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柳ジョージ&レイニーウッド『Y.O.K.O.H.A.M.A.』

人生に欠かせないオールタイムベストな音楽をいろいろと紹介していきたいと思います。ジャズ、クラシック、ロック、ポップス、歌謡曲、フォーク、J-Popなど、脈絡なくいろいろと。


1979年。
高校3年の夏休み。

父の転勤に伴い、横浜は保土ヶ谷の祖父母の家に居候していたボクは、横須賀の市立図書館に毎日通っていた。

夏休みの図書館は受験生にとって天国だ。
エアコンが効いていて涼しいし、静かだし、そして周りがみな勉強しているというのは受験生にとって集中できる最高の環境だ。

そしてボクは、出版されたばかりの参考書の名作『英文解釈教室』(伊藤和夫著)をこの夏中に読んでやる、と意気込んでいた。


ボクが通っていた駒場東邦高等学校は渋谷にあった。
保土ケ谷駅から横須賀線で横浜駅に出て、東横線に乗り換え、渋谷駅で井の頭線に乗り換える。そして駒場東大前駅へ。

必然的に、学校帰りにブラブラするのは、乗換駅である渋谷か横浜になる。
ボクは渋谷はどうしても合わず、8割方横浜で遊んでいた。

遊ぶといっても、当時の高校生の遊びなどたかが知れている。
横浜だと、西口のダイアモンド地下街、相鉄ジョイナス、駅ビル・・・そのあたりをぐるぐると歩き回って遊んでいた。

当時は東口なんか何にもなかったから西口だけで遊んでいた。もう完全に「我が庭」状態。どこでも目をつぶって歩けるほどだった。

『Y.O.K.O.H.A.M.A.』という題名のこのレコードを買ったのも、そんな「横浜はオレの庭」的な自意識のたまものだったのかもしれない。「和製クラプトン」と言われてた柳ジョージも特に好きなわけでもなかったし。

買ったときの気分をなんとなく覚えている。
横浜のレコード店でこれを見つけた時、「YOKOHAMA?? こんなに毎日横浜を徘徊しているオレが買わんで誰が買うんだ」ってねw

まぁ高校生の世界観ってそんなもんだ。


家に帰って聴いたら、なんか思ってたのと全然違った。

漢字の「横浜」ではなく、英語の「YOKOHAMA」がそこにあった。

西口でも元町でも外人墓地でもなく、本牧であり、横須賀であり、ドブ板だった。

そして、すごく格好良かった。

柳ジョージのしゃがれ声は、見慣れた景色を異国にしてくれた。
その歌はロックというよりブルースだった。

臆面もなく表出されるアメリカへの身を捩るような憧憬。
その裏側にあるやさぐれたコンプレックス。
ちょっと恨みがましいその目線。

なんだろう、すごく胸を刺した。

そして、本牧、横須賀、米軍基地あたりをよく知らなかったボクは、その後、おっかなびっくり、その辺を探検するようになった。

目に映る光、鼻腔をくすぐる匂い、そして独特の音、音、音。

すべてが英語のYOKOHAMAだった。

高校3年の夏、ボクはようやくそれを知ったのだった。


さて。
はじめの話に戻る。


高校3年の夏休み。

父の転勤に伴い、横浜は保土ヶ谷の祖父母の家に居候していたボクは、横須賀の市立図書館に毎日通っていた。

そう、ちゃんと通ってはいた。
図書館行って席を確保し、参考書類を机に置いた。

でも、そのままボクは、横須賀の町に出かけてしまった。
毎日でかけた。

今日は本牧、明日はドブ板。
フェンスの向こうを眺めながら、口元にはもちろん柳ジョージ&レイニーウッドの『Y.O.K.O.H.A.M.A.』。


『英文解釈教室』なんて読了できるわけがない。
そして、自称「横浜の主」は、当然のように浪人生活へと突入していったわけですね。


・・・というか、柳ジョージ&レイニーウッドなんて、いまの若い人は知らないかもなぁ。柳ジョージも2011年に亡くなってしまったし。

最大のヒットはやっぱり『雨に泣いてる』か。

以下のは2005年のの復活ライブなので、若いときよりずいぶん線が細くなった柳ジョージではあるんだけど(そしてこれはこれで味があるんだけど)、一応リンクしておこう。

この曲はこの『Y.O.K.O.H.A.M.A.』にも収録されている。


このアルバム、1曲目の『プリズナー』から最後の『Fenceの向こうのアメリカ』まで、隙なく名曲揃いだ。

特に『プリズナー』と『本牧綺談』『フェンスの向こうのアメリカ』が、ボクは好き。


ちなみにこのアルバムの翌年出したシングル『青い瞳のステラ,1962年夏…』も大好きで、一時期こればかり聴いていた。


いい曲だな。
いろんなことを思い出す。。。




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