の若者と知り合いになった。

彼は若くして友人と独立し、音楽プロデューサーをやっていた。
ボクはCM制作で何度か彼といっしょに仕事した。
日本語がぺらぺらな珍しいアメリカ人で、ある意味とても重宝していた。


ベンチャーとしてリスクを背負い、競争の激しいニューヨークで闘っている彼に比べて、ボクはぬくぬくな温室サラリーマンである。

ちょっと憧れたのか、もしくはちょっと対抗意識を持ったのか。
彼とふたりで飲みに行ったとき、ボクは思わずこんなことを言った。

「ポール、オレ、本当は本を書きたいんだ」

こうしてサラリーマンやってるけどさ。
本当は「自分の名前」でちゃんと勝負したいんだ。
独立してがんばってるポールならわかるだろ、そういう想い。

温厚なポールに甘えたのかもしれない。
「わかるよ、がんばれよ、お前ならできるよ」とか励ましてほしかったのかもしれない。
リスクを取って勝負していない自分が後ろめたかったのかもしれない。


すると、ポールは急にイラついた目になり(そんな目をしたのは初めてだった)、ボクをにらんでこう言った。


やりゃーいいじゃん!



一言叫ぶように言って、目を伏せ、黙った。
でもその言葉から数多くのニュアンスが感じられた。

「やりたい。なりたい。今の自分は本当の自分じゃない。そんなこと言うヤツ、ニューヨークにはいっぱいいるんだ。やれよ。やりたいと言って本当にやったヤツはほとんどいない。もうそんな甘えたこと言うヤツにはうんざりなんだ。そんなヤツばかりなんだ。なんだよオマエも同類かよ」


一瞬で自分の非を悟った。
顔が赤くなる。
心の底から後悔した。

もう、一生、やってもいないのに「○○をやりたいんだ」とか言うのは絶対やめようと誓った。


その数年後、ボクはニューヨークでポールに再会した。

おぉ~と抱きあってその後の消息を確かめあったあと、唐突にボクはこう言った。

「ポール、ボク、本を書いたよ」

ポールは「ハ?」という顔をした。
あまりに唐突だったこともあるけど、たぶんそんなことを言ったことさえ忘れていたのだろう。

でも、ボクはどうしても伝えたかったんだ。

あのなんでもないひと言がどれほど効いたことか。
ちゃんと有言実行しないとと、どれほど強く背中を押してくれたことか。

自分のイメージとは違う本ではあったけど、とにかく一歩は踏み出した。いや、踏み出せた。

その感謝をどうしても伝えたかったんだ。

あのとき強く、叫ぶように怒ってくれなかったら、いまのボクはない。

ありがとう、ポール。

ありがとね。



古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。