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オックスフォード運動とプリマスブレザレン

讃美歌の最後にアーメンをつけるかつけないか問題。様々な声があって意見がわれるのですが、もともとこれは、19世紀イングランドのオックスフォード運動が直接のルーツです。讃美歌集に全部アーメンがつくようになったのは。つまり、歴史的にはそんなに根はない。せいぜいここ200年くらいのこと。

ただその時代にちょうどわが国にも讃美歌が輸入されてくるわけで。それで賛美にはアーメンが最後に必ずつくものだと学習してしまった方々がいらっしゃったのだろう。それが伝統化していく。

さて、今回の話題はそのオックスフォード運動とプリマスブレザレンという教派の関係性。オックスフォード運動は聖公会内の一種の改革運動でざっくり言うと近代主義に対する懐疑や、反動の要素がある。その結果、高教会的なもの、ローマカトリック的なものに惹かれていく一種の原点回帰があった。

そのひとつのきっかけとなったのが、イングランド国教会がアイルランド国教会の教区数を減らしちゃったことに対する幻滅や異議申し立てだったことを最近知りました。これは信仰上の問題にとどまらない。政治問題、経済問題、領土問題、民族問題も複雑に絡んでくることは素人でもわかる。これとオックスフォード運動がどうつながってくるのかは興味があってもう少し詳しく知りたいところ。どなたかにご教示願いたい。

同時代、アイルランド国教会の司祭だったジョン・ネルソン・ダービーという人がアイルランド国教会を抜け出して、グループを作る。これがプリマスブレザレン。この流れをひく教会はわが国にもあります。この運動は初代教会使徒時代に帰れをモットーにしていた。イングランド国教会に対して異議申し立てできなかったアイルランド国教会に対する幻滅もあったのだろうか?

この離脱から派生してアメリカの保守的教会にも影響を与えるディスペンセーション主義が起こってくるのだが。当然ながら、この聖書解釈もそんなに歴史的な根はない。せいぜいここ2世紀くらいの間の話。

歴史を俯瞰すると新しい宗教運動体というのは、だいたいが既成教会は堕落しているを過度に強調する。その結果、聖書時代もしくは古代の伝統に帰れというのがひとつのパターン。どうしてもアンチであることそのものが信仰的アイデンティティになっていく傾向は否めない気がする。

その主張の正しさに聖書を持ち出すのもあるあるのパターンなのだが、しかし、そんなこと言いだすと、どの立場のキリスト教だって源泉は聖書の権威ですしねえ。我々こそは、我々だけが、純粋なキリスト教ですとか言いだすともう危険水域かなと。

あと母集団から分離派が分離する時というのは、職制と聖礼典の施行の問題が間違いなく絡む。これは単に歴史の問題ではなくどの時代にもどの地域にも似たような潮流はある。おそらく21世紀の現代でも。

もちろんこのあたり聖公会サイドからの評価と、分離派の非国教会側からの評価では、当事者性、立場性によっても当然変わってくることでしょう。価値中立というわけにはいかない。当然、互いに言い分はあるはずで。

オックスフォード運動とプリマスブレザレンは方向性こそ違うのだが、聖公会の現状に危機感を持ち、原点回帰をはかろうとした点では軌を一にするのだなあと思い至った次第。聖公会内部の改革運動にとどまろうとしたか、聖公会から分離して純粋性を追求しようとしたかの違いはあるにせよ。

実際、オックスフォード運動の中心人物の弟が、プリマスブレザレンの中心人物と交流があって、いっしょに宣教旅行も協力しようとしているみたいな証言も残っていて。実に面白い。なんか敵の敵は味方みたいな?どこかで一脈通じるものがあったのかな。

それにしても、この時代の矛盾みたいなものが、ひとつは教会の讃美歌アーメン論争に飛び火し、ひとつは一部の聖書解釈に影を落とす。歴史はつながっているわけですね。行ったことなくてもイングランドやアイルランドの影響受けています。そういうものなのです。時には現地以上に宣教地のほうに当時からの伝統がタイムカプセルよろしく色濃く残っている状況もあったりして、なかなか複雑。

しかし、それはその時代のその地域の特殊事情であって、21世紀の日本の教会に関係なくないですかって?なかば、丸呑みして規範化させるんじゃなく、切り離せるところは切り離して考えて相対化することだって可能ではないかと思うのだが。


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