Satoshi Mizuno

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最近の記事

Epilogue 旅を起点に

「最後の楽園」と呼ばれるフリウル島へは、マルセイユ旧港から船で30分ほどで着く。アレクサンドル・デュマの小説、「モンテ・クリスト伯」の舞台としても知られるイフ島へ向かう観光客は多いが、その先にあるフリウル島までやって来る観光客は少ない。海岸沿いに並ぶ数軒のバーやレストランの他は、滞在型のホテルや別荘がぽつん、ぽつんと点在するばかりの、素朴な島である。多くは石灰質の岩塊が拡がっている。  そんな、手つかずの自然が残る島に似合わず、港には数百のヨットが停泊している。マルセイユにい

    • 地中海へ 〜南仏アラカルト〜 マルセイユ

       マルセイユ・サン・シャルル駅には、古き良きヨーロッパの駅の雰囲気がある。この駅にやって来ると、私はいつも旅情を感じる。パリのようにハイテンポでなく、ニースのように浮ついた感じでもない。この駅に降り立つ人には、旅人という言葉がよく似合う。上気した色を顔に浮かべる者もいれば、ホームに視線を落とし沈思する者もいる。皆それぞれの旅の境遇にいる。  パリやニース、モンペリエなどへ向かう幹線を除けば、出発する地方線は二つある。一つはエクスアンプロヴァンスへ向かう路線で、もう一つは近郊の

      • 地中海へ 〜南仏アラカルト〜 アルル、エクスアンプロヴァンス

         アルルの駅は街から少し離れている。駅から街へは、湾曲したローヌ河岸を歩いて行く。そこは、ゴッホの「ローヌ川の星月夜」の舞台である。夜になると川面いちめんに、対岸の家々の灯が発する帯が幾筋も浮かび、天上には無数の輝きがある。私が歩いたのは昼なので、想像で補うしかない。  街なかの広場まで来て思わず、あっと私は叫んだ。目の前に黄色いパラソルのカフェテラスがあったからである。こちらの絵の舞台も夜の光景ではあるが、昼でも一目で判る。絵を見た者ならば、ここを訪ねた誰もが、ゴッホの絵を

        • 地中海へ 〜南仏アラカルト〜 モンペリエ、ニーム

           現地在住ガイドの高橋あゆみさんの案内で、私はモンペリエの名所を巡った。イメージ通りの街並みにくらくらしながら、コメディ広場を抜けて、気づけばアンティゴンという街区にいた。  そこは1980年前後、スペインの建築家リカルド・ボフィルによって造られた計画的な街区である。もっともモンペリエの旧市街の多くは、19世紀に造られた計画的な街区なので、コメディ広場を挟んで、新旧のデザインされた街区が展開していることになる。  アンティゴンを歩いていると、シュールレアリスムの世界に取り囲ま

        Epilogue 旅を起点に

          地中海へ 〜南仏アラカルト〜 モンペリエ

           モンペリエの中心、コメディ広場は、常に緩やかな時が流れている。劇場を前にして、様式の揃えられた建物が並び、真ん中のゆったりとした空間には陽が燦々と降り、青空が爽快に拡がる。賑う人の間をトラムが軽快に横切って行く。日本とは空の色も建物も違えば、人の動線もその様子も違う。皆が自在に、ゆったりと流れ、過ごしている。いい意味でのゆるい感じがちょうどよく、理想的な居心地のよさがある。  この街に辿り着いた旅人は、誰もがまずここにやって来る。この街に暮らす人は、誰もがここで英気を養う。

          地中海へ 〜南仏アラカルト〜 モンペリエ

          地中海へ 〜南仏アラカルト〜 カルカソンヌ

          「カルカソンヌを見ずして死ぬな」という言葉がある。世界遺産としても名高い城塞都市だが、私の中での優先順位は元々高くはなかった。滞在先のトゥールーズとモンペリエの間に位置していたので、そこまで言われるなら、移動日についでに回ってしまおうと思い立ったのである。  そんな気持ちだったからかは判らないが、トゥールーズからの列車は途中で足止めとなり、ただでさえタイトな移動日の行程はさらに短縮され、カルカソンヌでの滞在時間は一時間半となってしまった。  カルカソンヌの城塞は町はずれの丘の

          地中海へ 〜南仏アラカルト〜 カルカソンヌ

          地方へ ブザンソン

           フランシュ・コンテ地方の、詩的な美しさに包まれた町、ブザンソン。スイスに近く、TGVでパリから2時間半。リヨンからは2時間弱。一帯は丘陵と牧草地帯がなだらかに拡がり、渓谷と清流走る天然のアウトドア天国でありジオパークである。  ジュラ山脈から流れるドゥー川の蛇行するところに町は形成され、背後に丘陵が控える。つまり三方を川が囲み、残る一方を丘が遮る天然の要塞となっている。元々は防衛上の要請からできた町は、美しい景観の中に清らかに置かれている。  そんな水と緑に恵まれたブザンソ

          地方へ ブザンソン

          地方へ アヌシー

           リヨンからアルプス方面へ行く地方線は、主にグルノーブル行きとシャンベリー行きがある。両者は途中で二股に分かれ、ともに一時間半程度で着く。  グルノーブルは冬季五輪の会場になったこともあり、周辺に多数あるスキー場の基幹都市でもある。ツールドフランスのアルプスステージの起点としてもおなじみである。  一方のシャンベリーは、アヌシーやエクス・レ・バンなどの湖畔の保養地にも近い静かな町である。ルソーがその若き日に、思念を深め思索を巡らせた場所でもある。  シャンベリーで乗り換えると

