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Epilogue 旅を起点に

「最後の楽園」と呼ばれるフリウル島へは、マルセイユ旧港から船で30分ほどで着く。アレクサンドル・デュマの小説、「モンテ・クリスト伯」の舞台としても知られるイフ島へ向かう観光客は多いが、その先にあるフリウル島までやって来る観光客は少ない。海岸沿いに並ぶ数軒のバーやレストランの他は、滞在型のホテルや別荘がぽつん、ぽつんと点在するばかりの、素朴な島である。多くは石灰質の岩塊が拡がっている。
 そんな、手つかずの自然が残る島に似合わず、港には数百のヨットが停泊している。マルセイユにいながらでも通えるので、夏になると多くのフランス人がやって来る。しかし喧噪はまったくなく、大自然の中にいて、地中海のイメージそのままの、海のきらめきを目の前にして過ごすことができる。
 
 
 ほんの30分の船旅だというのに、私は未知の世界への探検者のような足取りで、船に乗り込んだ。オープンテラスの二階席に座り、マルセイユの街と、マストを高く掲げた無数のヨットを眺めた。視点を海の上に移すだけで感覚も変わる。今や私も、地中海の青の中へ入って行くのだ。テラス席には、私の他には数人いるばかりだった。
 出帆する。幾重にも連なる、停泊する小型船やヨットの群れが過ぎて行く。レース細工の黒いキューブのミュセムや、螺旋階段をぐるぐる登った塔を見上げる。あのとき羨望の眼差しで眺めていた一団の中に、いま私はいる。そんな感慨に耽っていると、マルセイユの街は後ろに遠くなっていた。
 海はきらきら光っていた。帆を立てたヨットが五つ六つ、遠くにゆらゆら浮かんでいる。まさに絵に描いたような夏の光景がそこにはあった。
 脇を見ると船があげる波しぶきの向こうに、岩塊があった。イフ島である。そこには、シャトー・ディフと呼ばれる牢獄しかない。自然の岩壁の上に、人工の岩壁があるという、ただそれだけの島である。かつて数々の重要な政治犯が収容されたというが、確かにあそこなら逃げられそうにない。イフ島を過ぎるとすぐに、船はフリウル島に着いた。
 港のそばには、レストランなどが数軒並んでいる。そこだけ見れば、ありがちなリゾートの風景である。しかしそこから少し歩くだけで景色は一変する。
 大きなヨットハーバーを横に見ながら、一本道を一直線に進む。きらびやかな海岸とは裏腹に、私は進む先の景観にぎょっとした。ここはオーストラリアかと思うほどの、巨大な岩壁がそそり立っていたからである。その岩壁に限らず、島の景観のほとんどは岩肌の露出した、大自然そのものだった。
 それを過ぎると、岩礁の先に入江があった。その突き抜けた青が、私の眼を射ってきた。私は足早に、海に向かって進んで行った。
 静かな小さな入江で、脇にはホテルだろうか、船の形をした建物があった。舳先には、フランス国旗が風になびいている。目の前にあるのは粉れもなく、これまでに何度も脳裡に描いてきた、地中海の青だった。水平線上に、マルセイユの街が遠望できる。
 さらに進むと、大きな入江に海水浴場もある。しかしそこにある景色は、ただのリゾートではない。簡易的なログハウスのような海の家が一軒あるばかりで、周りを手つかずの大自然が埋めている。マルセイユから30分の場所に、こんな景色があることに感動を覚えた。本当の贅沢がここにはある、と私は思った。
 
 
 マルセイユの旧港前。ノーマン・フォスターのモニュメントは、夕方の港町を映していた。ステンレスの天井には、暮れ行く光のなかにある海と船と、広場を行き交う人が逆さに映っている。
 ここは古来より、多くの人が行き交ってきた。渡航する手段がまだ船しかなかった明治から大正にかけて、日本人が初めて入るフランスは、マルセイユだった。いくつかの感動、興奮、期待、不安。先人の行き交ってきたこの地に、いま自分は立っていた。
 広場を、少年の自転車が横切った。長い影も横断する。少女はパパとママと、夕方のひと時を過ごしている。長く伸びた三つの影は、すべてが薄紅色に染まる中、ある情感をそこに捺していた。私は旅する者の感傷で、しばらくそこから離れられないでいた。
 
 
 はじめてフランスに渡った日々は、今も色褪せず蘇る。あの旅の感動が、さらに旅を広げ、思念を深くしている。旅はゴールではなく、スタートだった。あたらしく人生が始まった瞬間だった。
 私はいつものように、次なる旅を夢想する。部屋の外では時折、夜の風が鳴っていた。たまに酔っぱらいの頓狂な声も混じる。それ以外はしんと静まり返っている中で、次なる旅先のあれこれを、私はぼんやりと考えていた。

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