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七夕

京極夏彦の小説「絡新婦の理」に七夕の由来が出てくる。それによると、たなばたに七夕という漢字を充てたのは、後付けでもともとの意味は、「田の端」もしくは「種播」で水口のこと。水田に関係する行事であって、天の川のほうは中国から入って来た別種の伝承。日本と中国の風習が融合している。

民俗学の折口信夫によると日本では、棚機女(たなばたつめ)と呼ばれる女性が水辺(田の端)の機屋(はたや)で神のための着物を織って供え豊作を祈る神事だった。人間が神の一夜妻になるわけで一種の異類婚の類型。その織機の名前が棚機(たなばた)だ。

おそらく小説の題は糸という連想から絡新婦(じょろうぐも)という妖怪と機織りを結びつけたのだろう。この妖怪の伝承は各地にあるが、岡山県真庭市にも残る。作州高田に伝わる話が江戸時代の「太平百物語」に収められている。

キリスト教と機織りとの関係で言うと、以前倉敷に機を織る牧師がおられた。外村吉之介という方で、染織家であると同時に伝道者。自分にとって機を織ることと伝道することは別々のことではないという信念を持っておられた。倉敷民藝館の初代館長だ。倉敷に来たのは大原孫三郎の招きに応じたものだ。倉敷美観地区の保護にも力を入れた。柳宗悦を基軸とする民芸運動は、民衆の工芸の中に美を見出す運動で戦前戦後を通じて平和を希求し評価を受けている。

蜘蛛つながりで言うなら、クリスマスツリーに飾られる銀のモールは蜘蛛の糸をイメージいたもの。聖書正典にはないが、エジプトに逃避行する聖家族を蜘蛛が糸をもって匿った伝承から。


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