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市民活動やNPOの手本は「きのこ」にあり!? きのこ熱に浮かされている、あるNPO代表者のつぶやき

 この頃、僕は人に会うたび、きのこの話ばかりしている。市民活動やNPOに関わっている人には「”草の根活動”より”菌糸活動”と呼ぶほうがいいんじゃないか」などと、わけのわからないことを言っている。

 ほんのこの1ヶ月ほどの間に、僕の中で何が起きたのか。自分自身も忘れてしまうかもしれないから、熱に浮かされている今のうちに、書き留めておこうと思う。

 これは自分向けのメモだ。でも、最近きのこに関心がわいたという人にはちょっとした知識や情報源の紹介にもなるかもしれない。また、僕のアタマがおかしくなったのではないかと心配してくださる人には、それなりに筋の通った話だと思っていただけるかもしれない。


きのこ熱のはじまり

 僕がきのこ熱にかかったのは、僕が暮らす滋賀県日野町にある「しゃくなげ渓(だに)」である。

 国の天然記念物にもなっているホンシャクナゲ群落にちなんで名付けられた川のある里山で、適度に人の手が入っている。
 ひょんなきっかけで、昨年の夏から月1回、このしゃくなげ渓を散策する「しゃくなげ渓ウォーク」という活動を仲間と始めた。どんな生きものがいるのか、どんな植物が生えているのかを、少しずつ調べていこう、と始めた会だ。

 その活動で、最初に驚いたのが、きのこの多様さだった。川沿いの雑木林という、湿気のある環境のせいだろう。色も形も多様なきのこが、あっちにもこっちにも生えていて、そのバラエティの豊かさに、心を奪わたのだ。

 とはいえ、この一年は、活動のペースを整えたり、参加者の方々との交流を深めたり、森全体の変化を捉えたりするのに精一杯で、きのこに特化して関心を深めることはできなかった。

 この7月でまる一年を経て、活動も慣れてきた頃、再び、きのこに再開するのが楽しみになってきた。しかし8月は、酷暑のせいか、きのこはほとんど見かけられず、植物も生気がないようだった。

 そして迎えた9月。まだ蒸し暑い日だった。一歩、林道を歩みだしたら、あちらにもこちらにも、きのこ、きのこ、きのこ!道中、さまざまな色や形のきのことの再会に、心が踊った。

 そして、森を歩きながらふと、不思議な感覚が湧いた。それは、「いま、僕のまわりは、足元の土の中から頭上にそびえる枯れ木まで、きのこの菌糸におおわれている!」そして「きのこが、この森を分解している!」という感覚だった。
 「きのこのことをもっと知りたい!」衝動が湧いた。町立図書館で、きのこの本を借り漁った。

↓この日のウォークの記録を綴った「しゃくなげ渓だより」

9月のしゃくなげ渓だよりです。 今回はキノコにたくさん出会えたので、キノコ特集の装いです。 次回は10月15日(日)です。 キノコはまだ見られるかな?コナラやクヌギのどんぐりが落ちているかな?

Posted by しゃくなげ渓ウォーククラブ on Tuesday, September 26, 2023

分解することと、育みあうことーきのこの役割ー

 まず、鍵となった本が「きのこの教科書」だった。著者は佐久間大輔さん。大阪自然史博物館にお勤めとのこと。

 しいたけやしめじなど、普段、食卓にのぼるきのこを入り口に、きのこの分類から、生態、観察の仕方など、わかりやすく、かつ、深く解説されていてた。
 加えて、「きのこ人物伝」なるコラムで、日本のきのこ学を築いてきた人々の足跡にも触れることができた(この話はまた別の記事で紹介したいと思う)。

 また、きのこライターの堀博美さん著「ときめくきのこ図鑑」も、コンパクトにきのこの魅力や生態、そして文化的な話も紹介されていて、面白く読めた。

 これらの本を通じてまず理解したことは、きのこの本体は、地上に出てくるきのこではなく、土や木の中に張り巡らされている菌糸だということ。
 土をほじくったときに出てくる、細い糸のようなものがそれだ。いわゆるきのこは胞子を飛ばすためにつくられる「子実体」とよばれるもの。いわば菌糸の「花」とでもいうべきものなのだ。

 そして強く僕の印象に残ったのは、きのこは大きくは3つに分かれる、ということだった。日本だけでも数千種あると言われている膨大な種のきのこも、たった3つに分かれると。それは、下記のとおり。

