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小説「モモコ」第1章〜1日目〜 【4話】

「君は何者なんだい?」

 僕は、ベッド上段にいるモモコを見上げるようにして訊ねた。

「さっきの連中といい、君の頭の良さといい、いろいろと普通ではないことだけはわかるよ。誘拐犯の連中のことを警察に言えないというのもおかしな話だよね」

 モモコはしばらく黙っていた。

 やがて上段から梯子を伝って降りてくると、僕の横に座って言った。

「私のことを教えたら、あなたのことも教えてくれるかしら?」

 モモコは興味津々といった口調だった。

「物事はウィンウィンでなくちゃ」

「できるならそうしたいけど、あいにく、僕にも僕のことがわからないんだ。なにせ、何も覚えていないからね」

「それもそうよね」

 モモコは小声になって続けた。

「だから、まずはあなたの記憶を戻すことにしない?」

「記憶を戻す?」

「そしたら私のことも教えてあげるわ」

「それはいいけど、記憶を戻す方法を何か知っているのかい?」

「いいえ、全然」

 モモコは当たり前のように答えた。

「だから、探すのよ。方法を」

 彼女にとって、記憶を取り戻すことは大した問題ではないようだった。自分自身も大きなトラブルを抱えているだろうに、小さい体のどこからその自信が湧き出てくるのか不思議でならない。

「あなたの記憶が戻ったら、あなたには私の問題をすべて話すわ。そのあと、その問題を解決する手伝いをしてもらえるかしら?」

「よくわからないことばかりだけど」

 わかったよ、と僕は頷いた。

 モモコは僕の返事に満足したように二回頷くと、するすると梯子を登って寝床に戻っていった。

「あの」

 突然、部屋の奥のベッドに腰掛けている青年から声をかけられた。

「あなたは記憶喪失なんですか?」

 目を向けると、先ほど確認した大学生らしき日本人の男だった。

「すみません、盗み聞きするつもりはなかったのですが、ついつい聞こえてしまってですね」

 青年はベッドに腰掛け、手にしていた本を膝に置いたまま話し始めた

「その、本当に記憶喪失なんでしょうか」

「ああ、たぶんそうだけど」

「それはすごい!」

 青年は喜んだように声を上げ、手を叩く仕草をしてみせた。

 その反応に少し苛ついた僕は、表情に不愉快さを滲ませなが渋く笑ってみせたが、気がついていないのか無視しているのか、彼はまくしたてるように語り出した。

「記憶喪失って、前々から興味があったんです」

 青年は嬉々として続けた。

「自分とは何者か。何のために生まれたのか。みんなそういう疑問を持つと思うんですよ。そして本当の自分を見つけるために、延々と悩み、悶え苦しむ。悲しいことに、そのために死を選ぶ人もいます。自分自身を見つけることとは、それほどに難しいことなんですよね」

「はあ……」

 ぺらぺらと言葉を連ねる目の前の青年に、半ば呆れながら僕は頷いた。

「そういう意味で、あなたは今、素晴らしいチャンスをつかんでいると言えます。そう、これはチャンスなんですよ。たしかに記憶喪失というのは、自分の歴史を失うことに等しいことです」

 それは、と急に小声になった。

 「本当におつらいことでしょう」

 青年はそこでしばらく間をつくると、さらに語気を強めた。

「しかし、心が真っさらな状態で自分と向き合うことができれば、もしかしたら今まで以上に、本当の自分を見つけることができるかもしれません

「心が真っさらということと、記憶がないというのは違う気もするけど」

 僕は苦笑しながら返した。

「それは重要な疑問ですね。いいですか、あなたには今、余計な記憶がない。つまり、不要なしがらみや悲しみを一切忘れた、とても、とても純粋な状態なのです。そこまで心が真っさらになれることはなかなかないことです」