          地方へ アヌシー

          地方へ リヨン

           パリから南東へ470km、TGVで2時間も走れば、フランス第二の都市、リヨンに至る。TGV駅は市街地から少し離れているので、バスかメトロで移動する。リヨンの市街地は、アルプスに端を発し地中海へと注ぐローヌ河と、その支流のソーヌ河が落ち合うところに形成される。  イタリアからフランドルへ至る交通の要衝に位置するリヨンは、中世には絹織物などの交易で栄えるようになる。ルネサンス期になると、フィレンツェやジェノバなどイタリア商人との繋がりから、金融業が盛んになる。ブルボン朝の絶対王

          地方へ リヨン

          熱狂のツールドフランス

           2016年のツールドフランスは7月2日、モン・サン・ミッシェルにて開幕した。海に浮かぶ有名な教会を背景に、22チーム198人がスタートしたレースは、ピレネー、アルプスを経て、パリ・シャンゼリゼを目指す。全行程3530km、三週間に及ぶ耐久レースの始まりである。  私はその時ルーアンにいた。観光の合間にホテルのTVを点けると、日本の新城幸也選手がボトル交換のためか大写しにされていた。サッカーの大会に合わせて私は当時フランスに来ていたが、その終盤と、ツールの序盤の日程が重なって

          熱狂のツールドフランス

          ルーアン②

           滞在したホテルはセーヌ河岸から一本入ったところにあった。歩いて2分で大聖堂に着く。装飾とその反射による圧巻のファサードに眩暈を覚えながら、中へ入る。すると中の空間もまた、壮麗にして精緻な造りとなっていた。  椅子がびっしりと並び、天井に向かう壁と柱は両側から迫り、レースのような精緻さで、寸分の狂いなく祭壇へと続いていた。縦横すべての線が遠近法の見本のように、奥の祭壇へと収斂されている。  祭壇まで歩みを進めた私は、裏手に回ってみた。祭壇奥にある十字架を見上げる恰好になった。

          ルーアン

           ルーアン大聖堂は壮麗だった。左右に屹立する塔の間にも、四つの小さな塔が林立し、さらに奥にも細長い尖塔が天空を突いている。しかし塔よりも目を惹くのは、全体の装飾の凄まじさである。彫像だけで何体あるか判らない。あらゆる無数の彫像は、その凹凸と陰影を前に、ファサード全体が巨大な彫刻作品のように思える。  西面に位置するファサードは、午後から夕方へと、光を浴びて刻々と変化して行く。夕方のある時期ここを訪れると、全体がガラス細工のように反射していた。青空のなかをギザギザと埋める白い壁

          シャルトルブルー

           パリのモンパルナス駅から一時間ほどでシャルトルに着く。私が訪ねた日は土曜だったこともあって、列車は行楽客でごった返していた。フランスで列車が満員になることはほぼなかったが、この時ばかりは車両の連結部近くで一時間を過ごす羽目になった。  駅を降りて街なかの気持ちのいい通りでランチを摂ると、この日の目的地へと向かった。世界遺産としても知られるシャルトル大聖堂である。シャルトルはこじんまりとした街で、駅からは大聖堂へも街なかへも、歩いて5分くらいで行ける。  それまで雲が拡がって

          シャルトルブルー

          パリ逍遥③

           モンマルトルとモンパルナスについて、私は書けることはあまりない。まずモンマルトルだが、とにかく観光ツアーが凄い。どの坂を登って行って、どの路地へ入って行っても、旗をヒラヒラさせた引率者の後ろから、ガヤガヤした一陣が通り過ぎる。19世紀末に多くの画家がここで過ごしたという感慨に耽る間もなく、ヒラヒラとガヤガヤが続々とやって来るのであった。  元はぶどう畑と風車の拡がるのどかな農村地帯だったこの丘も、1860年にパリ市に編入されると、多くの画家が家賃の安さから移住してくる。やが

          パリ逍遥②

           ルーブルを起点にセーヌ河岸を歩いて行くと、色々なモニュメントや街並みに出合える。  まず、ポン・ヌフを左岸に渡ろうとすると中州がある。この中州こそがシテ島で、パリ発祥の地とされている。紀元前一世紀、蛮族に追われたパリシー人が、中州を要塞にして根城とした。辺りは平原で、天然の要塞になるのはセーヌ河しかなかった。ちょうど中州になっていたシテ島から、パリの街は発展したのである。  中世になると、狭く入り組んだ路地が展開され、19世紀前半にはパリで最も人口密度の高い貧民街となってい

          パリ逍遥

           フランスには二つの国があると言われる。パリとフランスである。  これはフランスの地方を巡れば感覚的に判ぜられてくることで、地方にこそフランスがあり、パリはあくまでパリである。フランスの本当の魅力に触れたければ、どこかの地方に滞在することをお勧めする。パリでフランスを満喫することなど、ありはしない。  しかしパリにはあらゆるものがある。そこに来れば知的好奇心も美的感興も、その多くを満たすものがあるだろう。そんなパリを、私なりに、興味の赴くままに、方々を歩いてみた。