『自分探し』のルーツ

何が楽しいのか分からない。自分には生きている意味がない。

何がしたいのかは、そもそも元から分かっていない。
そんな人が、平成初期に生まれた我々の世代には多い。

それは、自分に出来ることが見つけられていないからであり、「私は今、生きている」と感じるために必要な感受性を失ってしまったからだろう。

感受性をなぜ失った? どこで無くした?

大部分の人は、ちゃんと大切に扱っていなかったから失くしてしまったのだと思う。いつ誰に盗まれてもおかしくないぐらいに無警戒だったから、だから知らず知らずの間にどこかへ失くしてしまったのだ。

なんとか自分が感受性を失くしていることに気がつけても、感受性の元々の形が分からないからと、当てずっぽうに探すばかりの途方に暮れるだけの日々を繰り返す。これが『自分探し』のルーツ(根源)だ。

感受性に原型があると思い込んだ人間が行う『自分探し』の様子は、他人の目には死に場を求めて彷徨い続ける生ける屍のようにしか映らないだろう。

感受性を持ち続けることの大切さに気付けなかった人間は社会に出ると、大体一度はこうなるものだ。

「自分には出来ることが何も無い。だから出来ることを探す」と考えるから「自分探し」で途方に暮れるのだ。

「自分には出来ることが何も無い。だから出来ることをやる」と考えて一つ一つ行動に移すことこそが、感受性を取り戻す為の一番の近道である。

「どうしても『自分探し』がしたい」という人は、せめて行動だけは日々行うようにした方が良い。
でないと、感受性以外のものまで失ってしまうリスクがあるからだ。

感受性は原型がない分、まだ取り戻しやすい部類だ。
だから、正直言って何回失くしたって構わない。

だからこそ、それ以外の感情を失くすことには最大限警戒するべきだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?