 青年の表情は至って真剣で、だからこそ居心地がわるい。

「あとはちょっとした手助けさえあれば、自分とは何者なのか、あなたはきっと真理に辿り着くことができるはずです」

 やれやれ、妙なやつに引っかかったな。

 僕は無言のまま、青年を眺めた。線の細い体型で、髪は長く伸ばしている。興奮しながら話すので前髪が頻繁に目にかかり、話の途中で何度も髪をかき上げていた。

「本当のあなたを見つけるのはあなた自身です」

 青年はさらに熱を入れて話し始めた。両手を振ってジェスチャーをしているが、どこかぎこちなさも残っている。

「そして大切なのは、そのためにあなたの背中を押してくれる、導き手の存在です」

 青年はそこで一息つくと、急にトーンを落とし始めた。

「……こんなふうに言っている僕も、昔は自分が何者かなんてわかってはいませんでした。でも、ある方に出会ってから、僕の人生は大きく変わったんです」

 青年は目をきらきらさせてこちらを見つめてきた。

 僕はお茶を濁すような軽い相槌を打ちながら、何か適当にあしらう方便を見つけて部屋を出るか、あるいは何も言わずに部屋を出るか考えていた。

「ねえ、ある方って誰なの?」

 上段のベッドからモモコが会話に入り込んできた。

 おお!と青年は目を輝かせた。

「あなたも興味があるのですね!」

「まずは質問に答えてもらえるかしら? あなたの人生を変えたのは誰なの?」

 モモコはベッドから顔を乗り出して青年を眺めている。

 モモコ、まさか本気ではないよな。

「わかりました。ええと、たしかモモコさんでしたよね。あれは……」

 調子に乗った青年がぺらぺらを語り始めると、僕はさらにうんざりした気持ちになった。これ以上聞くに堪えない。ひとまず部屋を出よう。真剣に耳を傾けているモモコを少し心配したが、モモコに限ってそれはないだろうと思い直した。

 立ち上がって部屋の出入口まで近づいてドアノブに手を伸ばす。背後からはまだ青年のご高説が聴こえてくる。

 僕はため息を漏らした。

 伸ばした右手がドアノブ触れようかどうかというところで、先にドアが開いた。向こうから別の宿泊者が入ってきたのだ。

 道を譲ろうと一歩引いて新たな宿泊者を目に留めた途端、僕は思わず息を飲んだ。目の前に現れたのは、金髪の若い女性だった。

 ただ、その容姿が異常だった。

 美しいのだ。

 美しく、そして整い過ぎているのだ。

 金色に染めたまっすぐな長髪を肩の位置まで垂らし、前髪はきれいに揃えている。髪色のせいもあって、欧米人かアジア人か、見分けがつかなかった。美しい女性であることに異論はないのだが、あまりにも完全すぎる容姿から、僕はどこか違和感を覚えた。何より、どこかで見たことがある気がするのだ。 

 部屋に入った美女は棒立ち状態の僕に目に一瞥をくれると、扉に一番近いベッドに腰掛け、置いてあったキャリーケースを調べ始めた。

 目線を僕からベッドに向ける直前、彼女がクスッと笑ってみせたのを僕は見逃さなかった。明らかに小馬鹿にした笑い方。少しムッとした僕は、そのまま話しかけずに部屋を立ち去ることに決めた。

 部屋を出ようとした瞬間、背後からモモコの声が聞こえた。

「わあ! あなた、本当にきれいね。まるでお人形さんみたい」

 僕は足を止めた。

「えー何? 急に? この子、超かわいいんだけど」

 僕は驚いて彼女の方に振り返った。喋り方がギャルっぽかったからではない。むしろ見た目についてである。どこかで見たことがあると思ったが、やっぱり似ている。

 リカちゃん人形。

 そう、本当にお人形さんみたいなのだ。というより、リカちゃん人形そのままじゃないか。

 僕は覗き込むようにして、そのリアルなリカちゃんを眺めた。美しさを得る代わりに自然さを失った……彼女の美貌は、まさにそういった具合だった。どうして彼女は、ここまで顔を整形しなければならなかったのだろうか。

「ちょっとルンバ、お姉さんのこと見すぎ」

 モモコが茶々を入れた。

「え、何、この子の知り合い? キモいからあんまり見ないでくれます?」

 リアルなリカちゃんが身を引くようにして言った。

「いや、そんなつもりじゃ……」

「というか、ルンバって何? 名前? ウケるんですけど」

「ルンバは名前だよ。わたしがつけたの。あなたの名前は何というの?」

 モモコが訊ねると、リアルなリカちゃん(心の中で、今後は略してリリカと呼ぼうとこっそり決めた)は面倒そうに返した。

「えー。そういうのはまずは自分から言いなよ」

「それもそうね。わたしの名前はモモコ」

「モモコ! かわいい名前じゃない。でもモモコは、喋り方とか本当にしっかりしているよね」

 そう言いながらリリカはキャリーバッグをごそごそを探したあと、あった!と声を上げて喜んだ。左手に高級そうな化粧水ボトルが握られていた。

「ねえ、だから、あなたの名前は?」

 モモコが少し苛立ちを見せて繰り返したところで、リリカのバッグからブーッとバイブ音が聞こえた。

「あ、ごめんモモコ」

 リリカはバッグからスマホを取り出すと、耳に当てて何やら話しながら部屋を出て行ってしまった。

「もう、むちゃくちゃな人ね」

 モモコは少し膨れた顔で自分のベッドに戻って行った。先ほどまで僕らに熱弁を振るっていた青年は、今度は自分のベッドの上段にいたアジア系の外国人に語り始めていた。

 疲労感がどっと押し寄せてきた。僕は部屋を出るのを諦めて、自分のベッドに転がり込んだ。

〜つづく〜

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