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さとのば大学1年生、はじめてのマイプロ奮闘記【合宿プロジェクト 後編】

■このコーナーについて
このコーナーは、さとのば大学の在校生が、学生の目線からさとのば大学の今をお伝えするシリーズエッセイです。

現在、4年制のさとのば大学には1年生6人、2年生1人が在籍中。7人のメンバーそれぞれが留学地域に暮らしながら、オンライン講義で日々顔を合わせています。
そんな彼らが夏休み期間に合わせて立案・企画・実施したのが「さとのば生合宿」。今回はそんな「合宿プロジェクト」について、1年生のももちゃんが振り返ります。
(さとのば大学note編集部)

▼語り手

▼過去のエピソードはこちら


一抹の淋しさと迎えた最終日の朝

3日目を迎えた朝、起きた瞬間になんだか寂しい気持ちになりました。
ああ、終わっちゃうな、と思って。

そんな寂しい気持ちを抱いていた私とは裏腹に、大変慌ただしく、一日が始まりました。

まずは大量に余らせた夜ご飯の残りを消費しなければいけません。アレンジを加えたり、これでもかと朝の胃袋にご飯を入れ、既にみんな疲れたような顔をしていました。

こうしてなんとか最大限に食べきった私たちは、未開封あるいは日持ちがしそうなものは持って帰ることに。この3日間、まるでフードファイターのような心持ちでした。

しかしまだ事態は終わっていません。いつもならオンラインで開催している「リフレクション」を、この後9時からリアルで実施することになっていました。

リフレクションとは?
感じたことや気づき、学びを言語化し、内省を深める「振り返り」のこと。さとのば大学ではこの学びを深める「リフレクション」を重視し、授業にも積極的にとり入れています。

さとのば大学の講師陣の面々がやってくるというのに、こんな体たらくではせっかくのリフレクションが台無しになってしまいます。荷物はまだ盛大に散らかしたままです。

というわけで大急ぎで荷物をまとめ、部屋を片付け、退去チェックを済ませ、リフレクションの会場へ移動を完了させました。

合宿の意義を再確認した「リフレクション」

リフレクションがはじまりました。

普段、リフレクションはZoomで行っているため、お互いの顔は見えているようで見えていません。それが、リアルでは相手の顔も含め、空気感であったり、相槌であったりがダイレクトに伝わるため、充実感たるやすごいものでした。

やっていること自体は普段とあまり変わらないはずなのに、場所が変わったり、直接膝を突き合わせて話すことでまた違ったものが見えてくるというわくわく感。

その後、リフレクションとは別に「win-セッション」というワークをしました。お互いに、普段は伝えることのない「ありがとう」の気持ちや「ここに助けられているよ」という言葉を贈り合うというものです。

これはなかなかに感動ものの時間でした。そんなふうに思われていたのか、とか、この人の存在ってやっぱりでかいよなと改めて噛み締めたりだとか。

「出会えてよかった」「もっと早く出会いたかった」「いてくれてよかった」…。

じんわりとあたたかい気持ちが込み上げてきます。

その後はいつものように「チェックアウト」をしました。この合宿を終えるに当たって、どんなことを感じたのか、どういう合宿だったのか、一人一人言葉を置いていく時間。輪になって椅子を並べ、順にポツポツと話していきます。

チェックアウトとは?
さとのば大学では、授業の始まりや複数人が集まる会議の場などで「チェックイン・チェックアウト」を実施しています。これは参加者一人ひとりが、その時の気持ちや心境、またはテーマに合わせて1分程度話をしてから会を始める(終える)というもの。一言ずつでも発言することで、気持ちを場に向け、主体的に関わる姿勢を意識できるほか、発言しやすい場づくり(心理的安全性)にも繋がります。

何を話したのか、皆までは言いません。何を感じたのかは、それぞれの心のうちにあればいい。きっと、あの場所で、あの時間を過ごした人にしかわからない何かがあるでしょう。わかってもらおうなんて傲慢なことは思わない。

ただ、合宿のフィナーレにふさわしい時間であったことは確かでした。

これがさとのば大学です!と言えるような時間でした。
まさにスローガン通り、輪を囲み、抱き合い、熱く、あつく語った夏でした。

いつだって私らしく、私たちらしくあれる、さとのば大学というコミュニティ

私は、この合宿を通して、いつだってあの頃に戻れるんだと思いました。

ドラえもんの映画の主題歌にもなった福山雅治の『生きてる生きてく』という歌の中にこんな歌詞があります。

【不思議なものだ 子供のころは大人になんてなれないのに
 大人になれば「ときめく」だけで いつでも子供になれる】

わたしはこの歌詞がとても好きでした。

現代ではなぜか早く大人になれと急かされるような、そんな苦しい中を生きています。まともに子ども時代を子どもらしく生きるのはなかなか難しい事の方が多いように思います。

それは、大人になれと急かしてくる環境のせいでもあるけれど、そうせざるをえなかった経験のせいでもあって。学校に行けないだとか、教室が怖いだとか、クラスメイトとの関係がよくないとか、人それぞれ色々とあります。

でも、この合宿では、みんな子どものようにはしゃいでいました。

今までの講義中には知る事のなかった意外な一面を垣間見て。ちゃんと、学校という姿にふさわしく、青春を体現していました。

今はもう、大人と呼ばれる部類になってしまったわけだけど、みんなこの3日間は子どもでした。

学校という舞台に、全力で海で遊んだり花火をしたりすることに、同じ志を持った仲間たちと同じ時間を共有するということに、きっと「ときめいていた」からに違いない。私はそう信じたいのです。

直接聞いたわけではないから、本当のところはわからないけれど、合宿で実現したかった裏テーマである「過去の清算」は果たせたのではないでしょうか。

そして、もう一つ感じたことがあります。
それは、みんなに出会えてよかったということ。さとのば大学というコミュニティに出会えてよかったということです。

もし、みんなともっと早く出会えていたら。
この合宿みたいに、同じ地域に生まれて、同じように育って、同じ学校に通っていたら。
そんなことを考えなかったわけじゃない。
楽しかったと思う。もっと笑えていたと思う。

でも、もしもっと早く出会えていたら、今の私は、私たちはこうはなっていなかったはずです。

過去のあの日々を、笑って話せるほど向き合えているわけじゃない。
それでも、あの日々があったから、強くなれたんだと言えるくらいには嫌いじゃない。
だから、今このタイミングで出会えたことには何か意味があるんじゃないか
と思ってしまう私は脳内お花畑ですか。

どう頑張ったって、あの過去が消えてなくなることはない。
そんな簡単に消えるなら苦労はしていない。
けれど、いい思い出もちゃんとあったのだ。
ネガティブに支配されていて、忘れていたけれど。
ちゃんと好きだった。

もう、思い出して泣いたりはしない。
自分を責めたりはしない。
今の私たちは一人ではないからだ。
だからきっと大丈夫。

こんな素敵な合宿を開催することができたこと、関係各所にありがとう。
貴重な経験をすることができました。一体誰に、どれだけの感謝を伝えたらいいんだろう。
改善すべきことも、反省すべきことも山のようにあるけれど、何より学び取ったことは計り知れません。

だから、またみんなで合宿に行こう。来年の夏だっていい。むしろこの冬だっていい。

ときめくだけで、いつだってあの頃に戻れるんだ。

わたしたちの青い夏は終わらない。

(おわり)


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