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SSRIを飲んでまでストレスを我慢する必要があるのか


ジェイゾロフト服用の経緯

現在私はジェイゾロフトを飲んでいるが、服用をやめようと思う出来事があった。それは他罰性(=失敗や不幸を他人のせいにすること)が強まる出来事があったからである。

最近、私は大学に再入学を決め、そのための予備授業を受けている段階だ。しかし、それに伴って授業中にパニック発作が起きることでジェイゾロフトの服用を決めた。しかし、その副作用として、病気への不安や将来への不安を親にぶつけることが多くなってきてしまった。

元々はサインバルタを服用していたのだが、パニック発作の抑制により効果のあるジェイゾロフトに変更したはずだった。しかし、その効果は裏目に出てしまった。

他罰性への対策

他罰性が強くなってしまったことへの対策としては再度抗うつ薬をサインバルタに変更することにした。サインバルタは元々かなり自分の体質に合っている。実は母もサインバルタを飲んでいて、おそらく親子で体質が似ているのだと思う。

大学の授業でパニック発作が出てきているのは、おそらく一時的な環境変化へのストレスによるものなので、少し様子をみようと思う。抗不安薬のメイラックスはもうすでに2mgというMAX用量を飲んでいるのでこれ以上は増やせない。

頓服でリーゼももらっているが、大学の授業のたびに頓服を飲むのは頓服という性質上あまり良くないだろう。どうしても授業を受けるのが苦痛であれば大学をやめることも視野に入れなければいけない。

大学に通う意味

それに大学への再入学を決めたものの、大学に通う意味がなんなのか正直自分でもよくわからなくなってしまっている。薬学部に特待生として合格したのはいいものの、薬剤師になったからといってそれが自分のしたい仕事なのかがよくわからないのだ。

確かに資格をとって仕事をすることは社会貢献になるし、お金も稼げるだろう。しかし、自己理解を深めていくうちに本当にそれが自分にとってストレスなく生活する術なのかどうかが怪しいと思い始めてきた。

人生には大きく分けて2つの生き方があると私は思っている。一つは社会的成功を目指して突き進んでいく道だ。薬剤師になれば社会的成功への道に近づけるだろう。そして二つ目は人生自体を楽しむ道だ。これはよりストレスのない生活を求めて生きる道だ。自分のやりたくないことはできるだけせずに、社会的な体裁などは一切気にせずに生きる。後者の道の方が自分にはあっているのではないかと思い始めている。

そうなると大学に通う意味はなんなのかよくわからなくなってくる。果たして6年も苦しい思いをして薬剤師になったところで意味がある生き方ができるのだろうか。確かに薬剤師になれれば一種のアイデンティティとして薬剤師であることを名乗ることができるし、気持ちが良いだろう。

しかし私の本心はそれを望んでいない気がするのだ。たとえ社会的な体裁が悪くてもストレスのない暮らしを自分が望んでいるとしか思えなくなってきている。おそらく家族へ強く当たってしまったこともジェイゾロフトの影響だけではなく、自分の心理面も大きく影響している。

なぜ大学を再受験しようと思ったのか

ではなぜ大学を再受験しようと思ったのか。今思うとそれはなんとか社会のレールから外れたくなかったからではないかと思っている。大学を再受験して、薬学部に入って薬剤師になれれば、なんとか他人から見て「まともだ」と思ってもらえるようになる。そう思ったのだ。

ある意味では病気と向き合うこと、自分が本当に何を求めているのかを探る心理的な探求から怖くて逃げていただけなのかもしれない。うつ病で働けない時、その時の自分にできることは、なんとか将来の自分に向けて「勉強」という投資をすることしかできなかった。

しかし今になってみるとよくわかる。勉強はただ単に現実から目を背けるために必死になれることを探していただけなのだと。うつ病の治療には、熱中して病気という現実から逃げられるものが有効だと思う。しかし、自分にとってはそれが大学の再受験というもので、結果的に自分が本当の求めているものを探す旅の遠回りになってしまった。




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