「腐生菌」ー倒木や落ち葉などに生えて分解するきのこ。しいたけや舞茸など、人工栽培されているきのこは基本的にこちら。
「菌根菌」ー植物の根とつながって、育みあう(共生する)きのこ。分解した無機物を植物に与え、反対に植物から糖をもらって生きている。まつたけやトリュフなど、人工栽培がむずかしいきのこ(だから高価!)。
「寄生菌」ー虫に寄生する冬虫夏草や、きのこに寄生するきのこなど、寄生をするきのこ。

 そのうち、僕らが森の中でよく目にするきのこは前者の2つだ。
 「腐生菌」は、枯れた木や草を分解して土に還している。そして「菌根菌」が、草木に栄養を与え育てていると同時に、草木によって生かされている育みあう関係(共生関係)にある。
 これらのことを知り、僕がしゃくなげ渓で感じた、森はきのこに包まれているという感覚は、やはり間違っていなかった、と、はっきり理解できた。森は、きのこのはたらきによって、分解と再生を繰り返すことで、持続しているのだということが。

市民活動の手本は「きのこ」にあり!?

 と同時に、いま、僕らが社会のなかで感じている行き詰まりをクリアしていくためのヒントが、この「分解する」「育みあう」きのこのはたらきにあるように感じた。

 少し話が飛躍するかもしれないが、少し、お付き合いいただければありがたい。

 根本的に変わることができない学校では不登校が増え続け、根本的に変わることができない政治や行政は問題解決がまた新たな問題を生じさせるループにハマっているようにも思う。地球温暖化の危機にあっても根本的な変革ができない新自由主義的な経済システムは、収奪と格差と争いを生じさせ続けている…これらの「変わらない構造」に、僕らはいま、苦しんでいるように思う。

 それは、きのこが果たしているような作用が、この社会の中であまり働いていないからではないか?

 たとえば、「分解する」こと。
 構築することや、維持することばかりに力を注いで、一度つくった仕組みやルール、既成概念や常識など、既存のものを分解することを恐れているから、新たなものをつくりだす余地も、エネルギーも時間もお金も、得られなくなっているのではないだろうか。

 また、「育みあう」こと。
 事業の売上とか、活動の成果といった、目に見えるもの(地上で成長する木や花や実など)ばかりを追い求め、時間やお金や人や情報や機会(栄養)を集めることばかりに腐心して、すぐには結果の出ない取り組みや、家族や仲間や地域での楽しみや助け合いといった、目に見えない営みとつながり(土の中の菌糸の営み)を守り育むこと(糖を菌に返すこと)をおろそかにしているから、経済も、社会も、根っこから弱って言っているのではないだろうか。

 そして行き着いた答え、それは市民活動やNPOの活動が果たすべき役割は、社会の中できのこのような働きを豊かにしていくことではないか、ということだ。
 今あるものを問い直し、崩し、それを栄養源として、新たなものを育む営みを果てしなく続けていくこと(自らが生み出したものもまた、崩すことを恐れずに!)。

 目に見える貨幣価値や成果評価(KPIとか!)ばかりに人々の関心が向かうことに「ちょっと待った」をかけ、必ずしもお金にならないこと、すぐに成果につながらないこと、だけど、何かを楽しむことや深めること、人と人とのつながりを育むこと、森・川・里・湖・海の再生を手助けすることなどにも、人々が時間、モノ、お金、エネルギーを注いでいく(見えない世界に還元していく)ような状況をつくっていくこと。

 もちろん、地下だけ豊かになればよいということではない。大切なのは地上と地下とのバランス、そして関係性だ。

 あぁ、そうだ、3つの分類の3つめ、「寄生菌」が果たしている役割について、言及していなかった。これについては諸説あるようだが、たとえばある虫が増えすぎてしまいそうなとき、寄生して殺して数を減らす、といった「バランスを整える」役割を果たしているという情報もネット上で耳にした。↓

 というわけで、きのこが果たしている「分解する」「育みあう」「バランスを整える」作用を、社会の中で促進することが、市民活動やNPO活動の果たす役割ではないか?ということに行き着いた!

 なるほど!と思ってくださった方も、いやー、ちょっとねー、という方もあろうかと思う。
 ぜひぜひ、感想をお知らせいただければありがたい。
 できれば、しゃくなげ渓ウォークに来ていただいて、森の中を歩きながらおしゃべりできるのが一番!

 さぁ、明日は10月のしゃくなげ渓ウォーク。
 どんなきのこに出会えるかなぁ!
 まいどまいど、参加者の皆さんとのおしゃべりも、楽しみだ。

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