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外からの影響では進化しない

外からのアプローチで、一人を変化させようとすることは、理から外れる手法

わたしは、考えを押し付ける事はありません。

答えを教えるという事はそういう事でもあります。

わたしが、やっている事は、内側からの示唆を100%活かす事ができる在り方を整えること。

その比率によって、見える世界が変化したように感じることでしょう。

すべての教え(ビジネス・ノウハウ・経典・・・)

教えとして、存在しているということ自体が、外からの矯正となります。

しかし、それらの人類への貢献は、大きかったように思います。

この時代、経典や教えを超えた観点に立つポテンシャルを持った方が増えてきました。

その方々にとっては、教えはかなりの割合で毒になります。

すべてから自由であること、それは、すべてから独立している事でもあります。

以前の社会では教えを信じることを当たり前のように行われていた事で、気が付き始めている方々を苦しめる事となっていました。

今、気が付き始めていると考えている方々

その様な方々を見ると、多くの方が、かなり遠いところにいるように見えます。

「私は解っている」という主張は、だんだん起こらなくなっていくモノなのです。

ですから、本当にわかっている方は、あまり多くを語りませんし、あまり、多くの方の目に触れるところには出てこないのかもしれません。

それを、わたしは、変えたいとも考えています。

そういった方こそ、表に出て、顕してほしい・・・

しかし、現象を超えた観点から顕せる方は、世界でも片手で数えられるくらいしか知りません。

真理や真実は、数多の答えと変わらない

誰かが、それを真理だと言えば、それを信じている間は真理です。

それを信じる者が、多かろうが少なかろうが、それは変わりません。

どんな言葉であろうと、それを、真理だと言わない限り、真理にはなり得ません。

真理を在る様にしているのは、それを真理と考える「私」が言葉を真理として存在させることになります。

そういった意味で、人間は創造主とも言えます。

真理を探究する時、真理があるわけではなく、「私」が、真理と信じることができる、言葉を選んでいるという見方もできないでしょうか?

「私」の意図によって、真理がそこにあるのです。

真実も同じことです。

真実や真理を追い求めることに何の価値が有るのでしょうか。

その価値は永遠に続くのでしょうか。

結論を言うなら、そんなことはないのです。

この世に在る、素晴らしいとされる経典でさえ、時が経てば、廃れていく事になります。

時とは、「私」の進化です。

時間ではありません。

「私」が進化したなら、経典は日常の一部になります。

その段階まで行くには?

それには、経典を在るようにした境地に立つこと。

その時、経典の内容をすべて、内包している自覚に至っています。

経典を理解するには、経典を書いた者と同じ境地に在る事が最も大切だと思うのですが、世の中の常識は違うようです。

したがって、わたしは、勉強する意味を全く感じません。

その様になるだけでいいのに、その方が書いたモノを勉強して解ると考えるところの合理性を全く感じません。

なるだけでいいのに・・・

この事は大切な事です。

なるだけでいい・・・だからなるだけをしてもらっています。

余計な事をするなら、その境地に立つことの時期を延ばすだけです。

だからこそ、わたしは、余計な知識を付けさせません。

余計な事を教えないという事です。

そうしつつ、その方の可能性を昇華させていきます。

それも、自分でできるように整えるだけです。

すると、未来永劫、進化が止まらなくなる。

もちろん、肉体を失った後もです。

わたしは、この世の観点で考えていまいません。


ビジネスでも、ノウハウでも、経典でも・・・etc.

それに、本質的な理解が起こる時は、それらに縛られていない時です。

こういった経験は誰でもありませんか?

それらを勉強しているうちは窮屈でうまくできませんが、うまくできるようになった時、うまく回せるようになった時には、勉強したことに縛られていないはずで、様々な見方ができるようになっている。

という建研されている方は少なくにように思います。

だからこそ、最初から、その在り様をつくってしまえば最も早くマスターできるのです。

これらは、考えてもわかるものではありません。

思考を超えた観点からの示唆を実際に行っているだけなのですから。

説明はできてもしません。

思考で重くするだけだからです。

エゴを刺激し、エゴを太らせることなく、思考を触媒として使う

思考をうまく使う事で、内側からの示唆をあなた自身の内側から起こるように整える。

これをするだけで、「私」自身の内側に偉大な師匠が顕れます。

自分自身で在るそれが、「私」自身を導くようになります。

そこからは、その感性を曇らせないように生きるだけになっていきます。

それも、なかなか難しいかもしれません。

なぜなら、人間としての習慣・パターンが、引力の様に作用するからです。

だからこそ、先達といる事はずいぶん助けになります。

所用で、空白ができてしまいました、この続きはまたいつか・・・


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