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「哀れなるものたち」は「不適切にもほどがある」の答だったりする。

「哀れなるものたち」を観た。

おはなしのおもしろさとか、
美術や衣装の素晴らしさとか、
やりまくりの凄さとか、
褒めるとこはいろいろあるけど、

やっぱりエマ・ストーンですよね。

原題が"POOR THINGS"
「かわいそうに」とか「気の毒に」とか
まあsがついてるから
「残念な人たち」みたいな感じで
この日本語訳になってると思うけど、

それよりは「足りないものたち」
みたいな方がしっくりくる。

山里さんと若林さんの「たりないふたり」
のニュアンスの「足りない」。

で、たりない「ひとり」が
ベラ(エマ・ストーン)。

彼女が何事にも囚われずに
足りないものを獲得していくお話。

周りに出てくる人々も
もちろん足りない人々で、
だけど彼らはすでに囚われている。

囚われてる人ばっかり。
常識とか習慣とか規律とか正義とか
性別とか外聞とか親子とか恋人とか

あれ、これ既視感ある。

と思ったらこれでした。

もういろんなことに囚われまくりで
結局それは昭和でも令和でも変わらない。

主人公の地獄の小川
囚われていないようで囚われている。
もう昭和を背負ってしまってるし。

その点、
ベラは出自からどこにも属していない。
だからはっきりと違いが見える。

そしてそういう存在はあり得ない。
あり得ないから作品になってるんですね。

現実に叶えられないことを
作り出すための装置
だったわけです。

と言いつつ、似たような感覚あったな。
と思い出したのが「風と共に去りぬ」

南北戦争の時代に
何にも囚われずに生きる女性、
スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)
ベラの生き方となんか似てる。

ベラは作り出された人間だったけど、
スカーレットは後の時代の価値観を持って
生まれてきた、みたいな感じで、
タイムスリップものでリメイクできそう。

と、話が逸れたけど、

「不適切…」のどうにもならない、
誰も悪くないんだ、時代が悪いんだ、
を解決できる手段は、

ここにベラを
送り込むしかない。

そしたら昭和の人も、令和の人も、
恥ずかしくてグダグダ文句なんか
言ってられなくなると思います。

まあそういう意味では、こっちのドラマの方が
「哀れなるものたち」って気がしますな。


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